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Vol.016 2014.12.12

フリーアナウンサー 木佐彩子さん

<前編>

「夢」「成功」のかたちは人それぞれ
小さな自己実現の積み重ねが
大きな夢へとつながる

フリーアナウンサー

木佐 彩子 (きさ あやこ)

父親の転勤にともない小学2年から7年間を米国ロサンゼルスで過ごす。青山学院大学を卒業後、フジテレビにアナウンサーとして入社。2000年に東京ヤクルトスワローズ所属の石井一久投手(当時)と結婚。その後、石井投手のMLBロサンゼルス・ドジャースに移籍の際には家族で再渡米。現在はフリーアナウンサーとしてテレビ番組やCMを中心に活躍中。

アナウンサーとしてこれまで数多くの番組に関わりながら、いつも親しみやすい笑顔とポジティブなイメージで活躍を続ける木佐彩子さん。日本とアメリカ、ふたつの国で暮らしていたからこそ見えてきた、自分らしい生き方とは?

目次

アルファベットも知らないまま小学2年で渡米

フリーアナウンサー 木佐彩子さん

私は父親の海外勤務で、小学2年から中学2年までアメリカで暮らしていました。いまでは小学生から英語を学ぶのはめずらしくありませんが、当時の私はアルファベットも知らない状態でいきなり渡米。「アメリカに行ったら金髪になっちゃう……」(笑)って親に泣いて訴えていたくらい、アメリカも含め、外国の知識なんてまるでありませんでした。

いまのお母さんたちならインターネットを駆使して、「ここの学校なら英語が分からない子でも入れるクラスがある」とか、事前にいろいろ情報を集めていると思いますが、そのころはそれを調べる術もなかったのでしょうね。あたり前のように会社の前任者のご家族が住んでいた家に住み、近所の公立の学校に入学して……。ところが、学校へ行ってみたら日本人なんてひとりもいない! それから、もうたいへんでした。

ふり返ってみれば、たいへんだったのは半年くらいでした。でも、その半年間はもっともっと長い期間に感じられました。毎週、水曜日くらいになるときまってお腹が痛くなり、学校にいきたくないなぁという気持ちが募っていました。それでも、子どもながらに「これではいけない」と木曜金曜は何とかがんばって、土日を迎え、ホッとして自分をとりもどすという日々でした。

いまは私自身も含め、親が手をかけすぎる傾向があるように感じます。けれど、子どもって基本的にたくましいものだと思います。当時の私も、学校で自分の気持ちが伝わらなかったりするのが重なると、泣きながら家に帰ったりしていましたが、いまはこうして元気にそのころのことが話せますし(笑)。それに、少々の失敗やトラブルがあっても、それさえも子どもなりに乗り越えようとするんですね。親は横で見ていて、必要なだけの手助けをすればいいと思っています。でも、実際には自分でもなかなかできないのですが(笑)。

アメリカに行ってしばらくは、カワイイ「心のよりどころ」がありましたね。私のすぐ下の学年に日系人の子がいたんです。その子が日本語をしゃべれるかどうかも知らないのに、学校で不安なことがあると、その子のクラスの前に行ってガラス越しに見る。何かあったらこの子に話せば、カタコトの日本語でも分かってもらえるんじゃないかなって。それが自分の「お守り」みたいになっていました。

木佐さんが子どもながらに感じたアメリカと日本の違いとは?

クラスメイトの“モノマネ”で磨いた英語力

フリーアナウンサー 木佐彩子さん

まるで会話ができないという孤独感いっぱいのなかでも優しい子はいて、休み時間になるとボールを手に遊びの誘いに来てくれました。私は英語がわからないから遊んでいてもつまらなかったと思うんですけど、辛抱づよくそばにいてくれて、そこから新しいお友だちへとつなげてくれました。ひとりじゃないんだ、私を気にかけてくれる子もいるんだなと、本当にうれしかったですね。

そういうコミュニケーションができるようになってからは、英語は“モノマネ”で身につけていきました。たとえば「It’s my turn(わたしの番)」という表現も、単語や文法が分かれば「イッツマイターン」という文として理解できるかもしれません。しかし、もともと英語がわからないので、「自分の順番が来たらみんなは“It’s my turn”って言ってるな」と、耳にしたままを真似して発音してみる、というくり返しでした。“モノマネ”というより、ある意味、サバイバル的な英語の学習法だったのかもしれません(笑)。

