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Vol.096 2023.07.07

科学コミュニケーター
手作り科学館 Exedra館長
羽村太雅さん

<前編>

「体験」は大きな刺激に満ちあふれている
守破離の精神で育ち、自由に羽ばたいていこう

手作り科学館 Exedra館長

羽村 太雅 (はむら たいが)

手作り科学館 Exedra 館長/一般社団法人サイエンスエデュケーションラボ 理事長。慶應義塾大学理工学部を卒業後、東京大学大学院新領域創成科学研究科へ進学。専門は地球惑星科学。2010年6月に大学院の同級生らとともに柏の葉サイエンスエデュケーションラボ(KSEL)を創設。多数のサイエンスカフェなどを企画・運営し、また自ら演台にも立つ。国立天文台 広報普及員を経て、現在は複数の大学で非常勤講師も兼務。2015年東京大学大学院新領域創成科学研究科長賞、2016年・2017年日本サイエンスコミュニケーション協会年会ベストプレゼン賞(2年連続)、2018年千葉県知事賞(ちば起業家優秀賞)、2022年 若者力大賞(ユースリーダー支援賞)など受賞多数。テレビ出演やインタビュー記事など、メディア掲載多数。翻訳書に「くもんのSTEMナビ サイエンス」シリーズがある。

社会課題に光を当て、「社会と人々を科学でつなぐ」ことでその解決を目指そうと、豊かなアイディアで様々な場作りをしている羽村太雅さん。仲間と古い空きアパートをDIYで改修して開設した科学館の運営、まちなかでの標本の展示、自然体験活動を通じて理科に親しむスタディツアー「理科の修学旅行」の企画・運営、そして自治体や企業との協働など、幅広く活躍されています。その発想力や行動力の源は、公文式学習を含む、これまでの様々な「体験」があったからだそうです。どんな体験をされてきて、今後どんな未来を思い描いているのか、科学の魅力とともにうかがいました。

目次

手作り科学館 Exedraは
「誰もがいつでも気軽に科学に触れられる場」

羽村 太雅

私は現在、千葉県柏市で完全民営の科学館Exedraを運営しています。2階建ての小さなアパートを、東京大学の大学院生や卒業生が中心となって手作業で1年半ほどかけて改修し、2018年1月にオープンしました。「誰もがいつでも気軽に科学に触れられる場を作りたい!」という思いで、クラウドファンディングや助成金などを活用した手作りの科学館です。

小さな施設ですが、大学院で研究経験のあるスタッフがいることもあり、週末になると、柏市内や近隣の市はもちろん、都内や茨城県、神奈川県などからも多くの方が訪れます。開館当初も今も「現役の研究者に会える」ことが特色ですが、コロナ禍以降、小さなお子さんを持つ家族連れの来館が増え「実験・体験が楽しめる施設」として知られるようになりました。ワークショップは、野生動物の革を使ったレザーブレスレット作り、廃棄ブルーベリーを使った水溶液の実験など複数ありますが、圧倒的に人気なのが「化石発掘体験」です。

館内には化石や鉱物、昆虫や海の生き物の標本、手作りの3次元震源地図など、様々なものを展示しています。中でも目立つのが動物の骨や毛皮などのコーナーです。骨を受け入れることもありますが、実は特定外来生物であるキョンなど、駆除された動物がそのまま運ばれてくることが多いんです。その個体を私たちが解剖して時間をかけて骨格標本にする作業もしています。

2022年4月からは、小中学生をジュニア研究者に育てる「研究部」の活動も始めました。1年目は実験や観察を通じて研究に必要な基礎的な技能や知識の習得を目指し、2年目にはスタッフが与えた研究テーマに一緒に取り組みます。3年目以降は、子どもたち自身がテーマを決めて研究を行うというカリキュラムです。

現在、一期生8名は2年目に入った段階で、1.魚などを「解剖」して進化の歴史を紐解く、2.植物から繊維を取り出して紙を作りインクも開発して「本の作り方」の本を印刷する、3.数週間から数ヶ月で「人工化石」を作る、という3つのプロジェクトに取り組んでいます。16名の2期生たちは、温度計を作ったり岩石を削ったりしながら研究の基礎を身につけるトレーニングに励んでいます。

