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Vol.055 2018.06.29

小児外科医 吉岡 秀人さん

<後編>

「いまの自分」を信じ、
「心の声」を聞いて生きていこう

小児外科医

吉岡 秀人 (よしおか ひでと)

1965年大阪府吹田市生まれ。大分大学医学部を卒業後、大阪、神奈川の救急病院に勤務。1995年から2年間ミャンマーにて医療活動に従事。1997年に帰国し、国立岡山病院、川崎医科大学(倉敷市)で小児外科医として勤務。2003年に再びミャンマーに渡り医療活動に従事。2004年4月、国際医療ボランティア団体ジャパンハートを設立。2017年6月特定非営利活動法人ジャパンハート最高顧問就任。著書に『救う力』(廣済堂出版)、『命を燃やせ ~いま、世界はあなたの勇気を待っている~』(講談社)ほか。

ミャンマーやカンボジア、ラオスなどで無償の医療活動を続ける吉岡秀人さん。2004年に「医療の届かないところに医療を届ける」ことをミッションに、NPO法人ジャパンハートを立ち上げました。いまでは海外のみならず、国内の僻地や離島、大規模災害を受けた被災地の支援のほか、医療人材育成、子どもたちの養育施設の運営など活動の場を広げていますが、そもそもは1995年に吉岡さんがたった一人で始めた活動でした。その力強い行動の源泉は何なのでしょうか。生い立ちを含め、思いを実現するために大切なことについてもうかがいました。

目次

行動をしないと自分の才能のありかが見えてこない

吉岡秀人さん

こうして私は、文系から理系に進路を変更し、2浪することになりました。医師を目指すというと、周囲からは「ムリだ」と言われました。小さい頃、大人から「君たちには無限の可能性がある」と言われていたはずなのに、その可能性に挑戦しようという私をみんなが否定する……。だからせめて、「自分だけでも自分の可能性を信じよう」と思いました。そうでないと、この先50歳、60歳になっても自分が何かやろうとしたとき「ムリかな」と自分で線を引いてしまうのではないかと思ったんです。懸命に勉強して、大分大学医学部に合格することができました。

理解されにくいかもしれませんが、もしかしたら私は、自分で自分の未来を知っていたのかもしれません。きっと多くの人は「自分の才能のありか」をわかっているはずなんです。でもそれを見つけるには、行動してアウトプットしていかない限りわからないんです。

ですから私は、若い人たちに「行動しろ」とよく言います。自分で思っている間はイメージだけでしかありませんが、行動すればそれが自分の前に現われます。それで客観視できて、自分は何が得意で何がしたいのか、自分の姿がわかるようになるのです。

医師になって、ミャンマーに行ったのはたまたまです。ミャンマーでは第二次世界大戦の時、ビルマ戦線で多くの日本人が亡くなっていて、その遺族会から「現地で働く医師を探している」との打診があり、ミャンマーとはどんな国かよく知らないまま、とりあえず行きました。

吉岡秀人さん

朝から晩まで毎日働き、たくさん患者たちを治療しました。一方、難病を抱えた子どもたちが毎日死んでいく。当時の私には子どもの手術の経験などありませんでした。ただ、目の前でこの光景を見続けることはできないと思い、一旦帰国して小児外科を学ぶことにしました。

6年後の2003年に再びミャンマーに渡り、翌年にはジャパンハートを立ち上げました。現地の方と日本人合わせて6人が手伝ってくれましたが、収入もなく、寄付が集まる見通しもなかった。私の貯金が尽きたら終わりだと思っていたら、時代が味方してくれました。それはインターネットです。衛星回線を立てて日本へ向けて活動の情報発信を続けてきたら、ある企業の社長さんが寄付をしてくれました。次第に支援者も増え、ミャンマー以外での活動も広がっていきました。

人生はスーパーボールのようなもの!?

