母の背中を見て「人を支えること」の素晴らしさを知る

私は「心の不思議さ」には子どものころから興味はあったものの、それを職業にするとは思ってもいませんでした。小さいころは電車の運転手、中学では教師や医者、高校時代は弁護士と、なりたい職業はさまざまでした。ただ、「困っている人を助ける職業に就きたい」という思いはありましたね。私には身体障害のある身内がいて、ずっと一緒に生きてきたことが、その背景にあるのだと思います。
もうひとつ大きな影響を受けたのは、中学校の教師をしていた母の存在です。いわゆる不良たち、あるいはいじめを受けた生徒たちをわが家に呼んで、食事をともにしていました。私はその生徒たちに嫉妬するわけでもなく、一緒に遊んだりするなかで、彼らの苦労も理解するようになり、そんな彼らを自宅に呼んで居場所をつくろうとしている母の姿から、「人というのは、人を支えることに喜びを感じるのだ」ということを学びました。
心理学への関心は、多感な思春期に、「自分はどういう存在なのか」と考えたことが原点かもしれません。近所のカトリック教会で説教を聞く機会があり、そこでますます「人間とは?」という思索を深めるようになりました。
そこから人の心への関心が生まれたのです。高校生時代には、たまたま自宅にあった「心を診療する内科」というサブタイトルのついた、池見酉次郎先生(いけみ ゆうじろう、心身医学者)の『心療内科』(中公新書)という本を読み、身体をコントロールする心の不思議さにひかれ、それを解明したいと思うようになりました。
そして心理学を学ぶため、東京教育大学(現・筑波大学)を第一志望で受験したのですが、不合格。第二志望だった東京外国語大学に進みます。そこで「外交官になろう」と、語学の習得に励む一方で、心理学にも未練があり、サークルは心理学研究会に所属していました。