生成系AIが出てきた今、人間の役割の再定義が必要
八幡:先生のお話をうかがい、SDGsは本質的にそもそも何を目指すべきなのか、改めてその枠の中でKUMONが目指しているところというのは、どの世代に届けるための教育法なんだろうかとか、そういうところまでもっと考えていけたらと思いました。
山田:教育産業で、とくにKUMONが非認知能力についても考えておられること自体が、おそらく持続可能性に貢献する発想なんだと思います。
昨今は生成系AIのChatGPTとかも出てきています。教科書に書いてあることをそのまま示すだけなら、ChatGPTがやってくれるわけです。ですから、覚えて吐き出すだけでなく、いかに非認知能力を使って、それをその場で求められる形に処理できるかが人間の、とくにホワイトカラーの人の仕事として残された部分になってきますよね。
そうするとKUMONが提供する学習が、数の問題が解けることを入り口として、その先に自分で問題解決ができる、自分で次のステップに行くための試行錯誤ができる。そういう能力を育てられるかどうかが大事なのだと思います。
これから学校教育の役割もどんどん問われてきて、学校の先生が多忙であるという議論もある一方で、「じゃあそんなに忙しいならAIに代わってもらいましょうか?」と言われてしまう時代になってきています。
そうなると、「学校の役割って何?」っていうところに行きつく。もしKUMONが「AIにはできないことができる人間を育てる」方法として確固とした地場を築くことができれば、ものすごく大きな持続可能性への貢献なのだろうと思いますね。
野嶋:人の成長って何なんだろうなと思いながらお話を聞きました。そうなるとやはり人の成長は、AIにはできないところにあるのだと思います。
だから、魚を釣って与えるのではなく釣り方を教える、というたとえがありますが、それを実感しますし、自分自身が今仕事でしていることの先にもっと視野を広げないといけないなと思いました。
KUMONの強みは“セルフ モチベーテッド ラーニング”であること
―― 公文式学習の印象についてお伺いしたいのですが、先生は当事者として学習経験もありますが、研究者として後からまた関わるようになって、事前事後での違いはありますか?
山田:KUMONと南アフリカの事業でご一緒させていただいて、また教育研究者の立場から思うことは、カリキュラムで同じ年の子が全員同じものを学ぶっていう教育モデルが、もうやはり考え直される時代だと思うんです。コロナ禍でとくにそういう傾向が強まりましたね。
歴史を遡ると19世紀ヨーロッパの産業革命の時代に、田舎から人が出てきてその子どもが街で悪いことしないように、ひとつの部屋に入れて一括して効率的に教育を受けさせるというところから、学校教育制度が出来上がってきました。たしかにそれによって多くの人の基本的な認知能力が底上げされました。
制度化したことによるメリットはすごくあると思うんですけど、同時に今の時代はみんな同じ学びをすることの限界や問題についても多く指摘されています。実際3歳児でもタブレットが操作できるし、情報はコントロールしようとしたってできないぐらい入ってくるなかで、興味があったらどんどん検索してそれを見ていくと、おすすめが勝手に来たりして、情報が次々チェーンで入ってくるわけですよね。
そうすると学びが個人化していく。学校がいくら標準化しても、子どもは勝手に自分のチェーンでどんどん興味のあることを深めていく。特にそういうのが得意な子であれば、何かにものすごく秀でるという可能性もますます高まっています。つまり、自分のペースで学べることがメインになっていく時代が来ているんだろうなと思っています。
既にそうした傾向が生まれていたときにコロナ禍が来ました。その結果、学校は、個人化された学習を容認せざるを得なくなった時期がありました。特に対面指導が全然できない時は、家で自己学習できるプログラムとか教育メディアがたくさん必要とされて、急にEdTechの話題が増えたと思います。テクノロジーの部分だけじゃなくて、自分のペースで学ぶ大切さを主張するメディアがすごく増えたと思うんです。
その先駆けをもう何十年も前からやっているのがKUMONというのが私の認識です。それこそ大人でも子どもでも自分のペースで学ぶことができます。
自分のペースで学べて、そこに自己発見があってもっと興味が膨らんでいく、という教育の意義をKUMONは体現されていると思います。遡れば魅力的な事例もいっぱい出てくると思うので、そうした“セルフ モチベーテッド ラーニング”の観点でメッセージを発信していただくのが時代に合っている気がします。
八幡:もうすぐ3歳になる子どもがいます。家族でもたとえばスマホやタブレットをいつから触らせるのかという議論にもなるのですが、やはり根底はその使い方だと思うんです。
端末から出てくる、ただ与えられる情報をインプットするんじゃなくて、主体的に取り組んでくれることが大切なのかなと思っています。学校でこれから養ってもらえる部分と、そうでなくて家庭で今からちゃんとつけてあげなきゃいけない力を改めて考えるヒントをたくさんいただきました。
未来を作っていく子どもたちのために
野嶋:持続可能性って一体何なんだろうなっていう話があった中で、セルフ モチベーテッド、自分でいかに意欲を出して進んでいくかが、まさに持続というところにつながってくると思います。
社会に対してだけではなくて、それこそ目の前の子どもに対してもできるし、年齢も関係ないものですし、そういった部分を改めて思い直したところです。またそれが私たちKUMONの強みでもあるんだなって改めて気づきました。
山田:私が時々考えるのは、学校に残される最後の役割は何だろうってことです。
知識伝達の意味では「もうアプリでいいじゃないか」と言われかねないところまで来ているわけですよね。一方、ネットで情報はいくらでも手に入るけど、フェイク情報もいっぱいあるし、フェイクと正しい情報との選別をするのは個人の判断力なんですよね。では判断力を誰が教えているのかっていうとその場所がなくて、学校の役割はそこに残るのかなって思うんです。
正しい情報というものを自分で判断できる、選び取れるというのは知識そのものではないですが、知識に対する姿勢みたいなもの、それこそロールモデルとして学校の先生が伝えていく。そういう場所が学校なのかなって思うんです。
山崎:そうすると、公文式教室の役割も改めて考えていかなければなりませんね。頑張っている姿を見せ合える場であり、子どもたちの意欲を引き出したり、頑張っていることを指導者が認める、という教室の役割は、地域の中であり続けてほしいなと思います。
八幡:KUMONという教育方法の普及をしていくことが世のため人のために繋がるのではないかという思いをより強めることができました。『AIにできないことをできる人間を育てる』、どうやったらそういう人を育てられるのか。今後も公文式学習の先に、子どもたちにどうなってほしいのか、子どもたちにどういう未来を作ってほしいのか、改めて自分の中でも反芻しながら考えていきたいと思います。
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