他にも不定期ですが、専門家による講演会や子どもたちとともに海や山を訪れて自然体験活動を通じて理科を学ぶスタディツアー「理科の修学旅行」の企画・運営、社会課題の解決に貢献する体験ワークショップや教材開発などもしています。また、地方自治体や企業からご依頼いただき、社会課題を解決するために科学コミュニケーションという手法を活用して取り組むこともあります。

いずれも「科学の現場をみせる」ことで、社会と市民を科学でつなぎ、「科学の基礎研究が応援される社会を草の根から作る」ことを目指した活動です。その他、大学で授業を担当したり、柏市の協議会や幼少期を過ごした山梨県の知事が設立した会議の委員を拝命したり、科学コミュニケーションの業界団体の副理事を務めたりもしています。

未知との遭遇が楽しめるのが科学の魅力
大人も科学を楽しんで

羽村 太雅

科学の魅力は、意外性や未知との遭遇を楽しめることだと思います。ですから、展示やワークショップなどではそうした視点を示せるように心がけています。このような私の仕事は「科学コミュニケーター」と紹介されることが多いです。科学コミュニケーターとは、一般的には「科学と社会をつなぐ仕事」と捉えられていますが、私自身は「社会と人々を科学でつなぐ仕事」だと考え、とくに場づくりに力を入れています。

例えば、先ほどのキョンのように駆除された野生動物の骨や革を活用した展示や体験プログラムによって駆除という行為の意味や生物の進化の歴史を考えてもらうきっかけを作ったり、観光客の滞在時間を延ばしたい自治体向けにこれまで少なかった親子連れを対象とした銅鏡の鋳造・研磨ワークショップを街に仕込んで宿泊や市内の周遊を促したり、まちのにぎわい創出の一環で街のお店をめぐるスタンプラリーに「体験を集める」要素を加えた上にミニチュア太陽系の中を探査して回るという世界観を取り込んだりと、社会の課題が解決に向かっていくきっかけとして、科学に触れるちょっとした仕掛けを導入し続けています。

Exedra館内での展示や体験だけでなく、我々と直接対話しなくても科学に触れ、興味を持つきっかけ作りができるような仕掛けを、街の中、人々の生活の中に実装したいですね。それによって社会の課題が解決に向かって動き出してくれれば、科学コミュニケーションという手法が「役に立つ」と認識され、ますます「社会と人々を科学でつなぐ」取り組みが加速していくだろうと期待しています。

日ごろ科学と接点がない方や「理系は苦手」という大人の方の中には「自分に子どもがいたら聞かせたい/連れてきたい」「自分が子どもの時に聞きたかった」とおっしゃる方も多いです。そんな方へは「今からでも遅くない、大人も科学を楽しんでほしい」と伝えたいですね。日常生活の中に科学との接点はたくさんありますし、折りしも、政府もリスキリング(=学び直し)を推奨し始めたので、この波に乗って社会的にマインドが変わってくれたら、と願っています。

こうした仕事の他、近年は、くもん出版「くもんのSTEMナビ サイエンス」シリーズの翻訳も手がけました。10人のキャラクターが、科学、中でもとくに物理学の基礎的な内容を紹介するマンガ形式の学習絵本で、元々は米国のコミックシリーズです。

身近な現象から基礎的な物理、そして最新の科学まで接続させる構成ですが、巻末に、英語版にはなかった書き下ろしのコラムを付け足してオリジナリティを出しました。物理を専門に学んだExedraのスタッフが分担して執筆し、イラストの細かい修正や、英語版にはなかった解説の追記など、細部までこだわりを詰め込んで翻訳しています。仲間たちみんなで協力して作り上げた、思い入れのあるシリーズで、多くの方に読んでいただけたらうれしいですね。

