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Vol.056 2019.07.12

声楽家
安田祥子さん

<前編>

歌いかけは親子をつなぐ大切な時間
童謡が持つ日本語の豊かさを大切に

声楽家

安田 祥子 (やすだ さちこ)

子どものころ、ひばり児童合唱団に所属し童謡歌手として活躍。東京芸術大学大学院修士課程修了。1966年オペラ「フィガロの結婚」のスザンナ役で声楽家としてデビュー。1969年NYジュリアード音楽院、1976年ロチェスターイーストマン音楽院に学ぶ機会を得て、帰国後、日本歌曲によるリサイタルなどを開催。1986年から妹、由紀さおりと四季の移ろい・小動物や相手を思いやる気持ちなどを、きれいな日本語で歌っている歌の数々を次代に手渡したいという思いで、活動を続けている。2013年7月には、童謡、唱歌などを通じ日本語の美しさや日本人の心を広く伝えた活動が評価され、文部科学大臣表彰を受ける。

「日本の美しい言葉の歌を大切にして、次世代に歌い継ぎたい」――そんな願いをこめて、妹の由紀さおりさんとともに童謡コンサートを続けている安田祥子さん。保育専門学校の特任講師や、特定非営利活動法人の顧問も務められるほか、ツイッターでコンサート活動や日々の四季の移ろいを発信されるなど、新しいことにも取り組みながら精力的に活動されています。働く母親が増えて忙しい時代だからこそ、短い時間でも子どもと真剣に向き合うことが大切であり、そのツールとしてぴったりなのが童謡だと説く安田さん。歌い聴かせのコツやご自身の子育て経験から、いつまでも若々しく元気にいられる秘訣まで教えていただきました。

目次

    「姉妹でのコンサートは今年で34年目、私の大切なライフワーク

    声楽家 安田祥子さん

    姉妹で始めた童謡コンサートの活動は、今年でもう34年目になります。多い時は1年間で157ステージに立ったこともあります。でもスタートした頃は「なぜ今、また童謡なの?」と、周囲から疑問を持たれました。私は音大の講師をしていたこともあり、専門はクラシック音楽でしたので、そうした疑問を持たれたのかもしれません。童謡は低く冷たい目線で見られていたのです。

    でも、日本には四季の移ろい、小動物や相手を思いやる気持ちなどをきれいな日本語で歌っている、すばらしい歌がたくさんあります。それをお伝えしたいという思いでスタートし、現在まで活動を続けています。こんなに長く続けられるなんて夢にも思っていませんでしたが、うれしいことです。

    コンサート活動のほか、保育士専門学校で特任講師もしています。昔の歌は言葉が難しいから子どもたちに歌を教えられない、といったことがあるのです。童謡の『シャボン玉』の中にある歌詞を、「屋根も一緒に飛んじゃった」と思う今の子どもたち。歌詞の解釈をしながら、日本の歌の言葉の響きやメロディの美しさを伝えています。

    もうひとつ、私のライフワークとなっているのは、若い音楽家たちをサポートし、オペラ歌手の故・中島啓江さんが始められた、東京を中心に地域住民の合唱を通じた交流を促す、スマイル合唱団を支援している「NPO法人 音楽で日本の笑顔を」という特定非営利活動法人の顧問・応援団長としての活動です。若い音楽家と一緒にチャリティコンサートを開催したりしています。

    「歌う」ということは、気持ちを優しくしてくれます。歌うことが元気なのか元気だから歌えるのか、どちらでもいいのですが、私がいつも言っているのは「歌うことは副作用のないサプリメント」ということ。うれしい時も悲しい時も歌は力になってくれます。中島さんのモットーも同じで、私は以前、ゲストとして招かれたご縁もあり、その思いを大事にしていかなくてはと、顧問として、若い音楽家のみなさんとコンサートをしたりしています。若い演奏家のみなさんとの関わりは、こちらもパワーをいただきます。

    亡き夫の実家、鳥取県の最北端に位置する岩美町の「いわみふるさと大使」もさせていただいています。この町は海がものすごくきれいで、お魚はびっくりするほどおいしい。ツイッターでもたびたびPRしていますので、のぞいてみてくださいね。

    童謡や唱歌を歌って気づいたこと

    童謡や唱歌を歌っていると、日本語の豊かさに気がつくようになります

    声楽家 安田祥子さん

    保育専門学校の授業では、最初の授業で「歌のカレンダーを作ってください」と話しています。4月から授業が始まるので、『若葉』という歌からスタートして、卒業する3月までを作ります。すべての月に当てはまる歌があるんですよ。

