「将棋の国際化」をテーマに論文を執筆中
わたしは女流棋士として今年4月に1級に昇級し、仕事のある東京と大学院のある山梨を往復する生活をしています。東京では将棋イベントに参加したり、指導将棋や対局をしたり、記録係も務めます。
山梨学院大学大学院では社会科学を専攻しています。2年生なので修士論文を執筆中です。テーマは「将棋の国際化」。最近、ヨーロッパでも将棋が人気ですが、そんな状況を日本人はあまり知らないと思います。ですから、ヨーロッパから来たわたしが紹介したいと思っています。
たとえば将棋の「教え方」は、ヨーロッパと日本では違います。将棋は漢字を使っていますよね。日本人は漢字が読めますが、ヨーロッパの人はもちろん読めません。ヨーロッパの人にとっては難しく、それをどう乗り越えるか、どんな教え方があるのか、それを調べたらおもしろいかな、と思っています。
わたしが生まれ育ったのはポーランドの首都ワルシャワです。都市なので、東京と同じような感じですよ。子どものころはあまり人と話せないおとなしい子でしたが、広場で友だちとかけっこをしたりして遊んでいました。わたしはゲームや考えることが得意だったので、数学やコンピューター、チェスが好きでしたね。チェスは父やおじいさんから教わりました。
母はIT系の仕事、父はコンピューター部品の販売をしていたこともあり、ワルシャワではまだコンピューターが珍しかった時代に、自宅にコンピューターがありました。いま思えば、それを小さいころから見ていたので、コンピューターに興味をもったのかもしれません。きょうだいは双子の妹がいます。見た目はそっくりですが、性格も趣味も全然違います。彼女は読書が好きな文学少女で、とても繊細。わたしは冷静でロジカルに考えるタイプですからね。
漫画で知った「ジャパニーズ・チェス」にのめり込む
将棋を始めたのは16歳のときです。出会いはまったく偶然でした。妹と一緒によくテレビアニメを観ていて、その中には日本のアニメもありました。その後偶然、そのアニメの原作漫画を見つけて、読み始めました。その作品では、登場人物が将棋をしているシーンがあり、「ジャパニーズ・チェス」と書いてあったんです。わたしはチェスが好きでよくやっていましたが、漫画に出てくる「ジャパニーズ・チェス」は、とった駒を使えるし、クイーンがない。あれ、チェスとは違うじゃない、と不思議に思って、インターネットで調べました。そうしたらはまってしまったんです。
将棋のどこがおもしろいかというと、やはり「とった駒が使える」ということ。そのルールがあるので、チェスよりダイナミックに対戦できます。そうして将棋に熱中し、インターネットで将棋の勉強をするようになりました。
その後、ワルシャワの大学に入学してITを専攻しました。大学では、友人に将棋を教えたり、同じく将棋好きの人と出会ったりして仲間を増やし、カフェテリアや図書館に盤と駒をもちこんで対局をしていました。図書館の空きスペースで大会も開きました。気がつくと仲間たちとワルシャワで将棋を普及していました。最初のころ仲間は5人くらいしかいませんでしたが、いまはワルシャワだけでなく、ポーランドのほかの都市でも将棋クラブができているほどです。
将棋にのめり込んでいる私を見て、家族は心配したかって?「そんなに好きならやりなさい」という感じでしたよ。将棋って、別に悪いものではないですよね。友だちができて、楽しそうにしていたからか、自由にやらせてくれていました。
カメラの前で「プロをめざしたい」と宣言
そのころわたしは、大学を卒業したらIT系の仕事をしてお金を稼いで、それから日本へ行こうというプランを立てていました。それが、大学在学中にインターネットを通じて北尾まどか先生と知り合って指導いただくうちに、日本に招待されることになりました。2011年のことで、東日本大震災のあとでした。ポーランドでは「フクシマ」と報道され、チェルノブイリのことを覚えていた母からは、「いま日本に行ったら危ないのでは」と心配されました。でも、わたしは「これは大きなチャンス」と思って日本行きを決めました。
初来日の印象ですか?「わぉ!日本だ!将棋だ!」と興奮して、会った人の顔も覚えられませんでした(笑)。電車がすごいですよね。遅れないし、音楽が流れるし、車体に色がついている。ゲートも自動で閉じたり開いたり。これ、日本人は普通だと思っていますよね? ポーランドでは電車は遅れるし、汚いし、ゲートも切符を入れて自分で押さないとなりません。やっぱり日本はハイテクの国だと思いました。
2週間、北尾先生のご自宅にホームステイして、プロ棋士の生活を知ることができました。毎日将棋会館に通って、将棋とはどういうものか、日本がどんな国かも知ることができました。ぜんぶ北尾先生のおかげです。そのころ、わたしがしゃべれる日本語は「サヨナラ」だけ。周りの方々が頑張ってくださり、英語でコミュニケーションをとってくれました。わたしのような外国人は珍しかったのでしょう。わたしもいま、海外で将棋が強くてプロを目指したいという人がいたら、すぐに日本に来てほしいし、そのために手伝いたいという思いでいます。
その後、2012年5月に第2期リコー杯女流王座戦に招待されて、勝ちました。それで「プロになれるかも」と思ったんです。外国人が日本人棋士に勝ったので話題になり、対局後、取材カメラに囲まれました。その場で「プロをめざしたい」と言いました。これがプロへの最初の一歩です。このときは女流棋士の方々とも交流して楽しかったです。将棋を楽しむ人が周りにたくさんいて、いろんな出会いがあって、応援もしてくれて……うれしかったですね。
関連リンク 公文式日本語K・ステチェンスカ|女流棋士データベース|日本将棋連盟公式サイト
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