星野 俊也(ほしの としや)
群馬県出身。上智大学在学中に米国オールド・ドミニオン大学に留学、模擬国連の活動に感銘を受けて日本に持ち帰る。東京大学大学院総合文化研究科に在籍中、在米日本大使館専門調査員に就任。プリンストン大学客員研究員、日本国際問題研究所主任研究員などを経て大阪大学大学院国際公共政策研究科教授に就く。大阪大学では副学長も務める。国際連合日本政府代表部には公使参事官(2006年から08年)及び大使・次席常駐代表(2017年~2020年)として2回在勤。2023年1月からは国連システム合同監査団(JIU)監査官に就任。専門は、国際政治学、国連外交、地球規模課題、持続可能な開発、SDGs/ESG、平和構築、人間の安全保障。
公文教育研究会 会談参加メンバー(敬称略)
事業開発本部 渡邉
東京WEST事務局 荒居
法人事業部 村橋
星野 俊也先生(以下、星野):
皆さん、本日はよろしくお願いします。
私は大阪大学大学院国際公共政策研究科の教授として長らく活動しておりましたが、2022年末に退職して、2023年からはスイス・ジュネーブの国際連合欧州本部で、国連システム合同監査団(JIU)の監査官という立場から国際連合の監査の仕事に就くことになりました。
大阪大学では研究者として国連についてずっと研究しており、2017年からは国連大使という、日本側の政府代表として関わっておりました。国連監査官になると、今度は国連のシステムのなかから国連に関わることになります。ただし、この仕事は国連のなかにいてもあくまでも独立した特別職なので、国連諸機関のガバナンスやマネジメントの監査、要は国連がちゃんと果たすべき役割を効率よく果たしているかをしっかりとチェックする仕事なのですが。
事業開発本部 渡邉(以下、渡邉):
ジュネーブですか。私はスイス公文学園高等部で、17年間校長をしておりました。現地では生徒たちを連れて、先生の恩師であられる国連難民高等弁務官の緒方貞子先生とも会談させていただいたこともあります。
星野:
そうでしたか。緒方先生は私が上智大学の学生だったときから大変お世話になりました。大学2年生のときですが、教室に颯爽とあらわれたときの姿は今も覚えています。結婚式の主賓としてスピーチもお願いしましたし、その後もずっとご指導をいただきました。
―― そもそも先生はどのようなご経緯で現在の道に進まれたのでしょうか。また、緒方貞子先生とのエピソードもぜひお聞かせいただけますか。
星野:
私は群馬県伊勢崎市で生まれました。ご存知のように群馬県は海のない県です。小さい頃から海の向こうへの憧れのようなものを持っておりました。
その当時の趣味は切手収集。友だち同士で切手を交換したりもするのですが、日本の切手だけでなく、知らない間に世界の切手も集まるんです。その頃は聞いたこともないような国の切手を意識して集め始めると、図柄はカラフルですし、いろいろな国の文化や歴史や自然、景色が描かれている、そこにすごく心惹かれました。ですから切手収集の趣味が、世界に向けて目を開かせてくれた最初のきっかけです。
そしてもうひとつが英語です。実は子どもの頃から同級生たち4、5人と一緒に家庭教師について英検合格を目指して将来に備える実践的な英語を学んでいました。おかげで小学校卒業時には3級、高校卒業までには1級を取得できました。
私の少年時代はまだ外国人が身近ではありませんでしたが、毎年夏休みになるとその家庭教師と勉強仲間と一緒に軽井沢まで出かけていました。夏になると避暑で軽井沢に来られる外国の方が多くおりましたので、そうした外国の方々に手あたり次第話しかけて英会話をしていたのです。そんなことをしているうちに自然と「英語を使って何か仕事がしてみたいな、できれば世界とつながる仕事がいいな」と思うようになります。
星野:
1年は浪人をしましたが、念願の上智大学外国語学部英語学科に入学して、本格的に英語に打ち込むようになります。そんな学生生活で出会ったのが緒方貞子先生でした。
先生は国連日本政府代表部で特命全権公使という仕事を終えて着任されたということで、元は外交官なのかなと思っていたら全然そうじゃない。元々国際関係論が専門の学者で、政府の仕事として請われて公使をお引き受けしたということでした。
緒方先生の授業は、国連がいつできてどんな組織でこんな仕事をします、みたいな教科書どおりに暗記するような授業ではなく、とても実践的で印象に残りました。国際機構というのは政治の場であって、さまざまな国が自国の国益を抱えていて、でも共通の国際問題を解決しなきゃいけないから、そこで議論をする。どうやって互いに妥協点を見出して解決につなげるか、国連とはその舞台であり道具である、という話が、若い私には極めて新鮮でした。これこそ言葉を使って問題を実際に解決するっていう姿なんだな、と。
緒方先生に出会うまでは、言語そのものが人間にとってどういう役割を果たしているのかに興味があって勉強していて、言語学にすごく関心があったのですが、「いや、国際関係論をやろう!」と思って転向したほどです。
その後も大学の中でも、卒業して大学院に進学しても、それ以降もずっと、光栄にも緒方先生には直弟子として40年近くご指導を仰ぐことになります。