    昔ながらの歌だけでなくても、もちろん新しい歌もありますから、自分の思った季節の歌をはめ込んでいく。そうして自分だけのレパートリーを増やしていけば、それがあなたの財産になりますよ、と伝えています。

    2月であれば『豆まき』の歌もありますが、『鬼のパンツ』なんていう歌もありますよね。これはイタリアの『フニクリ・フニクラ』の替え歌です。そういった、日本の歌だけじゃなくって、リズミックな外国の歌も身に付いていくのは楽しいですよね。

    歌というのは、余裕がなければ口をついて出ません。お母さま方が、お洗濯しながら、お料理しながら鼻歌が出るというのは、機嫌がいい証拠です。お子さんたちも、お母さんが機嫌いいほうがいいですよね。

    上手に歌おうと思わなくていいのです。お散歩の途中で、ありを見つけたら『おつかいありさん』、トンボが飛んでいたら『赤とんぼ』でもいい。雨の季節になれば『カタツムリ』、運動会が近くなれば、『てるてる坊主』……そんなふうに、自然と口をついて出てくるような環境ができていったらいいな、と思っています。

    そうした歌が進化して、今の音楽があるわけです。ですから、童謡や叙情歌、愛唱歌は歌の基本形といえますよね。童謡や唱歌を歌っていると、言葉の豊かさ、日本語の豊かさに気がつくようになります。「おいしい」も「まずい」も「いい」も「悪い」も、「やばい」のひと言で済ませるのではなくて、日本語の表現の豊かさを忘れないでほしいですね。

    小さいお子さんに対して発する言葉であれば、なおさらです。子どもは海綿体のように、良いことも悪いことも吸収していきます。とくに小学校に入るまでの間がすごく大事。それまでに、ご家庭でも保育所でも幼稚園でも、きちっと日本語の豊かさをインプットする努力をしていただきたいなと思います。

    安田さんが音楽を始めたきっかけとは?

    オペレッタの練習風景が音楽を始めるきっかけに

    声楽家 安田祥子さん

    私は群馬県桐生市に疎開していたので、そこで幼稚園に通いました。そして当時の先生が、「声がきれいだから歌を習わせたらいいかもしれません」と母に伝えたそうです。その後、小学4年生で横浜市の小学校に編入します。そのころは学校が終わったらみんなカバンを家に放り投げて、また校庭で遊ぶのが普通。私も日曜も校庭で遊ぶような子でした。

    ある日も学校に行ったら、たまたま講堂でひばり児童合唱団が秋の公演の練習をしていたんです。それがフンパーディンク作曲の『ヘンゼルとグレーテル』というオペレッタでした。子どもたちがお化粧して、ひらひらの衣装を着て歌っている。そんなの初めて見るので、もう、びっくり。お昼ご飯を食べに帰るのも忘れて聴き入っていたら、探しに来た母が、熱心に見続けている私を見て、幼稚園の先生がおっしゃったことを思い出して「この合唱団に入る?」と勧めてくれて入団、妹も後に一緒に通うことになりました。

    入団翌年、幸運なことにオーディションに受かり、ソロデビューすることに。大人の歌手の方と一緒に舞台にあがる機会もあり、「大人の歌い手さんは、こんなふうに歌っているのか」と、自分も大人になっていくことを意識するようになります。そして、やっぱり大人になっても歌っていきたいなと思い、先生に相談すると、私の声の質を考えて「ポップスではなくてクラシックに行ったら?」とアドバイスされました。別の先生を紹介していただき、プライベートレッスンを受け、音大受験を考えるようになりました。

    そして東京芸術大学に進学、修士コースまで進みました。その後は助手などを経て、非常勤の講師として18年間音大に勤めました。1969年に結婚して、夫の仕事先であるニューヨークに移ったその年に、妹が由紀さおりとして『夜明けのスキャット』でデビューします。紅白歌合戦に初出場というのをニューヨークで聞いて、泣いて喜びました。

    関連リンク 由紀さおり・安田祥子音楽事務所公式サイト


    声楽家 安田祥子さん  

    後編のインタビューから

    -安田さんが童謡を歌うようになったきっかけとは?
    -わずかな時間でも本気で子どもと向き合うことの大切さ
    -「毎日がスタート」一日一日を大切に

     

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