失敗をおそれずあきらめないで
「やり抜く力」が「生き抜く力」
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コロナ禍や自然災害、何が起こるか予測できない時代にあって、どんな難局でも乗り切っていく力をつけることが必要だと痛感しています。偏差値やTOEICのスコア、グラフィックデザインが素晴らしいといった一過性のスキルではなく、「生き抜く力が大事」だということです。そうした子を育てるには、家庭だけ、学校だけでは難しく、社会全体で育てていく必要があるように思います。
では「生き抜く力」をつけるにはどうしたらいいか。ひとつは、やはり公文式のように「まず自分でやってみる」ことです。加えて、私が最近興味を持っているのが「失敗させる技術」です。失敗して、自信を失ってしまう子を見るたびに、失敗してきた経験が少ないと感じるんです。成功体験は自信にはなりますが、失敗体験のほうが学びは大きい。授業やゼミの中でどう「失敗させること」を組み込んでいくか、具体的な方法を考えているところです。
じつは私は小学校の卒業文集で「高山市長になりたい」と書きました。子どもながらに市長になって、市政を改革したかったんですかね(笑)。今でも自分を育ててくれた高山市に還元できることはないか模索しています。昨年、高山市で市民講座が開催され、私も講師としてサイエンスコミュニケーションについて語りました。このように自分が学んで得たものを故郷にもちかえる活動についても、今後注力していきたいと思っています。
やりたいと思ったことを実現するために何を意識してきたかというと、「人生の伏線を回収しようと思って歩んできた」ということになるかと思います。高山市で公開講座をしたこと、それをまた今後も続けたいと考える根底には、市政に関心を持っていた小学生の頃の思いが少なからず影響していると思います。前半でお伝えした「カーリングAI」のサイエンスカフェでは、2006年のトリノオリンピックで小笠原 歩さんらの大活躍に感動して「いつか、カーリング選手と仕事をしたい」と思い続けた結果、実現にこぎ着けられました。「大学教員に」という夢も同様です。
つまり、当時の情熱を心に温めておいて、「ここぞ」というときに回収する。今でなくても、いつか引き出せるように、そのための努力をしておく。50歳でも60歳でも、人生のどこかで花開けばいい。そう思いながら歩んできました。やってきたことがムダにならないように生きている、ともいえますね。それができるのは、性格的にしつこいというか、あきらめずに勝つまでやるからだと思います。「やり抜く力」ともいえますね。それが「生き抜く力」につながっていくのかもしれません。