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Vol.058 2018.10.12

コピーライター
佐々木圭一さん

<前編>

「伝え方」を学べば、
 人の心を動かし行動を変えられる。
 子どもたちの夢を後押しできる。

コピーライター

佐々木 圭一 (ささき けいいち)

1972年東京都生まれ。上智大学大学院を卒業後、1997年博報堂に入社、2014年クリエイティブブティック・株式会社ウゴカスを設立。日本人初、米国の広告賞「One Show Design」で金賞を獲得(Mr.Children)。カンヌ国際クリエイティブアワードにて、金賞を含む計6つのライオンを獲得するなど、合計55のアワードを入賞受賞。郷ひろみ・Chemistryの作詞家として、アルバムオリコン1位を2度獲得。著書『伝え方が9割』(ダイヤモンド社)シリーズは127万部を突破。

ベストセラー『伝え方が9割』シリーズの著者として知られるコピーライターの佐々木圭一さん。大学での講義や、企業での講演を通じて、日本のコミュニケーション能力のベースアップをめざして精力的に活動されています。そんな佐々木さんですが、じつは以前は人とコミュニケーションをとるのが苦手だったとのこと。佐々木さんがコトバの達人に至るまでの道のりや伝え方の大切さ、これからの夢などについてうかがいました。

目次

伝え方は「センス」ではなく「技術」。
だから誰でも学ぶことができる

佐々木圭一さん

先日、こんなことがありました。ある店でランチを食べ終わったとき、店のスタッフから「広く使ってくださいね、このお皿片づけますから」と声をかけられたんです。そのコトバで私は、自然とお皿を重ねてテーブルの端に置きました。スタッフにとってはお皿が早く片づき、私も「ステキな言い方だな」と、気分がよくなりました。双方がハッピーになったのです。でも、もし「お皿、片づけます」とだけ言われるとどうでしょう。「早く帰ってほしいのかな……」と思ってしまったり、言い方によってはちょっとムッとしたりしますよね。

こんなふうに、伝え方ひとつで人の心は動き、行動が変わります。「伝え方」というのは、私は「センス」ではなく「技術」だと思っています。つまり、学べば誰でも獲得することができるのです。そのエッセンスをまとめたのが、『伝え方が9割』です。

たとえば本書では、「相手にイエスといってもらう」ための切り口を7つ紹介しています。冒頭の例は、そのうちの1つ、「相手の好きなこと」という切り口です。相手の好きなこと、相手にメリットになるようなことを伝えると、印象もよく、「イエス」と言ってもらえる可能性が高くなります。

私のメインの仕事は、企業のキャッチコピーや商品のネーミングをつくるコピーライターです。クリエイティブディレクターとして、企業CMの制作を手がけることもあります。
最近手がけた仕事のひとつをご紹介すると、福岡県のキャッチコピー「ご来福しよう」というのがあります。「福岡に来て」という意味ですが、「ご来福」という自分にも福が来そうな縁起の良い響きは、私自身も気に入っています。福岡には神社も多く、県のサイトでは、このコピーとともに県内各地のパワースポットを紹介しています。ただ単に「来てください」ではなく、言われた人もうれしくなる。そんなコピーづくりをめざしています。

『伝え方が9割』を書いてからは、企業の講演に招かれることも多く、年間80社ほどの企業にうかがっています。テレビのコメンテーターをすることもあります。「いろいろなことをしていますね」といわれますが、「コトバを扱う」という点ではすべて同じです。私としては、同じことを別の切り口でやっていると考えています。

公文式と『伝え方が9割』の関連性とは?

公文の教室に通っていなければ
『伝え方が9割』は誕生しなかった

佐々木圭一さん

いまでこそコトバを扱う仕事をしている私ですが、じつは、人と話すのが極度に苦手でした。だから、まさか自分がコミュニケーションの仕事をするとは、想像もしていませんでした。

私は幼少時代、父の仕事の関係で引っ越しが多く、その先々で馴染むことができず、学校の休み時間も一人で過ごすような子どもでした。引っ越し先では遊びも話し方も、これまで過ごした土地とは違います。話し方のイントネーションをよくからかわれ、人と話すことが怖くなってしまったんです。

ただ両親は、そんな私にいろいろな体験をさせてくれました。印象に残っているのは、まだ海外旅行が珍しかった35年前、私が小4のころですが、ヨーロッパに連れて行ってくれたことです。裕福な家庭ではなかったのに、貯金を崩して連れて行ってくれたことを覚えています。そして、とにかく新しいことにどんどんチャレンジさせてくれました。そんな幼少期の経験があるため、いまでも新しいことにチャレンジするのには抵抗がありませんし、新しいことをやっていこうと考えられるのかもしれません。

公文式教室に通っていたのは、名古屋に住んでいた小3から小5のころです。転校して教科書が変わり、学校の授業についていけなかったことを両親が心配して、公文を見つけてきてくれたのです。やっていたのは算数だけでしたが、やり始めたら、自分も親も驚くほどぐんぐん伸びました。それがうれしくて、ほかの教科も勉強するようになり、全体の成績もあがっていきました。

もしかしたら、公文の教室に通っていなければ、『伝え方が9割』は誕生していなかったかもしれません。この本は、「コトバという一見つかみどころのなさそうなものに法則を見つけ、その法則通りに伝えればうまく伝えられる」ということをまとめた本です。その「法則を自分で見つけて応用する」という点は、まさに公文式で幼少期に学んでいたことだからです。公文が私の考え方のベースになっているのです。

「自分で考えて法則を見つけて応用する」というのは、勉強にも効きますが、社会に出てから、仕事においても応用できます。子どものときにその基礎を身につけられたことが、いまでは財産になっています。

理工学部から広告代理店へ。その理由とは?

ついたあだ名は「もっともエコでないコピーライター」

佐々木圭一さん

大学は理工学部に進み、テニスサークルに入りました。華やかで賑やかそうだったので、自分も人とうまく関われるようになるかな、と考えたんです。でも、思い通りにはいきませんでした。転機は就職活動です。私は大学院に進み、機械工学を学んでいたので、自動車会社などへの就職も考えていました。しかし、「どんな人生にしたいか」を突き詰めて考えたとき、「機械ではなく、人とコミュニケーションがとれるようになりたい」と思ったのです。

それで、「一番コミュニケーション能力がつくような会社」を調べ、広告代理店に行き着きました。入社当時はマーケティング部門への配属を希望していたのですが、思いもしなかったコピーライターとして配属されてしまい、ここから暗黒時代が始まります……。そもそも私は理系です。文章を書くことなどは苦手でした。コピーを書いても書いても、その紙を上司に捨てられ続けました。そうしてついたあだ名が、「もっともエコでないコピーライター」。

「自分には才能がない」と落ち込む日々でした。でも、当時は会社を辞めたり転職したりという風潮が今ほどはなく、私自身そんなことは考えもしませんでした。「とにかくなんとかしなくては!」と、焦りながら仕事をしていました。そんな暗黒時代に、ひとつだけ続けていたことがあります。「いいな」と思ったり、感動的なコトバに出会ったりするたびに、ノートに書き写していたのです。3年目くらいのあるとき、そのノートを見ていたら、ふと、「構造が似ている」ことに気づいたんです。

後編を読む

関連リンク 株式会社 ウゴカス


佐々木圭一さん

後編のインタビューから

-3年間コトバを書き写して気づいた法則とは?
-佐々木さんがご家庭で実践されている伝え方は?
-佐々木さんから保護者の方へのメッセージ

後編を読む

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