今の僕の原点となった“母とのキャッチボール”
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© 中日ドラゴンズ |
野球を本格的に始めたのは小学3年生の終わりごろでした。僕は地元の中日ドラゴンズファンで、当時捕手だった中尾孝義選手が好きで憧れていました。はっきりとプロを目指すようになったのは高校生のときですね。うちは4人きょうだいで、男は僕ひとり。そのためきょうだいで一緒に遊ぶことはあまりなかったんです。その代わり、母親とはよくキャッチボールをしました。母はソフトボールをやっていまして、よく叱られたものです。「そんなに力むんじゃない」とか(笑)。母親には野球をやらせてもらえる環境を作ってもらったと思っていますし、今の僕の原点のようなキャッチボールでしたね。
僕がプレーしていたのは、小学校のときも、中学・高校でも勝ちにこだわるチームばかりでした。それだけ練習も厳しかった。チームプレーの意識も、教えられたというよりは、厳しい練習を一緒にする中で自然と身についていきました。ただ自分はあんまりリーダーシップを取るタイプではなくて(笑)、当時はキャッチャーというまとめ役だったから、ずいぶんその指導は受けましたね。
挫折はたくさん味わいましたが、野球をやめようと思ったことは今まで一度もないんです。本当は高校からプロに進みたかったのにそれが叶わなかったり、自分のプレーしたいチームがある大学に行けなかったり、大学卒業後は今度こそプロにと思ったのにドラフトにかからなかったり。節目節目でうまくいかなくて……。だからといってやめようとは思わなかった。逆にいえば自分にやれることは野球しかなかったんですね。野球をしていないという人生が、僕のなかでは考えられないことでした。
「野球が好き」っていうのももちろんですが、野球しか取り柄が無いというか、野球以外何もできないんです、自信をもってできることが。思い込みですね、これしかないんだっていう。決して順風満帆な野球人生ではなかったとは思いますが、その思い込みがあったから、ここまで来れたような気がします。