東大で初めて知った「わからない」という感覚と「わかる」喜び
幸い勉強は得意なほうで、ゲーム感覚で取り組んでいました。今考えるとすごくイヤな生徒だと思うんですけど、先生の傾向と対策を考えて、同級生に「あの先生だったらこれを出すと思う」というようなことを言ったりしていました。ですから、本当の意味で勉強に苦労したのは大学に入ってからかもしれません。私はどちらかというと文系科目が得意だったのに、無理して理系に入った口。「わからない」という感覚が初めてわかり、そのぶん「わかる」ことの喜びも初めて知りました。
「スペースコロニーを作りたい」という夢(前編参照)からは当然、専攻は航空宇宙工学科に進むはずだったのですが、おそらくそこでの勉強に私はついていけないだろうと思っていました。当時一番好きだったのが「化学」でしたので、私の場合はその分野から宇宙方面の仕事ができたらいいなと思っていました。
それにしても東大の理系の方は「わからない」への追究がすごかった。一方の私は、浅いところで納得してしまう。とはいえ、今さら文系の人たちの頭の回転の速さや事務処理能力で勝負できない。そんな感じで、私は文系と理系の間をずっと探っている、いわばモラトリアムだったと思います。でもそのモラトリアムがあったからこそ、今サイエンスコミュニケーターという仕事をしているんだろうなとも思うのです。思わぬところに宝は転がっていたと。
もし子どもを理系に、科学好きにさせたいと願うなら、まずはお父さんとお母さんが科学に興味を持ってほしいです。「理系は苦手」というのは思い込んでいるだけの場合が多い。「カソウケン(*)」の掲示板で感じたことですが、理系が苦手だという人ほど鋭い質問をされるんです。「卵を使った後の容器に水をジャーっと注ぐと泡立つのですが、これは界面活性剤と関係ありますか?」とか。これは実際にそうで、卵黄の中にはレシチンという界面活性剤が入っているんです。じつは「理系は苦手なんですけど……」とおっしゃる方にそういう素晴らしい見立てをされる方が多いので、まずは「苦手」という鎧を取り払って科学と向き合ってみてはいかがでしょうか。
*カソウケン…内田さんが運営する“家庭総合研究所”サイト。記事末尾の関連リンク参照