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Vol.006 2014.02.07

プロ野球選手 和田一浩さん

<前編>

挫折ミスなことも
「夢」を叶えるための
大切なプロセス

プロ野球選手

和田一浩 (わだ かずひろ)

1972年生、岐阜県出身。中日ドラゴンズ所属。県立岐阜商業高校から東北福祉大学へ。社会人野球の神戸製鋼を経て西武ライオンズに入団。2008年よりFAで地元中日へ。首位打者・最多安打(2005年)ほか多数のタイトルを持つ球界を代表するスラッガー。

プロ野球、中日ドラゴンズの中心打者として主軸を担う、和田一浩選手。遅咲きの苦労人はいかにして一流バッターになったのか。超一流のプロ野球選手の指標である2000本安打を目前にして思う、夢を叶える力とは――

目次

    今の僕の原点となった“母とのキャッチボール”

    プロ野球選手 和田一浩さん
    © 中日ドラゴンズ

    野球を本格的に始めたのは小学3年生の終わりごろでした。僕は地元の中日ドラゴンズファンで、当時捕手だった中尾孝義選手が好きで憧れていました。はっきりとプロを目指すようになったのは高校生のときですね。うちは4人きょうだいで、男は僕ひとり。そのためきょうだいで一緒に遊ぶことはあまりなかったんです。その代わり、母親とはよくキャッチボールをしました。母はソフトボールをやっていまして、よく叱られたものです。「そんなに力むんじゃない」とか(笑)。母親には野球をやらせてもらえる環境を作ってもらったと思っていますし、今の僕の原点のようなキャッチボールでしたね。

    僕がプレーしていたのは、小学校のときも、中学・高校でも勝ちにこだわるチームばかりでした。それだけ練習も厳しかった。チームプレーの意識も、教えられたというよりは、厳しい練習を一緒にする中で自然と身についていきました。ただ自分はあんまりリーダーシップを取るタイプではなくて(笑)、当時はキャッチャーというまとめ役だったから、ずいぶんその指導は受けましたね。

    挫折はたくさん味わいましたが、野球をやめようと思ったことは今まで一度もないんです。本当は高校からプロに進みたかったのにそれが叶わなかったり、自分のプレーしたいチームがある大学に行けなかったり、大学卒業後は今度こそプロにと思ったのにドラフトにかからなかったり。節目節目でうまくいかなくて……。だからといってやめようとは思わなかった。逆にいえば自分にやれることは野球しかなかったんですね。野球をしていないという人生が、僕のなかでは考えられないことでした。

    「野球が好き」っていうのももちろんですが、野球しか取り柄が無いというか、野球以外何もできないんです、自信をもってできることが。思い込みですね、これしかないんだっていう。決して順風満帆な野球人生ではなかったとは思いますが、その思い込みがあったから、ここまで来れたような気がします。

    和田選手が、公文式学習から学びとったこととは?

    KUMONが教えてくれた、「意味のある」時間の使い方

    プロ野球選手 和田一浩さん

    KUMONは小学生のころからやっていました。今、うちの子ども(9歳、6歳、3歳)は、3人ともKUMONの教室に通っています。通いだして特に長男の変化に驚きました。勉強に集中することが苦手だったのに、ちゃんと机に座っていられるようになったんです。勉強ができるできないは別として、集中力を身につけられたのはすごく大きいことだと思っています。

    1日30分でも、毎日続ければ膨大な時間になる。野球もそうですが、やろうって決めたときに、できるかできないかなんです。同じ1時間の練習にしても、入れ込んでやる1時間と、何となくやる1時間では全然違います。そういう「意味のある」時間の使い方をKUMONの学習から教えてもらったと思います。

    プロに入ったとき、この「意味のある」時間の使い方を特に痛感しました。同じ素振りをするにも、自分と同じくらいの歳なのに、プロを何年も経験している人はやっぱり力強かったですし、自分とはここまで違うのかと……。プロとしてやっていけるのかという不安もでてきました。しかし、この不安が自分に変化をもたらしたのかもしれません。

    僕、実は練習がすごく嫌いだったんです。常にサボれるものならサボりたいと思っていました。それが、少しずつ考え方が変わってきました。練習が楽しくなってきたんですね。以前はそんなこと思いもしなかったのに。最初は「練習が嫌い」で、次の段階は「練習をしないとやばいな」という気持ち、それから少しずつ我慢できるようになってきて、練習の苦しみが楽しみに変わってきたんです。今では、体がきつかったりすると、「あぁ練習してるな」と実感できるようになりました。

    もしかしたら、年々引退が近くなって、野球ができるありがたさが身に沁みるようになったのかもしれません。そう気づくのが10年、20年早ければよかったのになと感じています。プロに入り、経験を積みながらやっと分かってきたんですね。「意味のある」時間の使い方がどれだけ大切かというのが。

    何としてでもやり遂げる秘訣とは?

    自分で決めたことは何としてでもやり遂げたい

    プロ野球選手 和田一浩さん
    © 中日ドラゴンズ

    プロに入ってうれしかったことはたくさんありますが、初めてレギュラーを獲った年が一番でしょうか。僕がレギュラーとして定着したのは30歳のとき。それまでは正直、もう僕の野球人生は終わりなのかな、このままじゃ野球で飯を食っていくのは無理かなっていう気持ちでしたが、そのころになると色々なことが結果として現われ始めて、年間を通してレギュラーとして活動できました。

    そのとき改めて、「プロ野球選手になったんだ」と自覚できました。かなり遠回りはしましたけど、それが僕の野球人生なのかなとも思います。逆に、辛かったことは……そうですね、大学からプロに行くつもりだったのに行けなかったときですね。大学までにプロに行くことを目標にしていたので。そのとき味わった挫折感が一番強かった。

    結果、プロとしてのスタートはかなり遅いものになりましたが、高校で入ろうが大学で入ろうが社会人で入ろうが、プロに入ればみんな同じ。出身や経歴の区別はまったくありません。完全なる実力の世界。もちろん、同級生が先にプロの世界で活躍しているのを見ると、うらやましい気持ちはありました。けれど、それより悔しい気持ちのほうが強かったかな。負けず嫌いというよりは、ただ思ったことをやり通したいだけなんです。頑固っていうのでしょうか? 決めつけちゃう。ある目標を立てたら何としてでもそれをやり遂げたいし、自分に負けたくないんですね。自分との闘いという意味で。

    関連リンク
    和田一浩オフィシャルブログ Benchan Diary

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