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Vol.032 2016.05.06

整形外科医 山口 奈美さん

<前編>

好きなことをあきらめない気持ちが
自分のを切り拓く

整形外科医

山口 奈美 (やまぐち なみ)

東京都生まれ福岡県育ち。スイス公文学園高等部卒業(第2期生)、帰国後は宮崎医科大学(現・宮崎大学医学部)に入学。同大学にてキャリアを積み、現在は整形外科医としてアスリートの医療サポートをはじめとする臨床現場で働く傍ら、幼い頃から親しんでいたサッカーのチームドクター(U-20サッカー日本女子代表)としても活躍中。2児の母。

U-20サッカー日本女子代表チームのチームドクターとして活躍されている山口奈美さん。山口さんは学校法人公文学園がスイスに開校した「スイス公文学園高等部」の卒業生でもあります。山口さんがこの高校で学んだこと、その3年間が切り拓いた医学への道。夢をつかんだのは“好きなことをあきらめない気持ち”でした。

目次

    体を動かすことにひたすら打ち込んだ幼少期

    山口 奈美さん

    私の専門はスポーツ整形外科で、とくにスポーツによる膝や足首のケガや故障の治療とリハビリを支援するのがおもな仕事です。サッカーの代表活動に携わり始めたのは2004年のこと。現在はU-20サッカー日本女子代表の「世話人ドクター」として、3人いるチームドクターを束ねる役割を担っています。

    幼い頃は、男の子たちと外でひたすら遊んでいるような子どもでした。習い事も、サッカーに水泳、そして剣道。勉強といったら学校の宿題と幼稚園からやっていた公文くらい。とにかく体を動かしてばかりでしたね。じっと座っているのが苦手だったんです。中学に入ったらサッカーと剣道に部活のソフトボールが加わって、もうへとへと。帰ってきたらごはんを食べてお風呂に入るのが精一杯でした。

    でも、好きなことをやっているからか、不思議とキツイと感じたことはありませんでした。家に帰ると疲れてすぐ寝てしまうことになるので、宿題は昼休みのうちに終わらせたり、朝、学校が始まる前にやったりしていました。ただ、部活をやっていると自然にメリハリがついて、テスト前の部活が休みになる期間は集中して勉強していました。

    小学校のうちに公文の数学ではJ教材(高校1年生レベル)まで進んでいたので、中学に入学してから数学はほとんど勉強しなくてよかったことも、正直助かりました。その分、他の教科の勉強に時間を回すようにしていましたね。「なんで大した勉強もしてないのにテストはできるんだ?」って、数学の先生からは不思議に思われていました。

    当時から文系よりは理系の科目が好き。将来の夢も、漠然と「お医者さんになりたいなぁ」という感じで、親が医者をしていたとか、自分が大きなケガをしたとか病気をしたとか、偉いお医者さんの自伝を読んだとか、そういうことはなかったんです。

    山口さんが選んだスイスにある高校とは?

    一通の学校紹介資料が運命を動かした

    山口 奈美さん
    スイス公文学園高等部

    スイス公文学園高等部(以下、KLAS)のことを知ったのは、中学3年時の三者面談も終わり、受験する高校も決まった後でした。ある日、開校間もないKLASのことを紹介する資料に出会ったんです。それまで海外旅行すら行ったことなかったのに、「面白そうな学校だな」というのが第一印象でした。

    幸いなことに、両親はKLASへの進学に賛成でした。普通に考えて、中学を出た15歳の女の子が一人で海外の学校に行くって言ったら親は反対しますよね。でも、特に母は「私だったらKLASに行くわ」と乗り気で賛成してくれたのです。父からは一つだけ「もともと受験予定であった地元の進学校に受かればKLASに行ってもいい」と条件を出されました。

    高校受験は無事に合格。すると、そこで急に迷いが出てきました。地元の子にとって、合格したその高校の制服を着るのは憧れでしたから。そのとき私は、日本の高校とKLASと「どちらに行かないと後悔するだろう?」って考えたんです。大学受験を意識しながら3年間を過ごすより、高校の3年間でしかできないことをやりたいと思いました。友だちはもちろん「せっかく合格したのに蹴るなんて」とあきれていましたね(苦笑)。

    だけどたまたま担任の先生が留学経験のある方で、「KLASに行ったらいいよ」と後押ししてくれました。合格した高校は公立でしたので、その高校への入学を辞退することは、出身中学にとってあまり好ましいことではなく、後輩たちにも影響を及ぼすことだったかもしれません。でも両親や先生が背中を押してくれたことで、前へ進むことができました。両親が最終的な判断を私に一任してくれたことは今でも感謝しています。

    こうして海外の学校についてほとんど詳しい情報も持たないまま、KLASへ進学することになりました。なんて無鉄砲だったんだろうと今は思いますが、「公文の学校だから大丈夫だろう」という漠然とした安心感はあったと思います。

    スイスでの高校生活、3年間みっちりやったこととは?

    充実していたKLASでの日々

    山口 奈美さん

    スイスに行ってまず悩まされたのは言語の壁でした。そもそも中学レベルの英語しか分からない私が、いきなり英語で授業をされるわけです。でも英語を聞くことには3か月くらいで慣れることができました。「3か月でホームシックになるよ」と聞かされていましたが、卒業までホームシックはやってきませんでした(笑)。入学当初に苦労した英語にも徐々に慣れ、友だちと毎日楽しく過ごしました。

    結局、KLAS在学3年間のうち、実家に帰ったのは2回でした。親には「日本にお金をかけて帰ってくるより他の国に行ってきなさい」とも言われていたからです。おかげで、高校3年間で本当に色々な国を訪問しました。スイスはヨーロッパの真ん中にあって、ドイツやフランスをはじめヨーロッパ圏内のほとんどの国には電車で行けます。さらに学校のカリキュラムにも、1回はヨーロッパ、1回はスイス国内と年に2回のトリップが組まれていたのです。

    数々の海外周遊経験が教えてくれたものは「少々のハプニングでは動じない」という強い心。特に自分たちで企画する旅行はトラブルの連続でした。飛行機が飛ばない、予約したホテルに泊まれない、ホテルに着いてもスタッフがいない……などなど。日本の高校生活ではおそらく経験できないことですよね。世界には異なる価値観で生きている人がたくさんいることを、身をもって体験できました。

    また、KLASの授業はただ知識を詰め込むのではなく、さまざまなテーマのもと、先生と生徒が双方で意見を出し合う「問題解決型」でした。何が問題で、それを解決するにはどうしたらいいか、自分の頭で考える訓練を、3年間みっちりと行ってきました。KLASで身につけた「何が起こっても驚かない、冷静でいる気持ち」と「問題解決能力」は、今の私の仕事にも求められることだと思います。

    後編を読む

    関連リンク宮崎大学医学部整形外科スイス公文学園高等部


    山口 奈美さん 

    後編のインタビューから

    -日本でのユニークな大学入試
    -整形外科医としてのやりがい
    -やりたいことをやり続けるために、心がけていることとは?

    後編を読む

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