カメラの前で「プロをめざしたい」と宣言
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そのころわたしは、大学を卒業したらIT系の仕事をしてお金を稼いで、それから日本へ行こうというプランを立てていました。それが、大学在学中にインターネットを通じて北尾まどか先生と知り合って指導いただくうちに、日本に招待されることになりました。2011年のことで、東日本大震災のあとでした。ポーランドでは「フクシマ」と報道され、チェルノブイリのことを覚えていた母からは、「いま日本に行ったら危ないのでは」と心配されました。でも、わたしは「これは大きなチャンス」と思って日本行きを決めました。
初来日の印象ですか?「わぉ!日本だ!将棋だ!」と興奮して、会った人の顔も覚えられませんでした(笑)。電車がすごいですよね。遅れないし、音楽が流れるし、車体に色がついている。ゲートも自動で閉じたり開いたり。これ、日本人は普通だと思っていますよね? ポーランドでは電車は遅れるし、汚いし、ゲートも切符を入れて自分で押さないとなりません。やっぱり日本はハイテクの国だと思いました。
2週間、北尾先生のご自宅にホームステイして、プロ棋士の生活を知ることができました。毎日将棋会館に通って、将棋とはどういうものか、日本がどんな国かも知ることができました。ぜんぶ北尾先生のおかげです。そのころ、わたしがしゃべれる日本語は「サヨナラ」だけ。周りの方々が頑張ってくださり、英語でコミュニケーションをとってくれました。わたしのような外国人は珍しかったのでしょう。わたしもいま、海外で将棋が強くてプロを目指したいという人がいたら、すぐに日本に来てほしいし、そのために手伝いたいという思いでいます。
その後、2012年5月に第2期リコー杯女流王座戦に招待されて、勝ちました。それで「プロになれるかも」と思ったんです。外国人が日本人棋士に勝ったので話題になり、対局後、取材カメラに囲まれました。その場で「プロをめざしたい」と言いました。これがプロへの最初の一歩です。このときは女流棋士の方々とも交流して楽しかったです。将棋を楽しむ人が周りにたくさんいて、いろんな出会いがあって、応援もしてくれて……うれしかったですね。
関連リンク
公文式日本語
K・ステチェンスカ|女流棋士データベース|日本将棋連盟公式サイト
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後編のインタビューから -来日後、苦労しながら習得した日本語 |