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Vol.052 2018.02.09

サイエンスコミュニケーター
工藤光子さん

<前編>

目に見える形にすることで
科学の面白さと正しさ

より多くの人に伝えられる

サイエンスコミュニケーター 立教大学特任准教授

工藤 光子 (くどう みつこ)

1970年、神奈川県生まれ。名古屋大学大学院理学研究科生命科学専攻修了。1996年よりJT生命誌研究館に勤務。2004年に出産を機に退職し、2008年までアメリカとドイツで暮らす。帰国後、2010年より立教大学理学部にサイエンスコミュニケーションプロジェクトのプログラムコーディネーターとして採用され、2013年から特任准教授に。教鞭をとる傍ら、2011~2016年には新学術領域「細胞壁情報処理機能」広報担当として、ホームページ制作や移動展示作成を行う。2016年より国際生物学オリンピック日本委員会の運営委員も務める。

工藤光子さんは、科学分野の最新の研究を一般の人に向けてわかりやすく解説する「サイエンスコミュニケーター」という仕事に携わっています。その仕事の役に立っているのが、なんと子どもの頃からの趣味である手芸とのこと! 科学と手芸という一見関係なさそうな分野を組み合わせて、独自の方法で科学の魅力を一般の人に伝えている工藤さん。プライベートでは2児の母でもあります。出産・子育てを経てどのようにキャリアを積んできたのかなども含め、これまでの道のりをうかがいました。

目次

    サイエンスコミュニケーターのパイオニアとして

    工藤光子さん
    工藤先生は着物が好きで、スーツを着るような
    シチュエーションには着物を着ているとのこと。

    私は日本でおそらく一番初めに「サイエンスコミュニケーター」という職業を名乗った人物だという自負があります。サイエンスコミュニケーターとは、「科学に関する情報を伝える人」のこと。ですから、科学雑誌を作っている人、理科の教科書を作っている人、理科の先生、科学館の職員も、広い意味ではサイエンスコミュニケーターといえますね。

    私自身は生物・自然・医学などのライフサイエンスの分野で、科学の成果をビジュアル化することを得意としています。もちろん文章も書きますが、言葉で書かれたものを理解できる人は、放っておいても自分で勉強できます。一方で、専門的な知識を持たない人はビジュアルからのほうが理解しやすいものです。そこで私は一般の方々に向けて、科学に対する興味を持ってもらうために、ビジュアル化に力を入れているというわけです。

    アウトプットの場は、映像や科学館での展示、ホームページなど、さまざまなジャンルです。特に私の専門とするライフサイエンスの分野というのは、DNAや細胞、タンパク質など、顕微鏡で見えるか見えないかの小さいものが多い。ですから、それらを目に見える形にしてあげることが、わかりやすく解説するための第一歩ですね。

    たとえば、植物の細胞壁についての展示を行ったときには、ビーズを使って細胞壁の構造を表現しました。細胞壁は、さまざまな種類の糖が鎖のようにつながってできています。なので、糖の種類によってビーズの色を変えて、結合の違いによって、ワイヤーの通し方を変えて、それを実際の細胞壁の構造のように再現しました。

    たいていの方は作り手のそういう細かいこだわりまではなかなかわからないと思うのですが、専門家は「ほお~、こんなふうに再現しているのか」と驚いてくれます。そうやって、科学の知識を正しく、でも一般の皆さんにもわかりやすく伝えるというのが私の仕事です。

    サイエンスコミュニケ―ターとして「論文を演奏する」とは?

