宇宙への興味はテレビ番組がきっかけ
スペースシャトルの活躍に胸を躍らせる
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宇宙に関心を持ったのは、NASA(アメリカ航空宇宙局)の開発したボイジャーという惑星探査機を取り上げたテレビのドキュメンタリー番組『コスモス』をみたのがきっかけです。私が小5の頃で、7歳上の姉も好きで一緒に観ていました。番組はアメリカの天文学者、カール・セーガン氏が監修しており、番組で紹介された「宇宙を向くと地球の国境が消えて、人類が一致団結できる」という考えには大変感銘を受けました。
この時は惑星への憧れから関心を持ちましたが、天体観測ではなくて、むしろ惑星探査機など機械の方に興味が向いていましたね。中学時代には、将来の夢として「ロボット工学者」と書いていました。
そして、高校1年生の時に忘れられない出来事が起こります。1986年1月に起きたアメリカのスペースシャトル「チャレンジャー」の爆発事故です。NASAはもう一度打ち上げようと、原因を解明するなどして、1988年9月に「ディスカバリー号」、12月に「アトランティス号」の打ち上げに成功しました。
じつは私は当時、大学受験に失敗して再挑戦していた時期。このスペースシャトルの再挑戦に心を揺さぶられ、浪人中も頑張ることができました。そして自分もそうした宇宙開発に関わる仕事に就きたいと思うようになりました。
しかし、大学に入れたのはいいのですが、3年生になる前、専門分野を決める際に試練が訪れます。本来は「宇宙工学科」に進みたかったのですが、選考に通らず、「産業機械工学科」に進むことになったのです。夢が破れたというか、なかなか航空に縁がありませんでした。ところが、ここで熱・環境制御やロボットの基礎を学べたことが、今とても役立っています。
ISSの開発に加わりたいと思うようになったのは大学院時代です。1993年12月のニュースで、アメリカとロシアがISSを通じて協力するという構想を聞いたことがきっかけでした。当時、軍事や経済で対立していた両国が協力するということに、「宇宙開発によって、冷戦が終了し国境がなくなろうとしている!」と感動し、ISSに関われそうな宇宙開発事業団(当時・現在のJAXA)の入社を目指しました。
関連リンク
JAXA宇宙航空研究開発機構
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後編のインタビューから -難しい道を選ぶ意義 |