スイーツジャーナリストの幅広い仕事
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「“スイーツジャーナリスト”ってどんなお仕事ですか?」とよく聞かれますが、私の場合、雑誌・書籍やウェブサイトなどでスイーツを紹介するライターのような仕事から、大手食品メーカーが開発する新製品のコンセプト立案やプロモーション戦略といったコンサルティング、自治体や諸団体によるスイーツイベントの企画や講演あるいは司会、スイーツコンテストの審査員、製菓学校での講義などさまざまな仕事をしています。突然放送局からお電話をいただいて、テレビ番組に出演することもありますね。お菓子屋さんに食材の作り手、たとえば果物農家をご紹介するといったコーディネーターのような活動もさせていただいています。
審査員のお仕事では公平を期すために、すべて食べ切らないというようなこともあるのですが、基本的にはありがたく完食するか友人とシェアするなどして、1か月に食べるスイーツは200種類ほどになります。こういった仕事柄、体調管理は重要です。私の場合は食べる分、消費することにしているので、週に1~2回はジムに通い、汗を流すようにしています。糖質はスイーツですでにかなり摂取していますので、自宅ではお菓子以外の炭水化物はあまり食べず、野菜とキノコと海藻を山のように(笑)いただいていますね。“美味しさ”は五感で感じるものですので、きちんとスイーツの美味しさを感じられるよう、体調には万全を期しています。
童話作家と学校の先生に憧れた幼少期
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私は子どもの頃、大の本好きでした。小学校が特に読書教育に力を入れており、蔵書がとても多く、読書の授業などもありました。司書の先生は“いろんなジャンルの本を読むといいよ”とおっしゃっていたので、図書館の本の背表紙に貼ってある日本十進分類法の番号を見て、0から9までまんべんなく読むよう心がけていました。
たとえば、学年が終わるとその年に読んだ本の記録を見て、“今年は4番の自然科学系の本が少なかったから、来年は4番を多めに読むようにしよう”と心に決めたり。学校の卒業生に童話作家の安房直子さんがいらして、来校されたときの講演に感銘を受けて、小学生の頃は童話作家に憧れていました。
両親は、好奇心旺盛な私にピアノなど、いろいろな習いごとをさせてくれました。その中で週2回通っていたのが公文で、小学校の6年間、おもに算数をやっていましたね。自分のペースで進めるし、がんばれば先に進むこともできるのが自分の性格に合っていたと思います。公文では自分の学年より先の内容を学んでいて、表彰式に出させていただいたこともあります。計算も速くできるようになりましたし、何事もくり返し練習しながら身につける姿勢は、この時に学んだと思います。
童話作家のほかにもうひとつ、憧れたのが学校の先生でした。小学5ー6年生の時の担任の先生が歴史の授業に強い意志を持って臨まれていた方で、その先生の影響を受けて自分も歴史の先生になりたいと思ったのです。その夢を追いかけて、大学では史学科に入り教員免許をとりました。さらに専修免許状も取得しようと思い、大学院に進学しました。
苦手だと思い込まずにやってみたほうがいい
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大学院時代には母校で1年間、非常勤講師を務める機会をいただき、いい経験になりました。このまま教職に……という選択肢もあったかもしれませんが、大学院2年生の時に社会勉強と思って、就職活動をしてみることにしたのです。
大学院1年生の時に駅でパンを販売するアルバイトをしたことがあったのですが、接客の仕事は苦手だと思っていたのにやってみたら意外と面白くて。この時の「なんでも思い込まずにやってみたほうがいい」と感じた記憶にも後押しされたのかもしれません。元来好奇心は旺盛ですから、「これしかできない、ではなく、やるだけやってみよう」とコンサルティング会社や百貨店、サービス業などを見て回りました。そして最終的に、自分の知らない世界だと興味を惹かれたマーケティング会社に就職したのです。
手が抜けない性格なので、就職1年目は要領が悪く、残業続きでしたね。でも、それまで接点のなかった食品や雑貨、化粧品など、さまざまな業界の方々とお会いして、多くのことを勉強させていただきました。その中でも、個人的には食品関連のお仕事が楽しく、今の仕事にもつながっていると思います。この会社に在籍中の2002年に、縁あってあるクイズ番組に出演しました。「デパ地下グルメ」がテーマの回で優勝し、その後少しずつスイーツについてコメントを求められるようになっていったのです。今振り返れば、これが人生のターニングポイントだったと思います。
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