「思い」が込められたブランドは感動を与えてくれる

「ブランド」と聞くと、日本ではいわゆる「ブランドもの」を連想しがちです。「実態的価値を問わずに名前だけを追う」という意味が込められている場合も少なくありません。消費者ばかりでなく、企業においても「ブランド」は、「商品名」や「サービス名」としか理解されないケースもあり、経営での位置づけも高くはありません。しかし、実はブランドとは「組織の存在理由そのもの」であり、消費者にかけがえのない感動や喜びを与えてくれるもの。私は欧米企業を中心に、ブランド力があると評価されている企業の経営者にインタビューした結果、そのことに気がつきました。
それらの企業に共通しているのは、自分たちの夢をものすごく大切にしているということ。ビジョンや哲学と言ってもいいでしょう。世の中の「ビフォー」すなわちここを変えたらもっと良くなるのではないか、を見つけてそこにもっていくためにどうすればいいか、を徹底的に考えています。
例えばメルセデス・ベンツは、「クルマ社会をより明るくするのはクルマを発明したわれわれの宿命」という一貫したミッションのもと、「車とはどうあるべきか? 私たちはこうしたい」という深い思いを持っている。その夢や思いが、従業員を、最終的には顧客をひきつけ、「なくてはならないもの」になっていく。それがブランドの本質です。
私は大学で経済学を教えながら、ブランドに関する研究を続けていましたが、実務を手掛けたいと考えるようになり、現在は大学を離れ、「丸の内ブランドフォーラム」というブランド実践の場を主宰しています。ブランドの先駆者である企業の経営者や研究者などの話を聞き、ワークショップを開き、成果を社会に発信することを主な活動としています。
「世間が言うことの逆が正しい」という恩師との出会い。それが今の自分の原点

自身のこれまでをふり返ってみると、研究から実践へと活動スタイルは変化してきていますが、そもそもこういう道を目指していたわけではありません。小さいころは漠然と、「海外で仕事がしたい」と考えていました。父親が仕事で海外に行くことが多く、珍しいお土産を買ってきてくれたので、「海の外には何かいいものがありそうだ」という程度のちっぽけなあこがれがあったからで、とくに具体的な職業は描いていませんでした。
いわゆる「へそ曲がり」なところはありましたが、ごく普通の子どもで、中学・高校は私立の一貫校に進みます。秀才揃いの進学校だったので、勉強で勝負するのは早々に諦めました。そのかわり、スポーツや音楽、食べ物に女の子……と、勉強以外の何にでも魅力を感じ、悪友たちと青春を謳歌していましたね。
そのさなか、今の私の原点となる出会いがありました。中学・高校時代に英語を教わった猪飼正秋(イカイマサアキ)先生です。初めは苦手なタイプと思っていたのですが、縁あって悪友たちと先生の家に通い、英語を教わるようになります。ですが、2時間いるうちの1時間半は雑談。酸いも甘いもかみ分けた当時40代の猪飼先生は、「人間って、おもしろい」と、いろいろな例を挙げて話をしてくれました。そして、「“世間ではこうだ”と言われたら、その逆が正しいんだ」という言葉には、へそ曲がりな私は非常に共感を覚えたものです。
私は今でも学会などでの発表に対して、「この論文には必ず穴がある」と思いながら聞いています。そうやって聞くと楽しいのです。必ず「そうじゃないんじゃないか?」と、まず疑問をもつ。何かルールがあっても、「それは必要ないのではなかろうか」と指摘もします。世間で普通に言われていることも、「ちょっと待てよ」と、基本的に鵜呑みにしないのは、もともとのへそ曲がりに加え、恩師の影響もあるに違いありません。
ミクロ経済学のおもしろさに目覚め、「食っていけない」と思っていた学者を志す

大学選びでは、「入試が面接だけだからなんとか入れるだろう」という安易な理由で、国際基督教大学へ。入学したらアメリカンフットボール部に誘われて、4年間は部活三昧でした。アメフトの連中は酒もすごく強くて、めちゃくちゃタフな生活ぶり。私はその先頭に立っていて、ここでも青春がはじけましたね。
一方で、私が経済学に興味をもつきっかけとなった本にも出会いました。アメリカ人のGleason教授のクラスで読んだ、SamuelsonのEconomicsです。有名な入門書ですがおもしろいことに原語で読んだのですんなり入れたのだと思います。余談ですが、経済学もそうでしたが、数学も統計学も英語のほうが断然分かりやすい。これから大学に入る皆さんには、「・・学の入門」は英語で入ってゆくべき、と強く言いたいですね。「限界効用逓減の法則」など、人間の行動の一側面を簡潔に捉えていて、非常に刺激的でした。これも日本語だと取っつきにくいですが、英語でLaw of Diminishing Marginal Utility と言うとすんなり来ます。この法則は、例えば最初の1杯のビールは美味しいけど、慣れるとそうでもないでしょ、ということ。ビールの消費量が増えるにつれ、そこから得られる喜びは小さくなる、というミクロ経済学のイロハの概念です。当たり前のことなのですが、それまで考えたこともなく、初めて「ミクロ経済っておもしろい」と思いました。
おもしろくて好きだから、それを勉強するのも楽しくなって、Gleason先生の試験はかなりいい出来だったようです。すると、先生から「アカデミックの世界に入る気はないか?」と学者になるよう誘われたのです。そのころは、海外のどこかでビジネスに携わって、その国のスペシャリストになりたいと思い、学者なんて考えてもいませんでした。「食べていけないんじゃないですか?」と教授に聞くと、「それほど悪くはない」との答え。そんな道もあるのかな、と意識するようになったのです。
関連リンク MBF:丸の内ブランドフォーラム