アメリカで得た「人との出会い」と「さまざまな人とのつながり」
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大阪大学大学院では、経済学について徹底したトレーニングを受け、修士論文は開発経済学で最も権威のある国際的な学術雑誌 Journal of Development Economicsに掲載されました。安場保吉先生、高木信二先生、コリン・マッケンジー先生、柴田章久先生など素晴らしい先生に恵まれ、研究の精神や経済学とは何たるかをたたき込まれたからこその結果でした。このことは、後になって効いてきます。研究の世界では、とにかく良い研究をして認められることが最重要だからです。
その後は、スタンフォード大学に留学して、開発経済学のプログラムで学びました。ところが、しばらくして私が所属していたプログラムが廃止になることがわかり、同大の経済学部に入り直します。この開発経済学のプログラムの学生は皆、現地に行って自分でデータを集めたり経済実験をやったりして、それを解析して論文を書くという、今から思えば当時としては先進的なスタイルの研究を行っていました。社会人類学のフィールドワークと、経済学のミクロ実証研究を合わせたようなおもしろさで、私もそうしたスタイルに倣いました。
そうしてまとめた博士論文が、パキスタンの村の子どもの就学に関するものです。農村では不作などにより所得が変動し、それによって子どもが就学できないことがあります。その問題について、何ヶ月もかけ多くの村を訪れてインタビューを重ね、最終的に23の村の2000人以上の子のデータをとって解析し、まとめました。この研究もその後、Journal of Development Economicsに掲載されました。
大学院の夏休みに、世界銀行でインターンをしたのも良い経験だったと思います。アメリカで学んでよかったことは、人との「出会い」と「つながり」です。本や論文でしか見たことのない綺羅星のような教授たち、世銀の著名エコノミスト、世界中から集まった超優秀な学生たちから、日々新しい様々な考え方に触れることができ、大いに刺激を受けました。今でもそのネットワークが活かされています。これらはアメリカ留学したからこそ経験できたことです。就職もアメリカでしようといくつかの大学からAssistant Professorのオファーももらったのですが、東大から開発経済学の専門家を探していると終身雇用(テニュア)のある条件で誘われ、悩みましたが、帰国を決めました。そうして現在に至っています。