また、くもん出版の『科学の力で無人島脱出ボードゲーム』は科学監修をさせていただきました。無人島で素材を集め、理科を学びながらミッションをクリアして脱出を目指す、ボードゲームです。遊びながら学べるのが特徴で、理科の様々な単元からミッションを選出しました。加えて、私が大学生の頃にワンダーフォーゲル部で山々を駆け巡っていた際の経験や知識をもとに、サバイバルの部分もリアリティを追求させていただきました。2022年の夏におこなった理科の修学旅行では、このボードゲームで実際に遊んでから山へ行き、自然の中でミッションを実際に体験してみる、というツアーも実施しました。

試行錯誤の大切さ、
夢を語るマインドは両親から

羽村 太雅

実はもともと、私はとくに科学に興味があったわけではありません。もちろん、学校の授業の中では、体験が伴う理科は、体育や図工とともに好きな科目でしたが、他の同級生と比べて突出して理科に興味があったわけではありませんでした。

今につながる原点のひとつは、幼少期にあるように思います。私は小学4年生まで、自然豊かな山梨県の忍野村で過ごしました。父は週末になると毎週のようにキャンプに連れ出してくれたり、望遠鏡を買って見せてくれたりと、いろんな体験をさせてくれました。村には小学校が1校しかなく、毎日1時間以上歩いて通学し、通学路の脇に広がる田んぼのあぜ道から水路に入ってオタマジャクシやヤゴを捕まえたり、道端のイタドリをむいて食べてみたり、森の中に秘密基地を作ったりしていました。

自宅でも、金魚やカメ、イモリなど様々な生き物を飼っていました。夜空には満天の星が輝いているのが当たり前で、冬になると子どもの胸丈程度の雪が積もって除雪車が来るのが当然だったので、小学5年生の時に東京の父の実家に引っ越した時、星も見えないし雪もめったに降らないことに驚きました。

当時の夢はとくになく、「儲かるならお医者さんになろうかな、裁判官もかっこいいな、探偵もあこがれるなあ」などと、本やテレビの登場人物を見るたびに影響を受けていたように思います。

母は、私と弟が中学に入学した頃には、料理教室で働き始め、いつも料理の練習をしていました。練習台にされていた当時は、同じ料理が毎食出てきて飽きたこともありましたが、今思えば、手の込んだ手料理を食べさせてもらって、ありがたかったと感謝しています。試行錯誤することや、自立して働くこと、そして人に何かを教えるために表に出ないところでも努力する必要があることなどは、母の背中を見て無意識に認識していたのかもしれません。

ロボットの開発をしていた父は、「アトムが作りたいんだ」「血管の中に入り込むくらい小さなナノロボットを開発したい」と夢を語っていました。当時は何とも思っていませんでしたが、夢を語るマインドは父の影響を受けているのかもしれません。手先が器用で、モノづくりや絵を描くのが得意でした。私がミニ四駆を作っていた時も、絵を描いていた時も、「大人の本気」で向き合ってくれたことは、人間の限界が自分の認識や自分にできることよりはるか先にあることを教えてくれていたように思います。

幼稚園から東京に引っ越す小4まで、公文式教室に通っていました。教室では先生に丸つけをしてもらい、間違ったところを解き直し、すべて正解できるようになってから帰るということを繰り返していました。そのため、間違ったところをそのままにせず、正解が出せるようになるまで粘り強く取り組む姿勢が育まれたように思います。

また、学習者にフィードバックすることの大切さや、繰り返し学習することの重要性を認識できていたため、のちに家庭教師や大学教員などとして教育に携わるようになってからは、そのマインドが指導にも生かされているように思います。学生たちを指導する際には、個々の能力に合わせてフィードバックしたり、課題を用意したり、繰り返し学習して習得することの重要性を伝えたり。全体に向けアドバイスしても一部の学生にしか響かない。でも、一人ひとりに指摘していくと喜ぶし心に響くということに、大学で授業し始めてから気づきました。それは「ちゃんと見てもらっている」という安心感からであり、私自身が公文の先生にしてもらっていたことです。

後編を読む

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羽村 太雅  

後編のインタビューから

-謎が多い宇宙に関心をもち大学院へ
-思い通りにならなくても「運命だ」と受け入れた
-死ぬまでに地球外生命に触れてみたい

後編を読む

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