そのときの経験は、いまのアナウンサーという仕事にも生かされています。アナウンサーの仕事は、基本的に予定通りにならないことの連続です。大きな事件や事故が起きて、番組内容がガラッと変わってしまう。また、いきなりゲストのコメンテーターの方々がケンカしだすときもあります(笑)。そういうハプニングへの対応力や度胸はアメリカで身についたんじゃないのかなと思うんです。

アメリカは実にさまざまな人種の人がいますし、みんながキレイな英語を流暢にしゃべるわけではなく、ちょっと聴き取りにくい訛りのある英語を話す人もめずらしくありません。けれど、それぞれの人が「ここで生きていく」という強い意志と覚悟をもってアメリカに来ているわけです。そこでは自分をアピールしなければやっていけない。謙遜やへりくだるといった日本人の美徳が通じないということも、子どもながらに痛感しましたね。

たとえば、「かわいいね」って言われたら、日本でなら「そんなことないです」と謙遜することが多いと思いますが、アメリカでは「ありがとう」と返します。そういう体験のくり返しが、不測の事態や自分の価値観からはみだした出来事に対しても、柔軟に対応する力を育ててくれたのではと思っています。人の意見と自分の意見が異なる、価値観が大きく違う、それはあたり前なんだという感覚を、子ども時代におぼろげながらでももてたことは大きかったなと思います。

祖母が教えてくれた女性がもつ真の強さとは?

祖母が教えてくれた女性がもつ真の強さ

フリーアナウンサー 木佐彩子さん

アメリカでの生活が快適に感じられるようになってきた中学2年生のころ、父親の海外勤務の任期が終わり日本に帰ってきました。自己主張しないと生きていけないアメリカから一転、「人といっしょ(同じ)がいい」日本へ。中学生ながら、直感的になるべく目立たないようにふるまおうと、英語の授業でも発音を日本語っぽくしようとしました。でも、これが意外とむずかしいんです。クラスメイトに「マドンナって言ってみて」って言われ、つい「madonna」とネイティブに近い発音で言ったら、「マダナ! マダナ!」って冷やかされたこともあります(笑)。

そんなこともあって、日本とアメリカの違いを肌で感じる日が続きました。それで考えたんです。学校を卒業し社会に出ると、会社に勤めたり、あるいは職人のような世界に入ったりと、大きな環境の変化がありますよね。そのとき重要になるのは、結局は「総合的な人間力」じゃないかと思うんです。もちろん勉学も大事ですが。

その場所、その空間でどう判断し、どう行動すればいちばん良いのかを判断する力。それこそが、どんな環境でもたくましく生きていく力だと思います。そういう力が、これからますます求められるようになっていくのではないでしょうか。そのためには、子どものころからいろいろな体験をたくさんすること。そのなかに、きっと心動かされる人との出会い、人生を変えるような出来事があるはずです。

そういう意味で私がもっとも影響を受けたのは、父方の祖母です。第2次世界大戦で自分が親しかった人たちをつぎつぎ亡くしていくなかで、祖父と出会い、夫婦になったことを深く感謝していました。帰省で私たち孫が泊まりにいくとすごいごちそうを出してくれるのに、自分が食べるのは昨日の残りものと冷やごはん。孫一人ひとりに、こっそりお小遣いをくれるのに、自分はいつも同じねずみ色のお洋服。祖母の家に泊まると、どんなに心がザワザワしていても、何か温かいものに包まれた感じがして、不思議と穏やかな気持ちになれました。

そんな祖母が他界する間際のことです。何日か床についていたあとのことだそうですが、突然バっと目を開けて「ありがとうございました」と言ったそうです。祖母は自分に与えられた環境のなかで精いっぱい生きた人だったはずです。でも、向こうの世界に旅立つ直前に、周りの人たちによって生かされてもいたことに、心から「ありがとう」って言いたかったのだと思います。きっと。

めまぐるしく時代が変わり、日本でも女性がどんどん社会進出をしています。それはとても素晴らしいこと。けれど、祖母のようなやさしさや奥ゆかしさも忘れないでいたいなと思います。芯は強いけど、どこか控えめな。それは世界でも日本人女性だけがもつ特性なのかなと思います。祖母から教えられたことを、これからも大切にしていきたいですね。


フリーアナウンサー 木佐彩子さん  

後編のインタビューから

– 「中2のとき帰国し、公文の国語のプリントを一所懸命やりました」
– テレビ局のアナウンサー時代、木佐さんのデスクが「小学生の学習机」と呼ばれていた理由は?
– 日本人としてのアイデンティティを気づかされたアメリカの友人の言葉

 
 

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