気がつけば、いつも身近に数学があった

私の家は基本的に良い意味で放任というか、「自分で考えて好きにしなさい」という方針。だから何でも自分で決めなければならなかったです。麻布中学に進学したのも、自分の希望でした。当時でも私立中学受験に熱心な人たちはたくさんいて、そのための塾に通っている子も多かったらしいのですが、うちの両親はそういうことにまったく無頓着でした。私も公立のほかに私立中学があることすら知りませんでした。近所の方が「お宅の息子さんは勉強が得意なようだから受けてみたら」と勧めてくれて、公文をやりながら、そういう塾に行ったら楽しくて、現在の方向に進んだという感じです。ふり返れば、早い時期から自分で選び、その選択に責任を持つことを両親は教えてくれたような気がします。
物心ついてから算数はずっと好きだったので、幼稚園のころから漠然と数学に関係したものを仕事にしたいと思っていました。小学校の作文でも「数学者になりたい」と書いていたほどですから。もちろん、そのころは数学を研究することの意味など分かりませんから、ただ計算が得意な人みたいなイメージだったのでしょうけれど。それでも中学生になると、大学では中学や高校の数学とは違う、もっと抽象的で高度な数学をしている人たちがいて、そういう人は大学で数学を学問として研究していることが分かってきました。そのあたりから、きちんとした意味で数学者になりたいと思うようになったわけです。
小学校時代からクラスのなかでは浮いているほうで、中高時代も友だちとの会話も考えも多少ズレているなと自覚はしていましたが、悩むことはなかったですね(笑)。大学に入り、自主的なセミナーの数学研究会に参加するようになるころから、それがだいぶ解消されました。気がつけば、私の身近にはいつも数学があり、それが心のよりどころになっていたのかもしれません。