上京を機にピアノとは疎遠に
転機は友人に誘われて行ったジャズクラブ
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英語が好きになり、中学から洋楽を聴いたり洋画を観たりするようになると、翻訳家に憧れ、英語を使った仕事をしたいと考えるようになりました。
一方、ピアノも続けていました。ピアノの先生からは音大への進学を勧められましたが、下の姉が音大受験のためものすごく練習している姿を見て、「こんなにやったらピアノを嫌いになりそう……」と思ったこと、また「音楽で食べてはいけないだろう」と考えていたので、英文科を中心に受験しました。
ところが合格できたのは、滑り止めとして受けていたフランス語学科のみでした。フランスにもフランス語にも当時興味はなかったのですが、大学は卒業しなければと思い、ほかの選択肢はなかったので、そこに入学することに決めました。
ピアノは上京を機に辞めざるを得なかったのですが、1年も触っていないと「寂しいな」と感じるように。そんなときに友人にジャズクラブに誘われました。これが音楽の道に進むことになった転機です。
トリオをバックに英語で歌っているシンガーのライブを観て、「なんてステキ!私もやってみたい!英語の発音には自信がある!」と、そのジャズクラブに頼み込んでライブをやらせてもらうことに成功しました。そこのマスターには、「1日ライブができるくらいのレパートリーはある?」ときかれて、実はなかったものの何を根拠にしたか、「あります!」と答えました。この日から毎日とにかくたくさんのジャズを聴き、練習に励みました。そうして初めてのステージ。自分の歌でお金をもらえることがうれしくて、また自信がつきました。
ジャズクラブで歌っているうちに音楽関係者の知り合いができ、学生の身分で一流ホテルで歌わせてもらうなど、活動の場も広がりました。それを続けることで「就職活動はしない。歌を続けよう」と決めました。
ただ、一方でじつは、ジャズクラブにお見えになったお客さまで、フランス企業の人事部長の方から「うちに来ないか」とのお誘いを受ける機会があり、最終面接まで進んだこともありました。その場で「歌はやめられますか?」と意思確認をされたことで、初めて父に相談をしました。父は「悩んでいる時点で答えは出ているのでは?」と一言。そこで決心が固まりました。
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