どうしたら一人ひとりが力を発揮し
気持ちよく働けるかを研究
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私の専門は「労働経済学」です。現在の所属は社会学部なので、「なぜ経済学部ではないの?」と思われるかもしれませんが、社会学部の中にある産業関係学科で、雇用や労働について学際的に研究しています。
大学院の博士論文では、新卒労働市場について実証分析をしました。ここが研究者としての私のスタートですが、就職活動について考えたとき、学生がそれまでにどういう力をつけてきたのか、また就職した後のキャリア形成を考えることも大事だと思い、現在は大学入学前から就職後まで一連の流れを多面的に見ています。どうしたら一人ひとりが力を十分に発揮し、気持ちよく働けるかを考察するためです。
研究にあたっては、調査をしてデータをとり、それを統計的に分析したエビデンス(根拠)をもとに主張していく、という方法論をとっていることもあり、学部の授業では、「産業調査統計論」を担当しています。統計やデータを読むうえでの基礎知識である「データリテラシー」は、さまざまなデータがあふれる今、仕事をするうえでも生活していくうえでも必要な知識だと思います。
それ以外にも、大学1年生の導入教育や「現代社会と労働」といった科目で、「働くこと」について教えています。
「期待に応えたい」と頑張る長女体質
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私は大阪・堺市で生まれ育ちました。弟が二人いて長女だったこともあり、何か役割を与えられたら、それを全うしなければ、と思うような責任感の強い子でした。自分が頑張ることで誰かが喜んだりほめられたりするのがうれしくて、周囲の期待に応えたかったんですね。そうした役割意識は今でもあると感じます。
完璧主義なところがある私ですが、性格は父に似ていると思います。実際、話も合います。母は逆にとてもおおらか。父と母が対照的なのは、子どもとしては救われることでもありましたね。私自身の経験を踏まえても、周囲がみんな同じことを言う環境は、子どもにとっては逃げ場がなく、必ずしもよいとはいえないのかもしれません。
“しっかり者”の長女体質は学校生活でもそのまま発揮されて、以前小学校の同窓会に出席したときに、担任だった先生から「いろんなことに気を遣って、よく頑張っていたよね」と言われました。その頃の私は「学校のことはおろそかにしてはいけない」という意識が強くあり、中学受験の前日の耐寒登山にも迷うことなく参加したほどでした。
先生が当時の私の頑張りを認めて、それを覚えていてくださったことはとてもうれしかったですね。その先生との会話で、私は一気に“頑張っていた頃の自分”に戻してもらった気がしました。同時に、先生という存在は「振り返る力」を与えてくれる、とてもありがたい存在だと感じました。
教育とは、すぐに成果は見えないけれど、何十年か先に「ああ、そういうことだったんだ」と気づくもの。私も今、学生を指導する立場になり、後から振り返ってありがたかったと思われるような存在でありたいと思いました。
希望の学部に入れず、「仮面浪人」の道へ
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子どもの頃の私は、本をよく読んでいました。私の親は、何かあったら「本を買ってあげよう」と言ってくれて、伝記や少年少女向けの名作文学集などを1冊ずつ買ってもらうのがうれしかったですね。
母はかつて中学校の体育教師をしていましたが、出産を機に辞めて、子育てが一段落したころ、私が小学4年生のときに公文式教室の先生になりました。母が公文の先生になってから、私も公文で算数を学習するようになりました。当時もそれなりに一生懸命取り組んでいたと思いますが、公文の積み重ね学習の大切さを本当に実感したのは、大学に入る頃でした。
今振り返ると、中学・高校での私の学び方にはムラがありました。自分が得意な分野の問題には進んで取り組むのですが、あまり好きではない問題はなんとなく避けていたのです。それでは本当の力はつきませんよね。成果を得るには、コンスタントに勉強することが大事。まさに公文がそうだと思います。「これが終わらないと次に進めない」というのは子どもにとっては厳しい学習法だとも思うのですが、必要な学びから逃げずに向き合って積み重ねていく学び方を子ども時代に身につけていれば、その後何をやるにしても強いでしょう。
当時、私もそのことを頭ではわかっていたのですが、なかなか実行できませんでした。その結果、大学受験では第一志望の医学部を受けられませんでした。英数国で受験できる経済学部を受け、そこには合格しましたが、やはり医学部に入りたくて、経済学部に籍は置きつつも大学には行かない、いわゆる「仮面浪人」をして予備校に通うことにしました。
関連リンク浦坂純子先生研究室サイト
![]() | 後編のインタビューから -浦坂先生が今の道に至るまで |