勉強したい気持ちに年齢は関係ない
結婚して一度仕事を辞めまして、再就職したのが大阪市の外郭団体でした。そこでは放課後の教室を使って子どもたちに伝統の遊びを教えたり、勉強を見てあげたりしまし た。その中で私はネイチャーゲームを企画したり、自分自身も野外活動に参加したり……やっぱりどこかで「野生動物」を引きずっていたんでしょうね。このままこの仕事を続けるか、せっかく教員免許があるのだから教員の道を再び目指すか、ずっと悩んでいました。
そんな時に夫が、「本当にやりたいことをやったら」と言ってくれたんです。夫は私が小さい頃から野生動物を守りたいと思っていたことを知っていました。当時私は25歳。大学に入り直すには年齢が行き過ぎていると躊躇する私に、「勉強したい気持ちに年齢はないよ」と背中を押してくれたのも夫でした。それで、「3年がんばってダメだったら諦めよう」と。外郭団体の仕事を続けながら受験勉強を始めたんです。
もちろんそんなにうまくはいかなくて、大学受験には二度失敗。約束の3年目の年になって、「もう今年で最後だし、思い切って色々な先生のところに話を聞きに行こう」と、野生動物の研究をしている先生を調べて訪ねてまわりました。
そして哺乳類の研究で有名な大阪市立大学に行ったときに、思いもよらないことを言われたんです。「君、大学院受けたらいいじゃない?」。びっくりしました。大学院を受験できるということ自体知らなかったから。もう一回勉強し直すというのは、イコール大学に入り直すことだと思い込んでいたんですね。でも私は文系出身だし、いきなり大学院って……と迷っていると、先生が「やってみないとわからないよ。落ちるときは落ちるし」って。そこで急きょ大学院受験に切り替えて、何とか合格することができました。夫に背中を押してもらい、先生にヒントをもらい、私の人生は新たなスタートを切りました。
生態研究から見えてくる保護活動の形
![]() カヤネズミ |
自分が文系だったことは、ある種のコンプレックスでした。でも大学院に入って、勉強するうちにこの分野においてそれはあまり関係ないと気づきました。数式を作ったりする学問ではないわけですし。ただ、大学院の授業以外に学部の授業も取るなど、2年間はどっぷり勉強と研究の日々でした。そこで痛感したのは、この研究には明確な答えがないということ。答えのないものを自分で探しに行き、見つけなければならない。
カヤネズミについてはとくに前例がないので、いざ見つけても次に何をするべきなのか、すべて手探りなんですよね。でも答えのないものを探すのは楽しい。最初は辛かったけど、探究を続けるうちに誰も分からなかったことが分かってくる喜びを感じました。
そして、修士論文を書き上げた頃には自然と博士課程に進みたいなと思うようになりました。本当は修士で辞めるつもりだったんですけど……。ようやく研究に自分なりの工夫を加えられるようになって、フィールドでの活動も充実してきた頃でした。先生に博士課程行きを相談すると、「そう言うと思ってたよ」とニヤリとされましたね。
「どうしてカヤネズミを守ろうと思ったんですか?」という質問をよくされます。私自身、カヤネズミを守ろうと思って大学院に入ったわけではありません。野生動物を守りたいという気持ちが芯にはありましたが、大学でするのは保護ではなく生態の研究。保護活動は完全にサイドワークです。しかし生態研究という立場から保護活動を考えると、また違った見え方をするんです。生態がわかればわかるほど、研究をやっているからこそ守るべきポイントが見えてきて、「守らなければいけない」という考えに行きあたりました。やるべきことを突き進めていった結果、全国カヤネズミ・ネットワークができ上がったのです。
茅原などで、草の葉を上手に編んで巣を作り、自身をカモフラージュし、オヒシバやエノコログサ、バッタやイナゴを食べながら、自然の中でひっそりと生きてきたカヤネズミ。カヤネズミのような身近な野生動物にとって生きづらい環境が、同じ動物である私たち人間にとっていいとは決して思えません。カヤネズミを始めとした人間生活に近い環境にある生物の保護と生息地の保全から、今自分たちを取り巻く環境について考えて欲しい……そんなことを思いながら全国カヤネズミ・ネットワークの活動を進めています。
一つひとつできることを積み重ねていく大切さ
![]() 畠佐代子さん著書『すぐそこに、カヤネズミ』 (くもん出版刊) |
これまで、「野生動物を守りたい、そのためには知識が足りないから勉強しよう」「カヤネズミの生息地を守りたい。そのために、日本中の人に協力してもらって、不足している生息情報を集めよう」……といった具合に、自分に足りないものを一つひとつ埋めて今があると実感しています。今、野生動物にとって必要なことは何なのか、それこそが私を動かすモチベーションです。
じつは研究を辞めようと思ったことも何度かあるんですよ。人間関係も経済的にも、しんどいことは多いですし。でもそういうタイミングのときに、必ず誰かがカヤネズミの話を持ち込んでくるんです! それに取り組むうちにまた気持ちは研究に戻されていく……。辞められないんですよ。私はこれを「カヤネズミの神様」って呼んでいます(笑)。もう運命なんだろうなって。
もちろん私が守りたいのはカヤネズミだけではありません。野生動物というとアフリカのサバンナのような場所を思い浮かべる方も多いかと思いますが、私は自分にできる形で野生動物を守るためにはどうしたらいいのかを考えたとき、カヤネズミが暮らすような身近な自然に目を向けるべきなのだろうと思ったのです。
私が今一番願っているのは、もっと子どもたちが草原に遊びにきてくれること。カヤネズミのような身近な野生動物は、人の暮らしと密に接しているので、色々な意味で開発の波にさらされやすいんです。
急に今日守れと言われても守れるものではありません。だからまずは知ってもらう。そして河原や自然を好きになってもらって、ギャップを少しでも埋めたい。それが私の担うべき役割かな、と思っています。私が見つけられなかったカヤネズミの巣を、いとも簡単に見つけてくるのはいつも子どもたちなんです。大人が考えているより、子どもたちの「自分で答えを探そうとする力」はスゴイんですよ。
大きな目標を達成するためには、一つひとつ自分のできることを積み重ねていくしかありません。私は17年間、桂川のフィールドに通い続けています。正直「今日はイヤだなぁ」と思うときもあります。でも行く。その日のデータはその日しかとれませんし、先週見つけられなかったものが、今日見つけられるかもしれないからです。
勉強も、保護活動も、単調なことの繰り返しですが、あきらめないでほしい。やっている過程は地味でも、身についたものは自分の財産になります。カヤネズミの巣も一つ二つでは何も分からないですが、百二百と見つければ答えが見えてくるのですから。
関連リンク 全国カヤネズミ・ネットワーク『すぐそこに、カヤネズミ』(くもん出版)
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前編のインタビューから -カヤネズミの生息地が消えていく現実 |