興味深い対馬特有の生きもの
子どもたちにわかりやすく伝えたい
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対馬って、蛍がほんとうにきれいなんです。これが“残したい景色”というものなんだなと、身をもって感じました。私は生まれ育った神奈川県から対馬に来て、もうすぐ2年を迎えます。対馬には本州に生息する生きものだけでなく、対馬独自の自然があり、生きもの好きにとってはとてもおもしろい場所です。
対馬ではツシマヤマネコが生態系の頂点です。減農薬でお米を栽培することで、ヤマネコのえさとなる生きものを増やすことができます。減農薬で作られている“ヤマネコ米”はそんな取り組みのひとつです。ヤマネコが生息できるということは、豊かな環境があることの証で、ヤマネコを守ることは環境を守ることにつながります。
![]() 福馬(対馬野生生物保護センター提供) |
かつて300頭と推定されていたヤマネコは、減少の一途をたどり、1998年には絶滅危惧種に制定されました。保護活動で減少のスピードが緩やかになったものの、現在70~100頭。減少理由のひとつが交通事故です。対馬野生生物保護センターでは、事故などでケガをしたヤマネコを保護して治療し、野生で暮らせるか確認してから発見された場所の近くで放しています。センターでは「福馬」という名のオスを飼育し、来館者に公開しています。(※2019年1月現在、体調不良のため公開休止中)
ヤマネコを守るためには、何より「知ること」が大切。そのため、イベントの企画運営や季刊誌「とらやまの森」の発行、展示パネルの制作・掲示などをするのが私の仕事です。中でも力を入れているのが、対馬の子どもたちへの啓発活動で、小中学校で「ヤマネコ教室」を行い、ヤマネコの特徴や対馬特有の動植物についてお話したりしています。また、ケガをしたヤマネコを見つけたら必ずセンターに連絡するようにお願いすることもあわせて行っています。
日々の活動は故郷に誇りをもってもらいたいと思いながら、わかりやすく伝えることを心がけています。最近は、イトトンボの雄と雌の見分け方など、いろいろな生きものの質問を受けるようになりました。子どもたちの生きもの全体への関心が高まっていると感じ、うれしくなります。今後も学校の先生方と連携して、子どもの興味を広げるお手伝いができればと思います。
自然に囲まれて過ごした幼少期
中学時代には牧場で職場体験
とはいえ、私はこれまで対馬とは縁があったわけでも「島暮らし」がしたかったわけでもありませんでした。ただ、生きものには小さいころから関心がありました。
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自然が残る神奈川県茅ヶ崎市で生まれ育った私は、アリの巣穴をほじくったりセミの抜け殻を集めたり、自然の中で遊ぶことが好きな子どもでした。そんな私の様子を見ていた母は、近所にあるごく一般的な幼稚園ではなく、遠方にある自然遊びを重視する幼稚園に通園させてくれたり、田植えなど自然が絡んだイベントにも積極的に連れ出してくれたりしました。じつは姉も生きもの好きで、生物系の学校を出て動物関係の施設で働いています。小さいころのことはあまり覚えていませんが、そういった経験が今の仕事につながっているのかな、と思います。
小学生の頃、姉の中学に遊びに行って親しくなった先生が海へ魚獲りに連れて行ってくれるなどしてくれました。その先生の影響もあり、私の生きもの好きに拍車がかかりました。中学生のときの職場体験は、自ら牧場を選択。一方で私は「食べること」も大好き。そこで、高校は普通科か農業高校かで悩みましたが、中学の先生のアドバイスで、選択肢が多い普通高校へ進学することにしました。
大学受験の頃になると、管理栄養士に興味が出てきたり、畜産もいいな、獣医さんになろうかな、と将来の進路に迷いが生じ始めました。結局、生きものと食べものとのつながりを深く学びたいと、農業大学の畜産学科へ進みました。
KUMONで身に付いた「生活の中に勉強時間を」という習慣
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私がKUMONに通うようになったのは、小2の頃です。姉が通っていたことも影響していますが、自然にどっぷり浸かった生活の中、勉強のほうを心配していた母のすすめでした。母によると、私は小学校に入学後、「みんな字が読めるのに、なぜ自分だけ読めないのか」と、悩んでいたらしいんです。
小2で算数を、小6で英語も始め、中学生になってからは英語だけに絞り、高2まで続けました。ほかに習っていたピアノや水泳は続きませんでしたが、KUMONだけなぜそんなに続いたのかというと、ひとことでいえば「楽しかった」からだと思います。
私は「自分だけ字が読めない」ことがコンプレックスとなって人見知りになり、学校ではおとなしかったのですが、KUMONでは先生と打ち解け、のびのびできました。そして教室でできた友だちが同じクラスになったりと、学校生活も楽しくなっていきました。
親身になってくれる先生との出会いも、長く続いた要因です。印象に残っているのは中学のとき、英検会場に先生が付き添ってくれたこと。終わったときに「終わったね!」と優しく迎えてくれた記憶があります。高校に入ってからは吹奏楽部の活動が忙しくなり、あまり通えなくなりましたが、日程や時間を調整してくれるなど、私がストレスなく通えるような工夫をしてくださいました。本当にありがたかったです。
KUMONに通い続けてよかったと思うのは、「生活の中に、ある一定時間勉強する時間をつくる」という習慣がついたことです。その延長線上のような形で「ノートをとるくせ」がついたのも、よかったと思っています。大学時代の実習やボランティア活動など、何かしたら必ず、自主的に「書いてまとめて振り返る」ようになりました。働き出した今でもその習慣は続いています。イベント後に反省点を書き記し、ときおりノートを見返し、次のイベントに活かしています。
関連リンク対馬野生生物保護センター 『ツシマヤマネコ飼育員物語』
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