5歳のとき吹田駅で見た光景が原点
![]() |
私が最高顧問を務めている「ジャパンハート」は、発展途上国で国際協力を行う医師・看護師を派遣、アジアの子どもを支援する国際医療ボランティア組織です。もともとは1995年に私がたった一人で始めた活動ですが、いまでは多くの日本人が支援してくれています。
私は最初から「途上国で医者をやろう」と思って医学を学びました。なぜそう思ったかというと、5歳のときに見た光景が原点にあります。当時、吹田駅には暗い地下道があり、そこで手足がない傷痍軍人が物乞いをしていたんです。子ども心に「こわいな」「気持ち悪いな」と感じていました。
そのころはちょうど大阪万博が吹田市で開催され、世界中から人が来ていました。その同じ時代に同じ街の片隅で、物乞いをしないとならない人がいたわけです。もちろん当時はそんなこと考えませんでしたが、中学生くらいになってから、はたと気づきました。私は1965年8月生まれです。つまりほんの20年前は戦争をしていた。もし20年前に生まれていたら毎日空襲から逃げ回っていたかもしれない。
また、1965年は中国で文化大革命が始まった年で、多くの死者が出ました。そして同時期にはベトナム戦争もあった。1970年に入るとカンボジアではポル・ポトが大量虐殺を始めた。韓国は80年代まで軍政でした。そこで、わずかな「時空のずれ」に気づいたのです。わずか20年という時間のずれ、わずか飛行機で1時間という空間のずれにより、人の運命が変えられてしまう。いかに偶然のなかで自分が幸せを享受しているかを悟りました。
それなのに自分はだらだらと生きている。申し訳ない気持ちになりました。そうした思いが心のどこかにずっとあって、いまの自分につながっているわけです。