東日本大震災を転機に「灯台下暗し」に気づいた
能登半島地震後に経験した忘れられない出来事とともに、私の転機となったのが、東日本大震災でした。震災が発生したあの日、私は大学受験のために上京していましたが、受験予定の国立大学の入試が中止となり、数日して輪島に戻りました。実家で原発事故などのニュースを見ながら、そこで初めて「自分は何のために生きていくのか?」「自分とは?」「日本とは?」「日本が失ったものは何か?」「未来に残していくべきものは何か?」といったことを、ずっと考えていました。
しばらく人とも話さず呆然とテレビを見るような生活をしていましたが、2週間ほどして日本の価値は日本文化にあるのではないかと気づいたんです。「日本の価値」は、よく「人」といいますが、それはやはり「土地」に起因しているもの。その土地が生み出す価値や伝統が、残すべき日本の価値ではないかと思ったんです。
「灯台下暗し」だったんですよね。私がここに生きていられるのも、先祖が代々この地で漆に向き合ってきたから。両親や先祖はもちろん、命をつなげてくれた日本という土地があったからなんです。それで「自分が存在できる理由に恩返しをしていこう」と決めました。
その土地の素材を使って、土地を尊重し、作る人も使う人も、この土地も、みんなが幸せになれる方法を考えて、伝えていこう、と思ったんです。地域で漆の木を育て、国産の木地に漆を塗り重ねて作り、欠けたりしても塗り直して使い続けることができる漆は、まさに持続可能な生産モデルです。あまり知られていないこの漆の価値を、私が「伝えていかねば」と、急に使命感が湧いてきました。
それまでは親や先生、職人さんなど、まわりの目を気にして、ときには自分の気持ちにウソをついていた私ですが、ここで初めて「浪人して商学部に行く」という「自分の意思」を押し通しました。使命を果たすには、「作って、売る」までが必要だと考え、マーケティングを学びたかったんです。
もともと理系を目指していた私の急な文転に、高校の先生はあきれていましたね。そして「浪人はさせられない」と言っていた両親には、「家業を継ぐつもりで“売る仕事”をするのでチャレンジさせてほしい」と懇願しました。なんとか理解してもらえて、輪島から東京に出て予備校に通うことになりました。
パリでインターンを体験
「輪島塗」と伝えても全然売れず……
インターン先のギャラリーでの様子 |
一浪ののち晴れて大学には合格したものの、私のように具体的なビジョンをもって入学する人は周囲に少なく、友人もできず、それこそ退学すら考えました。ところがやがて、大学の枠を超えた国際貢献などをする団体に所属して、東京にいる意味を見出せるようになりました。
そして大学生活が一変したのは、大学2年から始まったゼミがきっかけです。幸運にも「輪島塗のマーケティング研究」を専門にされている先生が自分の大学にいらしたんです。そのゼミに入ってビジネスコンテストに出場したり、輪島キリモトを題材にしたフィールドワークをしたり、充実したゼミ活動を続けていました。
その過程で、「日本の市場だけを見るのではだめだ。売るためには海外を視野に入れなければ」ということを感じるようになりました。「モノにはエネルギーがあり、人の感情を動かす」と思っていたので、「海外で輪島塗が人の感情を揺り動かす瞬間を見たい」という思いがわき上がったんです。
それで大学4年のとき、文部科学省の「トビタテ!留学JAPAN 日本代表プログラム」に応募しました。これは意欲のある若者の海外留学を支援促進する制度で、私は「パリで日本の伝統工芸を世界に通用するブランドへ。モノづくりの革新によって日本の地方に活力を。」をテーマに応募して、採用されました。留学先をパリに選んだのは、パリが世界のライフスタイルの発信地で、伝統と革新のバランスがいい都市だと考えたからです。
パリではインターンとして、日本文化を発信するギャラリーで販売を任されました。ところが、「輪島塗」と訴えたところで全然売れません。「輪島塗だからいいものだ」と思っていた自分の愚かさを思い知らされました。
リサーチを重ね、フランスの人たちが求めるのは、素材が何で、なぜそれを使ったのか、作り手の思いといった「人の感性に寄り添ったコミュニケーション」だということに気づきました。そうして見せ方、使うシーンの説明、洗練された文章など発信の仕方を変え、渡仏から8ヵ月経ってようやく売れるようになりました。
うれしかったのは、エルメスの若手デザイナーがお客さんとして来てくださり、私の話を聞いてすぐ輪島に行ってくれて、輪島キリモトの職人さんたちと交流し、好みのものを買ってきてくれたこと。「やはりモノがもつエネルギーというのはある。輪島キリモトの職人さんたちの仕事は世界で戦える」と、勇気をもらいました。
漆を通じて「人と地球を豊かにする消費社会」をつくりたい
帰国後はフランスで取り組んだように、輪島塗の魅力、漆の魅力、そして「キリモト」というブランドストーリーを発信してはいましたが、一人ではなかなか難しいものがありました。そう感じていたら、旧知のクリエイターさんから声をかけていただき、会社を超えてプロダクトチームができました。そこでリリースしたのが、私の現在の活動として最初にお伝えした「IKI」です。
最先端で大企業のお仕事をされている方々が私に興味をもってくれるのは、「本やインターネットにはない、私にしか言えないこと」を言い続けているからかもしれません。私はそもそも、自分の目で見て、肌で触れて……と、五感で感じたものだけを信じて発信しています。そんなポリシーをもつようになったのは、子ども時代に自然豊かな輪島で、五感を駆使して育ったことが影響しているように思います。
ただ、私は子ども時代には、周りを気にして素直な気持ちを語ることを恐れていました。だから今の子どもたちには、周囲を気にしたり比べたりしないで、言いたいことを言って、やりたいことをやってほしいと伝えたい。好きなことを貫くには、周りと比べない強さが必要だと思います。
今、私は周囲の方々の協力のもと、好きなことを貫けているといえますが、まだまだやりたいことはあります。まずは「IKI」ブランドとして、漆は衣食住のどんなところに寄り添えるかを考えること。時代に寄り添わないと人にも寄り添えないと思うので、いろんな分野の人を巻き込みながら、新しい切り口で漆を再定義し、漆の存在意義を追求していきたいですね。
それには、「変えてもいいもの」「変えなくてもいいもの」の判断が必要です。そんなとき私は、「1000年先の未来に価値があるかどうか」を軸に考えます。日本で9000年続く漆が、9000年後にも残っていたらうれしいですが、それではちょっと先すぎるので、少なくともあと1000年は残ってほしいと思うからです。
そうして「人と地球を豊かにする消費社会をつくる」ことを目指したい。そのために今、仲間を少しずつ見つけ、組織づくりを進めています。父とも連携しながら、そんな社会を実現していきたいと思っています。
前編のインタビューから -日本の伝統工芸品である漆器「輪島塗」とは? |