Unlocking the potential within you ―― 学び続ける人のそばに

記事検索
Vol.048 2017.10.13

行動科学者・パブリックヘルス専門家
林英恵さん

<後編>

「何になりたいか」ではなく
「何をやりたいか」

行動学者・パブリックヘルス専門家

林 英恵 (はやし はなえ)

1979年千葉県生まれ。渋谷教育学園幕張高校、早稲田大学社会科学部を卒業後、アルバイトなどを経てボストン大学教育大学院教育工学科へ入学。ユニセフのインド事務所でインターンとして勤務後、2007年に外資系広告代理店のマッキャンヘルスケアワールドワイドジャパンに入社。同年、ハーバード公衆衛生大学院修士課程(ヘルスコミュニケーション専攻)に合格。会社員として働きながら大学院にも通い、ハーバード公衆衛生大学院にて修士号と博士号を取得。著書に『それでもあきらめない ハーバードが私に教えてくれたこと』(あさ出版)。現在は、同社でニューヨークに拠点があるマッキャングローバルヘルス部門のアシスタントディレクターをしながら、研究活動にも従事している。ヨガ講師の資格を持ち、日米のコミュニティで料理とヨガを通じた活動を行っている。

「一人でも多くの人が与えられた寿命をまっとうできる世界をつくること」――それを自身の使命とし、国際機関や政府機関、自治体、企業などの健康プログラムの戦略開発を行う林英恵さん。いまでこそ日米を行き来してご活躍されていますが、20代のころは、希望していたマスコミ各社にことごとく落ち、家にこもりがちになったこともあったそうです。そこからどのようにして立ち上がり、「本当にやりたいこと」を実現しているのでしょうか。その道のりやキャリアの積み重ね方について、生い立ちを交えてうかがいました。

目次

    「みんな違って当たり前」というアメリカの教育

    林英恵さん

    アメリカに興味を持ったのは、もともと幼少の頃から海外志向があったので、自然な流れでした。具体的に考えるために、大学3年生の時にインターネットで見つけた留学の説明会に行ったのがきっかけです。そこで講演されていたのが、今は亡き実業家の野村るり子さんです。この出会いがひとつの転機となりました。「海外留学を経て一生の仕事を手に入れた」という彼女はものすごくキラキラしていて、本当に素敵でした。これから就職活動をしようというときに、ハーバード大学への大学院留学を勧めてくれたのも野村さんでした。

    でもハーバード大には2度不合格。就職活動も結局うまくいかず、ひとつだけ合格したボストン大学教育大学院に行くことになります。

    「日本で就職できなかったからアメリカに行く」という、敗者の気持ちで渡ったアメリカでしたが、今の自分の人生にとってアメリカは、なくてはならない大事なものになりました。ボストン大学大学院時代に、パブリックヘルス(公衆衛生)分野と出会ったのです。しかも、その授業は本来履修するはずではなく、間違えて取ってしまったものでした。こういう不思議な偶然や、大きな流れを「ありがたく」受け入れていったら、人生が上向き始めました。

    大学時代、伝えること、そして「命」に興味があった私は、大学時代の日記に「医学と国際政策の真ん中あたりの仕事をしたい」と書いていました。当時はやりたいことをどう表現していいかわからず、またそれができる職業も知らなかったので、精一杯のイメージで書いたことばでしたが、それがまさに「パブリックヘルス」でした。医療は、医師や医療従事者が患者さんと1対1で病気を治す分野です。一方、パブリックヘルスは政策や社会の仕組みを通じて大勢の人を健康にしたり病気を予防したりする分野です。間違えて取ってしまった授業を聞いているうちに「私がやりたかったのはこれだ!」と感じました。全てが英語という新しい環境の中で、授業についていくのも必死でしたが、パブリックヘルスに出会ってからは、とてもうれしくて、楽しくて、毎日があっという間でした。 こうして目の前のやるべきことに集中していくうちに、いつの間にかずっと消えることのなかった、将来に対する不安な気持ちが消えました。

    その後、ユニセフのインド事務所でヘルスコミュニケーションのインターンとして働きました。勤務中に、ハーバードでヘルスコミュニケーションの修士の専攻課程ができることを知り、応募。3度目にしてやっとハーバードに合格しました。

    そうして、その頃ようやく「新聞記者でなくてもいいのかもしれない」という気持ちが芽生えはじめました。自分の中での執着を手放せるようになると、いろいろなことがうまくいくようになりました。目的を果たすための職業は手段にすぎず、自分が登る山さえ決めれば、行き方はいろいろある。そう自然に思えるようになったことで、将来について悩むことがなくなりました。

