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Vol.009 2014.05.23

地震学者 大木聖子先生

<前編>

夢中努力に勝る
夢中になれるものを見つけよう

慶應義塾大学環境情報学部准教授

大木 聖子 (おおき さとこ)

北海道大学理学部地球惑星科学科卒業、東京大学大学院理学系研究科にて博士号を取得。国内外での研究員、東京大学地震研究所助教を経て、現在は慶應義塾大学環境情報学部で准教授を務める。著書に『地球の声に耳をすませて』(くもん出版)など。

高校1年生のときにテレビで阪神・淡路大震災の惨状を見て以来、地震学者を志し、「同じ悲劇をくり返さない」と決意した大木聖子先生。大学で地球科学や防災学などを教える一方、幼稚園や小中学校に赴いての防災教育も精力的に行っています。「夢を叶えた」かに見える大木先生ですが、ご本人曰く、「まだまだ学究の徒の入口です」とのこと。どのように道を選び、学びを突き詰めてきたのでしょうか。また、「教育者」として人を育てる醍醐味についてもうかがいました。

目次

災害で命を落とす人をなくしたい「地震学」を武器に「防災教育」に注力 

大木聖子先生

ご存じの通り日本は地震国で、世界中で起こる地震の約1割は日本で発生しています。なぜ日本に地震が多いか。まず、地震が起こるメカニズムを簡単にご説明しましょう。地球は「プレート」と呼ばれる厚さ100㎞ほどもある十数枚の岩盤で覆われています。プレートはそれぞれが勝手な方向に1年間に数センチずつ動いていて、プレート同士がぶつかりあうと、大きな力が働きます。この力が地震を起こすのです。

プレートが動くのは、地球の内部にある岩石が溶けた「マントル」が対流しているためで、地球は地球自身の熱を冷ますために内部を対流させています。日本はユーラシアプレートと北アメリカプレートに乗っており、さらにその下に太平洋プレートとフィリピン海プレートがもぐりこんでいます。重なり合い押し合う4つのプレートの上にあるために、日本では地震が多く発生するのです。

いわゆる「地震学」とは、こうしたプレート運動や地球内部の構造などを研究します。具体的には、海の地震研究のために専用の海底地震計をつくり船に乗って観測に出かけたり、地震でどのくらい列島が動いたかを人工衛星を使って宇宙から測定したり、と研究活動は多岐にわたります。

私もそうした地震学を学んできましたが、現在は培ってきた知見を活かして、災害で命を落とす人をなくそうと、防災に関する研究と実践を進めています。なぜなら、プレートの動きなど、地震の仕組みがわかったとしても、実際に揺れているとき、自分はどうすればいいのかがわからなければ、結局命は守れないからです。地震が起こったとき、「何がどのくらい危険か」がわかって、すぐに行動できるようにするためには、防災教育が不可欠だと考えました。

個々の学生の得意分野を活かした、ユニークな防災教育とは?

「IT×防災」「ダンス×防災」さまざまなアプローチで、学生たちとともに防災を発信

大木聖子先生

その防災教育のための教材や教え方を考えたりするのが、現在の私の研究テーマのひとつです。一方で、学校の先生方向けに研修を行ったり、実際に小中学校の教室に赴き防災授業をしたりと、防災教育の実践にも力を入れています。

大学では地球科学と防災の講義を担当し、自分の命だけでなく、周りの人の命も救えるスキルと心を身につけることを目指しています。慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスには、総合政策学部と環境情報学部がありますが、文系・理系といった区別意識はなく、学生はどの学部の講義も履修できて、教員も、都市計画・環境・IT・医療など、さまざまな分野の専門家がいます。防災学そのものが、いろいろな切り口がある学際的な学問なので、学生たちの学び、自身の学びを考えたとき、今この環境は私にとってベストです。

たとえば「高台への避難の道順を確認しなくちゃ」「食糧を備蓄しなくちゃ」と思っていても、実行しない防災。「ガン検診に行かなくちゃ……でも病院に行くのは面倒だなぁ」と、検診を受けるという行動をしない。この2つは、とても似ていると感じています。そんなとき、健康や医療を専門とする教員がすぐ近くにいれば、「そうした人を動かすためにどうしているか?」と、アプローチ法を聞くことかできます。地震学者だけといった同分野の専門家のコミュニティだと、なかなかそうはいきませんが、異分野の専門家がすぐ近くにいることで、互いの知見や情報などを活かして、新しい発想を生み出すことができます。

学生たちにも同じことがいえて、さまざまなアイデアで防災を考えていけることがおもしろいと実感しています。たとえば、ITスキルの高い学生がPC用の防災アプリを開発したり、デザインに秀でている学生が3Dプリンターで防災グッズを作ったり。幼稚園児のための防災ダンスを創作した学生もいます。もちろん、ダンスが大の得意な子です。大人から子どもまでみんなが防災への意識を高めるには、これまでの地震学だけでは限界があります。その人その人の得意分野と防災を結び付けたユニークな発想と行動が、防災意識の浸透に役立つのではないかと感じています。

父から学んだ仕事に対する姿勢とは?

「見守る勇気」で育ててくれた両親、ふり返ればいつもそこにいてくれた

大木聖子先生

私が地球に関心をもつようになったのは、中学2年のとき。理科好きな私に母が、『教室ではおしえない地球のはなし』(島村英紀著/講談社)という本を勧めてくれたのがきっかけです。現在の私があるのは、適正を見抜いてくれて、タイミングよく導いてくれた母の存在が大きいと思います。たとえば小さいころ、スズメの鳴き声を「ジユンジユン」と真似ていた私に気づき、「この子は耳がいいから語学をやらせよう」と、英語を学ばせてくれました。そのおかげもあってか、いまでも英語には不自由していません。

自営で建築士の父は、夕食時でも電話がかかってくるとすぐに現場に行ったりして、ほとんど休まず、働き通し。家族旅行の思い出はほとんどないのですが、それを不幸だと思ったことはありません。逆にそんな父から、仕事に対する姿勢を学びました。

私自身は、小学生くらいから「勉強が好き」という自覚があり、塾にも通っていました。ところが、一度だけ勉強が嫌になったことがあります。中3のとき、テストで学年1位になり、それはそれでよかったのですが、「つぎのテストで1位になれなかったらどうしよう」とプレッシャーを感じて、勉強するのが嫌になってしまったのです。

「もう勉強したくない」と両親に言うと、「これからどうするんだ?」と聞かれました。当時私は弓道部だったので、「弓道で生きていく」と答えました。すると父が、「弓道がオリンピック種目になってから考えなさい」。その一言で、「そうだな。勉強しよう」と勉強に戻ったのでした。自分ができるのは勉強だと、自分で気づいて納得できたのでしょうね。多くを語らずに済ませた父のユーモアにも感謝しています。

こうしてふり返ってみると、両親はある意味、忍耐強かったのかもしれません。「あれしなさいこれしなさい」とか「勉強しなさい」とか一切言わず、「好きなことをやりなさい」と、おおらかに育ててくれました。ただ、不安になってふり返れば、いつもそこにいてくれた。それで安心して先に進めたのかもしれません。

人を育てていくうえでは、この「見守る勇気」がとても大切なのだと、学生を教えるようになった今、あらためて感じます。自分が答えを言ってしまえば簡単だけど、本人が「うゎー!わかった!」と気づいてくれる。それがとてもうれしい。これこそが本当の学びなのでしょう。自分で考え、自分で学ぶ。それを見守る人がいる。これは「自学自習」を掲げる公文式学習にも通じることかもしれませんね。

関連リンク地震研 大木聖子のブログ

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