オペレッタの練習風景が音楽を始めるきっかけに
![]() |
私は群馬県桐生市に疎開していたので、そこで幼稚園に通いました。そして当時の先生が、「声がきれいだから歌を習わせたらいいかもしれません」と母に伝えたそうです。その後、小学4年生で横浜市の小学校に編入します。そのころは学校が終わったらみんなカバンを家に放り投げて、また校庭で遊ぶのが普通。私も日曜も校庭で遊ぶような子でした。
ある日も学校に行ったら、たまたま講堂でひばり児童合唱団が秋の公演の練習をしていたんです。それがフンパーディンク作曲の『ヘンゼルとグレーテル』というオペレッタでした。子どもたちがお化粧して、ひらひらの衣装を着て歌っている。そんなの初めて見るので、もう、びっくり。お昼ご飯を食べに帰るのも忘れて聴き入っていたら、探しに来た母が、熱心に見続けている私を見て、幼稚園の先生がおっしゃったことを思い出して「この合唱団に入る?」と勧めてくれて入団、妹も後に一緒に通うことになりました。
入団翌年、幸運なことにオーディションに受かり、ソロデビューすることに。大人の歌手の方と一緒に舞台にあがる機会もあり、「大人の歌い手さんは、こんなふうに歌っているのか」と、自分も大人になっていくことを意識するようになります。そして、やっぱり大人になっても歌っていきたいなと思い、先生に相談すると、私の声の質を考えて「ポップスではなくてクラシックに行ったら?」とアドバイスされました。別の先生を紹介していただき、プライベートレッスンを受け、音大受験を考えるようになりました。
そして東京芸術大学に進学、修士コースまで進みました。その後は助手などを経て、非常勤の講師として18年間音大に勤めました。1969年に結婚して、夫の仕事先であるニューヨークに移ったその年に、妹が由紀さおりとして『夜明けのスキャット』でデビューします。紅白歌合戦に初出場というのをニューヨークで聞いて、泣いて喜びました。
関連リンク
由紀さおり・安田祥子音楽事務所公式サイト