    論文を「演奏」することで、科学を楽しめる人が増える

    工藤光子さん

    私のサイエンスコミュニケーターとしての原点は、大学院の修士課程を修了して就職した中村桂子先生(現館長)が新しいコンセプトで作った「JT生命誌研究館」にあります。私がそこに就職した当初、当時館長だった故・岡田節人(おかだ ときんど)先生から、「論文を演奏しなさい」といわれました。

    これはどういうことかというと、たとえば音楽なら、楽譜を読めない人はたくさんいますが、演奏会を聴きに行けば誰でもその曲のことがわかりますよね。それと同じように、科学の研究成果は論文という英語の文章で書かれますが、一般の人は論文にアクセスしにくいですし、理解するのも難しいでしょう。そこで、サイエンスコミュニケーターが論文を「演奏」する。そうすることで、科学を楽しめる人が増えるというわけです。

    現代の生活に科学は深く浸透していて、たとえば病院に行けば、「あなたのゲノムタイプだとこういう抗がん剤がよいですね」という説明をされることがあります。でも、ゲノムというのは何なのかは誰も解説してくれません。ですから、一般の人こそ科学リテラシーを向上させていかないといけない。

    もちろん、現場でカウンセラーや医師がそういった努力をしているのですが、需要に対して供給の絶対数が足りません。研究する人が増えても論文の結果だけが積みあがってしまって、一般の人向けにアウトプットする人は少ないんです。それで、私のしているような仕事が求められるのです。

    私はJT生命誌研究館にいるときから、「ここを辞めたあとも、どうすればサイエンスコミュニケーターという仕事で社会にいられるだろう」ということを真剣に考えて、かれこれ20年近く、一つひとつの仕事に取り組んできました。最近では、サイエンスコミュニケーターを育成しようという動きも出てきていますが、残念ながら「サイエンスコミュニケーター」という肩書きで稼げている人はほとんどいません。ですから、私はサイエンスコミュニケーターで稼げる人を育成していきたいという思いを胸に、日々試行錯誤しています。

    工藤さんが公文式で得たものとは?

    公文式で学んで、数字に親近感を持つようになった

    工藤光子さん

    子どもの頃の私は、とにかく手芸が好きでした。小学生の頃は、「1年生ではかぎ針編みをパーフェクトにこなそう」「2年生では紙粘土を極める」というように、その年のテーマを決めてものづくりに邁進していました。ビーズやフェルトの小物づくりなどの手芸だけでなく、陶芸や木工工作なども楽しくて、とにかくいろいろなものを作っていましたね。

    ものづくりが好きというのは、両親の影響も大きかったと思います。父はとても細かい部品を組み立てて船の模型を作ったり、レンガの塀を作ったりしていましたし、母もパンやケーキをよく焼いてくれました。ものづくりの魅力って、時間を形に変えることができることだと思うんです。

    この趣味は、今の仕事にも生きています。論文を読んで、「これを伝えるにはどんなものを使えばいいんだろう。そうだ、細胞壁の構造はビーズで再現できるんじゃないか」と考えつくことができるからです。最近では、結び目を作ってさまざまな形を作る「タティングレース」が、染色体を再現するのに使えそうだとひらめいたので、挑戦しようと思っているところです。

    公文式は、母親に言われて小学校6年生から通いました。算数をやっていましたが、くり返し問題を解いていくうちに、だんだん記憶がたまっていって、数への意識が立体的になる感覚を味わいました。そして、計算が正確に速くできるようになっていくのもワクワクしました。公文では数をこなして体で覚えていきますが、そのうちそこから法則が見えてきて、新しいことを思いつくことができます。

    仕事でも「守破離」という考え方がよく重要なものとされていますよね。新人のうちは上から言われたことを、まずはやってみる。そのうち、そこから真理を見つけ出し、自分独自のベストなやり方を編み出す。これが大切だと思うんです。

    わが子にも自分が公文で身につけた「数に対する感覚」を得てほしくて、2人の子どもも公文でお世話になりました。

    後編を読む

    関連リンク 立教大学理学部共通教育推進室工藤光子さんウェブサイト


    工藤光子さん  

    後編のインタビューから

    -工藤さんが“天職”に出会った経緯とは?
    -工藤さんが子育てで身につけた力とは?
    -工藤さんから若者たちへのメッセージ

    後編を読む

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