高校時代の米国留学体験が大きな転機に
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小さい頃の夢は、父と同じプロゴルファーでした。その後、中学2年の時に憧れ始めたのが戦場ジャーナリストです。中学2年生の夏休みだったでしょうか、何気なくインターネットを見ていたら、戦場で兵士に銃を突き付けられた母親が子どもを守ろうとしている写真が目に飛び込んできました。僕らは日常、テレビで人が殺されるドラマを見たりしているけれど、ドラマはあくまでドラマ。でもこの写真の次の瞬間には、実際に人が亡くなってしまったかもしれません。そういう写真を撮って世の中に伝える、訴えることができる戦場ジャーナリストってすごい仕事だ、と思ったんです。
この仕事に就くには、英語が不可欠だと思い、高校3年の時に米国ミシガン州の高校に1年間留学しました。しかし、はじめは差別もされて苦労しました。何を言っているかは分からなくても、すごく嫌な顔をしながらぼそぼそっと言葉を吐かれれば、さすがに内容の見当はつきます。ホストファミリーの家の自分の部屋で枕に向かって叫んだり、雪に向かって叫んだりしたこともありました。
でも、僕は人と話すのが大好きだったので、「you」「I」「like」「yes」みたいな、ごく少ないボキャブラリーを駆使しながらしきりに話しかけていたら、そのうちみんな「面白いやつ」と打ち解けてくれるようになりました。その高校ではジャーナリズムを専攻して、スポーツカメラマンの実習をやっていたのですが、アメフトの試合の撮影に行くと他の生徒がブースで撮っているのを尻目に、許可されていたコートぎりぎりまで迫って撮影して、「あんなところで撮っているクレイジーな日本人がいる」と人気者になってしまったことも(笑)。そんなことで、全校の人気投票で1位に選ばれるほど溶け込めましたし、7ヵ月くらいで気が付いたら英語が飛躍的に聞けて、話せるようになっていました。