実際、最初の講義からいつも教室の一番前の席で授業を聞いていましたし、講義だけでなく緒方ゼミの一期生でもありました。厳しい課題もたくさん出す先生だったのですが、しっかりと食らいついていきました。やはり先生の人となり、学問における姿勢、何よりも学者でありながら実務もされていることがすごく魅力的でした。
東京WEST事務局 荒居(以下、荒居):
小さな頃の切手収集から、興味関心が年齢を重ねてアップデートされていくような感覚で、ひとつの道筋がやがて現在に至っているのですね。
人を突き動かす何かっていうのは、星野先生のように「これが面白い!」とか「もっと取り組みたい!」という気持ちがずっと続いていくことなのかな、と思いました。
法人事業部 村橋(以下、村橋):
先生は模擬国連の活動を米国から日本に持ち帰られたと伺っております。
星野:
大学在学中に、アメリカのバージニア州にあるオールド・ドミニオン大学という、小さな州立大学に留学しました。ところがそこは模擬国連の活動がすごく盛んな大学で、私はほんの1年弱の留学期間でしたが、その間に何回も模擬国連会議を経験する機会があったんです。授業としてやりつつ、課外活動にも積極的に取り組みました。
模擬国連、最初は何かわからなかったのですが、大まかに言えば国連の会議外交のロールプレイをする活動です。私も緒方ゼミでずっと国連を勉強していましたから、自然な形でその課外活動グループに入りました。
留学期間の最後にはニューヨークで全米模擬国連大会というのがあったんですけど、そこに出席しないかと私にも声がかかり、事務局メンバーの一員として参加します。
全米模擬国連大会は1,500人ぐらいの大規模なものなのですが、何が衝撃的だったかというと、実際にニューヨークの国連本部の総会議場を使うんです。学生の身分でありながら国連総会議場に行ってその席に座り、学生の事務総長がいて、ゲストで国連の高官も出てきて参加者たちを激励してくれて、アメリカ全土から集まった優秀な学生たちと連日議論するわけです。
日本に帰国してから、緒方ゼミの仲間たちに「アメリカでは模擬国連という学習プログラムがあるんだよ。どう?関心ある?」って話をしたら、みんながやりたいという意見になりました。
こんな経緯でさっそく次の年の全米大会を目指して準備を始めました。最初は自費でスタートしましたが、まず緒方先生が支援してくれて、他の先生方も賛同してくれて、翌年から初めて全米模擬国連大会への学生派遣がスタートします。それから40年近く、後輩たちがつないで、ずっと活動を続けてくれています。
改めて考えたい国連の存在意義
渡邉:
スイス公文学園でも模擬国連の活動を行っていて、国連の動きには大変関心をもっております。ところが国連の活動はいま大きな岐路に立っていますね。「国際協調主義」が言われたときは、世界はもうこれで行けるんだ、1990年代後半ぐらいからは楽観論すら出てきたように思います。
ただ現在、ロシアによる侵攻をはじめ、強権的で自国主義的な勢力がこれだけ大手を振って国際舞台に取り沙汰される状況になってくると、国際政治はきな臭いを飛び越えて危険な状態になっていると危惧します。
星野:
国連という機関自体が今、存在意義を問われていることは確かだと思います。まず安全保障理事会が機能していない。常任理事国であるロシアが侵攻して、それを防ぐためのシステムを拒否権でストップさせているということですから。
若者たちが模擬国連を実践するにしても、国連の可能性と限界に対するバランスの取れた理解は必要です。その意味でも、我々が最初に確認しておかなければいけないのは、国連という組織は世界に不可欠な存在なんだけど、決して完全・完璧な組織ではない、さまざまな制約と限界を抱えているんだ、ということ。それを認識する必要があります。
緒方先生が「国連は政治の現場」と形容したことは、もちろん国連としての理想はあるのだけれど、その理想が常にそのまま実現できるような場所じゃないことを示唆しているわけで、だから政治の力で決着させることが必要です。
最も避けなきゃいけないのは、何をしても無駄だと諦めたり、もう世の中終わりだと絶望すること。そんな状況の中でもできる限りの努力をする、そのための装置としての国連というものがあるんじゃないか、と思います。
模擬国連をやるときも、そういう観点は欠かせません。一国では解決できない問題だからマルチの多数国間の会議外交で決める。そのために国連のモデルをロールプレイするわけです。それぞれの国にはそれぞれの国益というものがあり、それは無視できない。
ただ、模擬国連の参加者によっては、英語ができるから、弁が立つからといって、その国の現状からかけ離れた活動をしてしまうケースがあったりします。そして言葉のハンディキャップがあるから、しっかりとした役割をそこで果たせない子がいたりします。その点は気を付けなくてはいけません。
ある程度国連の現場を反映するためには、その国ならではの政策や行動様式をしっかりとロールプレイしていくことが大事です。それが忘れられてしまうこともあるんですけど、それを押さえた上で、異なる意見を集約し、合意を形成していくことの面白さを学んでほしいです。
関連リンク 大阪大学大学院国際公共政策研究科ESGインテグレーション研究教育センター(ESG-IREC)
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