「なんで?」ばかり言っている子どもでした
とにかくいつも「なんで?なんで?」ばかり言っている、好奇心旺盛な子どもだったようです。よく「子どもの『なんで?』をつぶしてはいけません」って言いますけど、親側からしたら大変だっただろうな、と。
幼稚園のときは、寄り道しながら草を見たり、バッタを捕まえたり、とくにアリの行列を見るのが好きでした。今、自分の子どもを昆虫ツアーに連れて行っても、私のほうが先に虫を見つけられますしね。身の回りの自然が好きで、おそらく不思議な動きをするものが好きだったんだと思います。休みのたびに両親は海や山に連れて行ってくれて、本当に自然の中で幼少期を過ごしていました。
公文を始めたのは4歳のとき。先に通っていた姉にくっついて行っていました。最初の頃はえんぴつで道をたどる迷路が楽しかったんですけど、あれよあれよという間に迷路から計算になって、「アレ? ちょっと違う?」って(笑)。両親からはよく、「公文が終わるまでは遊ばせない」って言われて、泣きながらやってましたね。でも、続けていて本当によかったと今では思います。4歳から算数を始め、小学生のときに国語と英語も入会。中学生のときに数学は高校相当の教材が終わりました。その貯金のおかげで学校の授業はだいぶ楽でした。だから私が「やめたい」と言っても、「自分でやりたいって言ったんでしょ!」とたしなめてくれた両親には感謝の気持ちでいっぱいです。
公文の他に行っていた習いごとはスイミングとピアノでした。でも水泳は小学校でやめて、ピアノは中学まで。この2つに関しては、やってみて自分に才能がないことがよくわかりました。才能がないものってできないんだなっていうのをひしひし感じたというか。いい意味であきらめがついたのは良かったと思います。
相対性理論がわかったらカッコイイ
小学校の頃に憧れていたのはムツゴロウさんです。当時は動物番組ばっかり見ていました。あと……宇宙。宇宙に興味を持ったのは中学のときで、ホーキング博士の宇宙論に憧れたり、『まんが・アトム博士の相対性理論』は大好きな一冊でした。相対性理論とかブラックホールとか、わかったらカッコイイな、と思っていました。
とにかく当時は本をたくさん読んでいて、くもん出版から出ていた科学雑誌『コペル21』も愛読して、それですごく理科が面白いなと思うようになりました。文系に進む人に話をきくと、数学ができなくてつまずいて……というのが圧倒的に多いじゃないですか。たしかに先取り学習は難しくて、苦戦して時間もかかりましたが、数学に苦手意識を感じなかったのは、公文を続けていたのが大きいと思います。
中学生くらいのときでしょうか、漠然と「東大に行きたい」と考えるようになったのは。宇宙への興味がムクムク沸いていた時期でしたし、東大に行ったら思う存分宇宙の研究ができるんじゃないかと夢見ていましたね。また高校時代にNPO法人「数理の翼」のセミナーに参加したことも、東大への思いを強くしたきっかけかもしれません。セミナーでは、高校生たちが1週間合宿して、そこで大学レベルの講義を受けます。セミナーで知り合った東大のお姉さんに「(東大には)面白い人がいっぱいいるからいいよ」と言われたんです。宇宙の研究も進んでいるからって。
とりあえず「できる!」と言っていた学生起業家時代
あと、やっぱり親の影響もありました。うちの親は「東大に入れ」とは言わなかったですけど、ことあるごとに「東大に入ったら好きにしていいよ」って。どうせ無理だろうからと思っていたらしいですけどね。むしろ親にごちゃごちゃ言われたくないから、「よっしゃ、入ってやる!」ってムキになっていました。
結果的に一浪はしましたが、念願の東大に入学することができました。そして、大学生のときに初めての起業をしました。家庭教師のアルバイトをやろうとしていたんですけど「自分で家庭教師をやるより、家庭教師の派遣会社やったら?」って知り合いに言われたんです。そこからスタートして、その後「理系なら、プログラミングはできる?」ときかれたことがあって。私自身はできなかったのですが、私の周りにいる友だちはできたので、つい「できる!」と言ってしまいました(笑)。
その決断をしたときも、「個人として請け負うよりも、会社にしたほうができる仕事も大きくなるのでは?」という考えがありました。「何でも背伸びして答える」というのはそこで得た教訓かもしれません。人間、やってみたら意外と何でもできるものです。だからとりあえず「できます!」と言う。もちろん、「できる」と言ったからには責任をもってやり遂げる、血のにじむような努力が待っていますけどね。
関連リンク株式会社ALE
前編のインタビューから -東大時代に浮かんだ人工流れ星のアイディアとは? |