自分が本当に幸せになりたかったら
世の中を幸せにするしかない

吉岡秀人さん

子どもを救えないときには、「自分が死んだほうがラクだ」「もうやめたい」といつも思います。でも、私が活動をやめてしまうと、その子の死の意味が固定してしまう。その子の死を乗り越えて、誰かの、より多くの人の「生」に変えない限り、ムダ死にになってしまう。しんどいけれど進んでいくしかない。そう気を取り直して前に進む。そのくり返しです。

なぜ私がこうした活動を続けられるのか。それは「自分が幸せになるためにやっている」と自覚しているからです。結果、彼らが幸せになる。私からしたら現地で来てくれる人たちは「私の価値を認めて、来てくれている人たち」。とてもありがたいことです。

「情けは人のためならず」といいますが、結局、私たちの生き方はスーパーボールを投げるようなもの。投げたら過去か未来かどこに当たって、どんな形かも、お金で返ってくるかもわかりませんが、必ず返ってくる。

ミャンマーに行った当初、遺族会から1日1,000円の食費をいただいていました。1ヵ月で3万円です。3万円あれば60人の栄養失調の子に1週間に6食を食べさせてあげられる。それでこの食費を子どもたちの分に当てました。すると、巡回診療から帰るとき、毎日子どもたちが無心でご飯を幸せそうに食べている光景に出くわすようになりました。それが無上の幸せでした。これが毎日たった1,000円を差し出しただけで私が受け取ったものです。

私たちが本当に豊かになるためには、自分のことを「幸せな人間だ」と思ってないとなりません。
「自分は幸せな人間だ」と思うには、世の中から「あなたは大切ですよ」と言ってもらうしかないんです。その為には世の中を大切にして、世の中を幸せにするしかない。
しかし、他人に幸せを与えるには、まずは、自分の本当の幸せの状態を知らなければなりません。

というのは、人は自分の延長線上でしか他人を考えられないからです。他人の痛みがわかるのは自分も痛みを経験しているからです。

世の中から受け取ったメッセージが集積し、「自分には価値がある」「生きていて良かった」と思え、自分を大切な存在だと分かり、そこで初めて同じだけ人を大切にできるようになる。そのことに、私は活動する中で気づきました。

吉岡さんから子どもたちへのメッセージとは?

人にはいろんな才能の咲かせ方がある
自分の感覚を確かめながら進んでいこう

吉岡秀人さん

私は若い人たちには「世の中を大切にしている方向性」を持っていれば、必ず世の中から大切にされる、と伝えています。その方向性とは、「この世界が持続的に発展するための試みに参加すること」です。

「私は粟粒みたいなものですから」という看護師がいましたが、粟粒でいいんです。この方向は川の流れみたいなもので、私たちはその一つひとつの分子です。流れの先には、世の中をもっと変革してくれる人がいる。それはあなたかもしれないし、私かもしれない。そのために、喜んでこの流れをつくるひとつの分子になる。みんながこの方向に向かって進んでいくことが大切だと思っています。

子どもたちに伝えたいのは「人より遅いから」「人よりできないから」と思う必要はないということ。人生はマラソンと同じで、いきなり飛ばしたら力尽きてしまいますし、人にはいろんな才能の咲かせ方があります。嫌いなことは続きませんから、いろいろ手をつけてみて「これだ」と思うものを見つけてほしい。そのためには、いまの自分を信じられるかどうかが大事です。自分の感覚を確かめながら、心の声を聞くようにするといいと思います。

ある科目を通して見えてくる子どもの才能に気づくなど、それを教師が見つけられたらすばらしいですね。ちょっとした大人の言葉に救われて、その後成長する子もたくさんいます。親も教師も子どものいいところをどう見つけたらいいか、フレキシブルに考える必要があるでしょう。とくに親は時代錯誤にならず、「未来のことはわからない」という謙虚さをもって子どもに接してほしいですね。

私には息子が2人います。それぞれ10歳になったら約1ヵ月間、一緒に旅に出ると決め、私がかかわる途上国の施設にも連れて行きました。10歳を過ぎると反発し出してしまうので、それまでに伝えたいことをすべて伝えようと心がけてきました。

「伝えたいこと」とは、私が父から受け取ったことと同じです。つまり、黙々と、一生懸命生きるということ。息子たちは病気の子どもたちも、若いスタッフが一生懸命生きる姿も見ています。そこから何を感じ、どう行動するかは彼ら次第です。

先日、長男が「将来の夢」という作文で「お父さんよりすごい医者になる」と書いていました。「追いつく」のではなく「越えていく」のがいいですよね。次世代の人には、ぜひ私たちを越えていってもらいたいと思っています。

前編を読む

関連リンク特定非営利活動法人ジャパンハート発展途上国の子供を救え!小児外科医吉岡秀人の戦い


吉岡秀人さん  

前編のインタビューから

-吉岡さんの原点とは?
-吉岡さんが公文式学習で養った力とは?
-医師を目指すことになったきっかけ

前編を読む

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