行動をしないと自分の才能のありかが見えてこない
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こうして私は、文系から理系に進路を変更し、2浪することになりました。医師を目指すというと、周囲からは「ムリだ」と言われました。小さい頃、大人から「君たちには無限の可能性がある」と言われていたはずなのに、その可能性に挑戦しようという私をみんなが否定する……。だからせめて、「自分だけでも自分の可能性を信じよう」と思いました。そうでないと、この先50歳、60歳になっても自分が何かやろうとしたとき「ムリかな」と自分で線を引いてしまうのではないかと思ったんです。懸命に勉強して、大分大学医学部に合格することができました。
理解されにくいかもしれませんが、もしかしたら私は、自分で自分の未来を知っていたのかもしれません。きっと多くの人は「自分の才能のありか」をわかっているはずなんです。でもそれを見つけるには、行動してアウトプットしていかない限りわからないんです。
ですから私は、若い人たちに「行動しろ」とよく言います。自分で思っている間はイメージだけでしかありませんが、行動すればそれが自分の前に現われます。それで客観視できて、自分は何が得意で何がしたいのか、自分の姿がわかるようになるのです。
医師になって、ミャンマーに行ったのはたまたまです。ミャンマーでは第二次世界大戦の時、ビルマ戦線で多くの日本人が亡くなっていて、その遺族会から「現地で働く医師を探している」との打診があり、ミャンマーとはどんな国かよく知らないまま、とりあえず行きました。
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朝から晩まで毎日働き、たくさん患者たちを治療しました。一方、難病を抱えた子どもたちが毎日死んでいく。当時の私には子どもの手術の経験などありませんでした。ただ、目の前でこの光景を見続けることはできないと思い、一旦帰国して小児外科を学ぶことにしました。
6年後の2003年に再びミャンマーに渡り、翌年にはジャパンハートを立ち上げました。現地の方と日本人合わせて6人が手伝ってくれましたが、収入もなく、寄付が集まる見通しもなかった。私の貯金が尽きたら終わりだと思っていたら、時代が味方してくれました。それはインターネットです。衛星回線を立てて日本へ向けて活動の情報発信を続けてきたら、ある企業の社長さんが寄付をしてくれました。次第に支援者も増え、ミャンマー以外での活動も広がっていきました。