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Vol.039 2016.12.09

車椅子バスケットボール選手
藤澤 潔さん

<後編>

「どんな自分でいたいか」
イメージして文字に書き起こす
夢の実現に向けた努力ができる

車椅子バスケットボール選手

藤澤 潔 (ふじさわ きよし)

長野県生まれ。中学生で車椅子バスケットボールに出会い、高校1年から地元のクラブチームに所属。現在は株式会社ソーゴーに勤務しながら埼玉ライオンズに所属。2014年「北九州チャンピオンズカップ国際車椅子バスケットボール大会」優勝、2016年リオデジャネイロパラリンピックに日本代表として出場。公文では年長から中学生まで、算数と国語を、途中から英語も学習。

会社員として働くかたわら、車椅子バスケットボールのプレーヤーとして活躍し、今年リオデジャネイロパラリンピックに出場した藤澤潔さん。中学生で車椅子バスケに出会い、高校の時に観た世界選手権である選手に憧れてから、一歩一歩夢に近づき、ついにパラリンピックという大舞台を経験しました。しかし、その道のりに至る間には、思ったようには進めない時期もあったそうです。「悔しさでいっぱいの時期」を、藤澤さんはどう乗り越えてきたのか、そして東京の舞台へ向けた抱負についても伺いました。

目次

    ロンドンパラリンピック落選から次のステップへ

    藤澤 潔さん

    長野のクラブチームで経験を積むうち、僕は強化合宿に召集されるようになりました。これは日本代表の選考を兼ねていて、選ばれればロンドンパラリンピックに出場できます。でも結果的に、僕は選んでいただけませんでした。

    当時の僕はスタミナがなく、試合後半になると疲れてシュートの精度ががくっと落ちていました。それでは選ばれないのは当然だ、と自分の中では納得がいき、この状況を打破するには環境を変えなければ、と思い切って故郷を離れ、埼玉のクラブチームに入りました。

    それを機に集中的にトレーニングを行い、スタミナをつけていきました。しかし、今度は“新チームでの活動実績が足りない”ということで、リオデジャネイロパラリンピックを見据えた全日本の強化合宿には1年半ほど呼んでいただけなかったのです。

    「リオは僕から遠のいてしまったのか……」と思いましたが、パラリンピックはアスリートの夢。そう簡単にはあきらめられません。“やるしかない”と地道にトレーニングを重ね続けました。

    “代表に手が届きそうだからがんばる”のではなく、“そこに至るまでもがんばれる”選手でありたいと常々思っていましたから、代表から遠のいたこの時期も自分が思い描くイメージに何度も立ち戻りながら努力し続けることができました。

    チームで起用されるために努力したこととは?

    念願のリオ・パラリンピック代表メンバーに仲間入り

    藤澤 潔さん

    そんな努力の成果が少しずつ表れ始め、全日本のヘッドコーチにシュートの精度が上がったことを評価していただき、強化合宿に召集がかかりました。とはいえ、召集イコール代表というわけではありませんから、毎回結果を出して選考に残っていく必要があります。

    障害が重めの選手は、シュート力というよりは、スピードとスタミナを強化しているケースが多い傾向があります。そんな中、コーチには「試合の最後までシュートが入るなら起用する」と言われました。試合後半でもシュートを決められることを見せていくことで、次に繋がり、その次も……と一回、一回を何とかクリアしていく中で、ついにリオの代表に入れていただけることになったのです。まずは個人として勝ち抜く強さが必要なんですね。

    今、世の中では東京オリンピック・パラリンピックの話題が盛り上がってきていますが、リオ・パラリンピックの代表を勝ち取ってきた道のりを思うと、アスリートとしての僕にはいきなり4年後のことは想像がつきません。

    まずは日々の成長を心掛け、リオで突きつけられた宿題に取り組みながら、まずは2年後の世界選手権でしっかりと結果を出す。その先に東京パラリンピックがあればいいなと思っています。

    藤澤さんの夢、そして子どもたちへのメッセージ

    「3ポイントシューターとして、世界で活躍する」

    藤澤 潔さん

    夢や目標を現実のものにするには、“どんな自分でいたいか”をイメージし続けることが大切ではないでしょうか。自分の場合は、それを文字に書き起こしています。文字に書き起こすと、言い逃れできなくなるんですよ。それを実現するために努力するようになるし、もし怠けたりしても苦しくても、きっとその夢に戻ってくる。そう信じています。

    もし子どもの時にすでに夢や目標があるのなら、「それは素晴らしいことだぞ」「しっかりそこに向かって準備するんだぞ」と伝えたいですね。ただ現実には、目標にしていた場所が必ずしも幸せな世界ではないことがあるかもしれません。僕のように夢の舞台で苦しい思いをしたり、その夢が惨敗で終わることもあります。でも、目標に届いたらそれで終わりではないと思います。がんばったからこそ、その先がある。次もまたがんばれるんです。

    まだ夢が見つかっていないなら、ぜひいろいろな経験をしてほしい。僕は小さい時から車椅子に乗っていて、いろいろ制約はあったかもしれませんが、母があちこちに連れて行ってくれましたし、車椅子バスケに出会うこともできました。夢のきっかけになる“興味を持てること”は、どこかしらにあります。保護者の方には、お子さんをいろいろなところに連れて行かれるといいかもしれません。

    あと、2020年の東京オリンピック・パラリンピックは絶対観に行った方がいいですよ!と声を大にして言いたいですね。僕は1998年の長野オリンピックを当時の地元で観ましたが、自分の国での五輪開催というのは、一生に何度もないことです。地元で開催されるオリンピック・パラリンピックの熱量は、どんな子の心にも絶対に響くものがあると思います。

    アスリートへの憧ればかりでなく、何かの出会いもあるんじゃないかな。世界の広さを実感して、通訳とか、海外と接点のある仕事につきたいと思うかもしれません。それになにより“人と人とのつながり”を世界規模で体感できる、またとないイベントだと断言できます。

    前編を読む


    藤澤 潔さん 

    前編のインタビューから

    -悔しい体験だったリオ・パラリンピック
    -苦痛を乗り越えて続けた公文式学習
    -車椅子バスケを始めたきっかけとは?

    前編を読む

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