「答えのない問い」を問うことが好き
周囲になじめなかった小中学校時代
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私は大阪府豊中市で生まれ育ちました。子どもの頃の記憶というと、校庭で走り回っていたことと、旅で自然を満喫していたことでしょうか。母によると、2歳くらいから「なんで?」と問うのが好きだったそうで、それは学校に入ってからもずっと続いていました。体を動かすのも大好きで、学校の休み時間には男子と野球をするなど活発でした。
そんな私にとって、コンクリートに囲まれた自宅周辺は退屈な場所。そこから私を旅に引っ張り出して、世界の広さを教えてくれたのが両親です。とくに父は若い頃、バックパッカーで世界一周をした経験もあり、聞いたこともない言語で現地の人とコミュニケーションをとる姿は私の憧れでした。4歳上の姉と家族4人で国内外さまざまな場所に行きました。初めての海外旅行は小1の頃、ニュージーランド。スイスやオーストリア、カナダなど自然豊かな場所が多かったですね。
私はなぜか小さい頃から数字が好きで、同じく数字好きの祖父とよく数で遊んでいました。箱に並んでいるお菓子を使ってかけ算・割り算を3歳くらいからしていたそうです。そんな姿を見ていたからか、姉が私に宿題をやらせるようになって……(苦笑)。ただ、それがとても楽しくて、「小学校に入ればこんな楽しい勉強がもっとできるんだ!」とワクワクしていました。ところが4学年上の勉強をしていたので、入学したら授業があまりにも簡単で、退屈で……。
勉強だけでなく友人との話題にもなじめませんでした。旅でおもしろかった出来事を友だちに話すと、「自慢しているの?」と返されたり、疑問に感じたことをいうと怪訝な顔をされたり。自分の感情を周囲に伝えることができなくなり、闇の時代を過ごしました。
知的好奇心の高い子が集まる学校に行けば違うのではと思い、中高一貫校を受験して進学しました。ところがそこでは、「テストをいかに効率的に解いて、いかに東大に行くか」という話題ばかり。私は答えのないことを問いたかったのに、温度差を感じ、中3になると登校する日も減っていきました。このまま日本の学校に行き続けて私の未来はあるのか、と思い悩みましたね。