    ハーバード大に行くと、学生も教授も悔しかったり壁にぶち当たったりした経験をしていない人はいないこともわかりました。また、日本との教育の違いにも目からウロコでした。印象的だったのは、「君には君のすばらしさがあるから、自信を持って前に進め」という教授の言葉です。苦手なことは恥ずかしいことではない。一人で世の中を変えていこうなんて無理で、それぞれの人が得意なところを提供しあってチームとして、良い社会を作っていくことの重要性を体感しました。1日かかってやっと仕上げた統計の宿題を、ある友達はほんの40分くらいで仕上げていたり。その逆も然りで、私がウキウキしながら解ける理論の問題を友達が数時間以上頭を抱え込んでいたりなど、このような場面を何度も体験しました。

    私が得意な分野をもっと伸ばし、苦手な分野は、それを得意だと思う人と組むことで、いろんなことの効率が良くなると素直に思えたのです。

    私は、ハーバードに行く前、自分に自信がありませんでした。ですので、「苦手だ」ということも「負け」を認める感じで悔しかったのです。でも、ハーバードで「悔しい」といったレベルではなく、心からすごいと思える友人や先生たちに出会い、彼らと一緒に、社会を変えていきたいと謙虚な気持ちを持てるようになりました。また、得意な部分に自信を持つことができたことも大きかったと思います。これは、苦手なことを放棄したり諦めることではありません。苦手なところも得意なところも全て受け入れる。そこで、自分は何ができるのかと考える視点です。

    全て一人で何でもできる人はいません。苦手なことは、苦手なことをサポートしてくれるチームを作れば良いのです。私は今でも、事務作業や細かい数字の計算が相変わらず大の苦手ですが、優秀でやさしいスタッフや仲間の研究者のおかげで、いろいろな仕事に楽しく取り組むことができています。そのおかげで、私は大きな絵を描いたり、チームをまとめたりすることに専念できています。思えば学級委員などをよくやっていたので、小さい頃から「息を吸うようにできること」は、あまり変わらないのかもしれません。

    親御さんは、その子が目をキラキラさせる瞬間に出会えるような環境をつくってあげたり、刺激にさらしてあげるとよいのではと思います。その子が目を輝かせる瞬間に、その子の魂が現れていると感じるからです。

    林さんから子どもたちへのメッセージ

    職業は手段、固執しないで大きな流れに委ねてみよう

    林英恵さん

    日本ではよく、子どもたちに「大きくなったら何になりたい?」と聞きます。これは知らないうちに、職業で自分の未来を限定してしまう質問になっていると感じます。 「何になりたい」という質問の仕方だと、子どもたちが知っている職業の中でしか、仕事を見つけらなくなるからです。代わりに私は、「何をしたいのか」「何がやりたいのか」を聞きます。子どもたちが思い描く未来には、まだ時代が追いついていなくて、職業として存在していない仕事もたくさんあると思うのです。

    私は「使命」ということばが好きです。使命とは、「命の使い方」。「自分が何をやりたいか」イコール「自分が残された命をどう使うか」ということです。家族のために使いたい、絵を描いていきたい……何でもいいと思います。私は、自分の人生を考える時に、残りの命を何に使っていきたいか、という視点で考えます。そうすると、命は有限であること、そして、自分が大切にしたいものの優先順位がはっきりするからです。その上で、目の前のことを一つ一つ丁寧に行っていけば、自然に、自分の行きたい方向に、道が開けていくと感じます。

    『アルケミスト』という小説で、「when you want something, all the universe conspires in helping you to achieve it(君が何かを欲しいと願うなら、全宇宙が君の願いを叶えようと手助けしてくれる)」という一文があります。自分の人生の中で、自分の意思で決められていることは限られています。だからこそ、細かい人生のプランは決めなくてよく、偶然が起こすキャリアを受け入れて、それを力にしていくのが大切だと思います。これは、スタンフォードの教授が唱えているPlanned Happenstance(計画された偶発性)というキャリアの理論でもあります。その積み重ねが大きな流れを作っていくのだと感じます。

    私がそう感じる背景には、新聞記者という職業に就いてやりたかったこと-例えば、自分の名前で記事や論文を書いたり、講演をしたり、マスコミを通じて大勢の人に社会問題を訴えたりすることなど-は、全部実現しつつあるからです。 そしてもう一つ、私の原点でもある、幼少の時に強烈に思い描いた「日本だけではなく、世界に飛び出したい」という思い。こちらの夢も、ニューヨークの会社で働いたり、JICAの仕事を通じてタイ政府の職員の方々に講義をしたり、国際機関と仕事をすることで、手段は全く想像していなかった形で着実に叶いつつあります。

    職業に縛られていたころ、私はやりたいことの手段を自分で狭めていました。手段を1回忘れて、自分が没頭できることに取り組んで、目の前のことに集中していたら、どこからか、自然にこういう話が来るようになりました。本当に、想像もしない形で。天職と出会えた人たちに聞くと、このような形で「ミラクル」に出会えている人が多いと感じます。

    日本では、人事を尽くして天命を待つということわざがあります。英語でも、「Man proposes, God disposes(人間が提案をして、神様が決める)」という、似たような意味の言葉があります。大きな流れに身を委ねて、自分の可能性を解放する勇気が必要なのだと思います。

    林さんのこれからの目標とは?

    誰もが「生きていてよかった」と思える社会を作りたい

    林英恵さん

    私が取り組んでいるパブリックヘルスの分野では、いろいろな問題が複雑化しつつあると感じています。現在も、アフリカでは、その日生きられるかどうかという貧困や飢餓、感染症に苦しむ人たちがいます。その一方で日本では、人々が長生きするようになった結果としての高齢化がもたらす課題に直面しています。

    私は現在、日本にいる時は、仕事に加えて、90歳を超える祖父母の介護もしています。介護では、悲しさ、怒り、悔しさ、寂しさ、情けなさ、喜び、笑い、愛しさ、安らぎ-これでもかというくらい色々な感情を味わいます。でも嫌だと思ったことは一度もありません。ただ、心が痛くなるのは、祖父母が面倒を見ている家族に対して、よく「長生きして申し訳ない」と言うことです。祖父母たちだけではありません。近所のお年寄りたちと話をすると、そういう風に感じている人が多いことに気がつきます。

    今まで、パブリックヘルスのゴールは、人々を長生きさせることでした。でも、日本が長寿国という目標達成しつつある今、実際長生きしている人たちが申し訳ないと思う社会になっている。そう思わせてしまっていることは、とても悲しいことです。彼らが幸せでいられるようなパブリックヘルスの新しいゴールと、そのための新しい社会づくりが必要だと思います。

    「命」の問題が、さらに難題になってきているからこそ、地域や人種にかかわらず、人々が与えられた命を全うでき、さらに「生きていてよかった」と思える社会をつくりたい。これが私の使命です。

    ここまでくるのに時間がかかりましたが、その実現のため、私は今世では「パブリックヘルスに身を捧げる」と決めています。方法には2通りあります。ひとつは政府や企業などの組織を通じた大きな視点で、人々がより健康的な行動や習慣を取れるようにするための仕組みを作る仕事です。社会を変えるには、法律や社会制度、施策などを通じて「社会の仕組み」を変えなくてはなりません。政府や国際機関、自治体、企業などとともに変えていくことが必要です。この課題には、現在務めている会社を通じて、引き続き携わっていきたいと思います。

    もうひとつは、国や地域にかかわらず、地域の人たちを対象にしたコミュニティでの仕事です。パブリックヘルスは大勢を対象にする領域です。ですので、臨床医が1対1で患者と接することができる医療と違い、私たちが普段扱うのは死亡率や病気になった人の数などの数字で、一人ひとりの顔が見えにくい分野です。マンハッタンや東京のオフィスにいると、とても居心地は良いのですが、人々と距離が遠くなってしまうと感じることがあります。

    パブリックヘルスが対象としている人たちの近くで、人々が普段感じていることを知る機会を持つ必要があると感じました。そのためにニューヨークでヨガの資格を取り、日米で教え始めました。また、私の母は料理教室をしています。体を動かすことと食事は、健康でいるためにパブリックヘルスで最も大切なことの1つです。この2つの領域で、科学や健康になるための方法を、実際に運動したり、おいしいものを食べたりしながら、わかりやすく伝えていきたいと思います。そのために、日米で少しずつ活動を開始しました。将来的には、日米でスタジオをつくって、科学の力を実践の場に還元し、現場の声を研究にして世の中に貢献していく活動をしたいと思います。

    紆余曲折を経て、ようやく、異なる分野に「橋をかける」ことが、自分の強みであり役割だと気づきました。私がかけようとしているのは、研究と実社会、アメリカ(西洋)と日本(東洋)、科学と(ヨガや食事などの)古代の知恵をつなぐ橋です。これに当てはまるものであれば、これまで通り、偶然という名の必然を楽しみながら、求められるところで、自分ができることを精一杯行っていきます。そして、使命を果たすために国境を越えて挑戦し続けたいと思っています。

    前編を読む

    関連リンク
    マッキャンヘルスケアワールドワイドジャパンマッキャングローバルヘルス(英文ページ)


    林英恵さん 

    前編のインタビューから

    -好奇心旺盛だった林さんの子ども時代
    -林さんが英語を学ぶきっかけは空港にあった!?
    -林さんが大学卒業後に味わった挫折とは?

    前編を読む

      この記事を知人に薦める可能性は、
      どれくらいありますか?

      12345678910

      点数

      【任意】

      その点数の理由を教えていただけませんか?


      このアンケートは匿名で行われます。このアンケートにより個人情報を取得することはありません。

      関連記事

      バックナンバー

      © 2001 Kumon Institute of Education Co., Ltd. All Rights Reserved.