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Vol.030 2016.03.04

貼り絵作家 岡森 陽子さん

<前編>

学びや経験の積み重ね
貼り絵のように重なり合い
その人自身の色として輝きを放つ

貼り絵作家

岡森 陽子 (おかもり ようこ)

大阪生まれ。オーダーメイドの貼り絵やさん。高校3年生でバセドウ病を発症。思春期に病気になった自身の経験をまとめた冊子『負けない―バセドウ病と共に生きる―』は、日本甲状腺学会のほか循環器内科や思春期外来の待合室、学校保健室等にも置かれる。現在は、グラフィックデザイナー片岡瞳氏とのユニット「Valentine eve」としても活動中。

現在、貼り絵作家として活躍する岡森陽子さん。高校3年生で「バセドウ病」を発症し、進学も就職の道も閉ざされてしまった岡森さんは、みずからの手で人生をブランディングしようと思い立ちます。「貼り絵」を通して、岡森さんが見つけた希望についてうかがいました。

目次

いろいろな人が気軽に楽しめる貼り絵の魅力

岡森陽子さん

私の仕事は大きく3つあります。ひとつは貼り絵作家としての作品やグッズの販売。もうひとつはワークショップの開催。毎週固定の貼り絵教室も開いていますが、そのほかにもデイサービスに出張して講師をしたり、就労移行支援施設で余暇活動として貼り絵を一緒に作ったりしています。あとは、イベントへの出展もしています。

貼り絵を通じてさまざまな人に知り合うことは、私の生きがいでもあります。普段は無口なおじいちゃんやおばあちゃんが、貼り絵をしているときは笑顔で昔の話をいきいきと語ってくれることがあります。また、悩みを持っている方が、「貼り絵をしている間は悩みを忘れて夢中になれた」と言ってくれたこともあります。「またワークショップをやってほしい」と言われると、参加いただいた方に対して、少しはお役に立てたのかなと喜びを感じます。

本格的に貼り絵活動を始めたのは、2011年の東日本大震災がきっかけです。私がバセドウ病と向き合うきっかけをくれた、甲状腺の専門医である栗原英夫先生が岩手のご出身だったこともあり、「私も復興のために何かできないか」を真剣に考えました。

そのとき偶然、芸術による復興支援イベントがあることをインターネットで知り、「あぁ絵を描いてもいいんだ」と。貼り絵は、高価な道具や材料がなくても楽しむことができます。自分のできることを考えたとき、被災地の方々に「絵の力で元気になってほしい」と思いました。私自身、2010年頃から放射線治療を行い、ちょうど病状が安定してきた時期でもありました。社会に対して自分も何かできないか、その方法を模索し始めていたのです。

岡森さんの公文の思い出とは?

公文の教室は私の居場所だった

岡森陽子さん

子どもの頃、私に大きな影響を与えたのが公文でした。通っていたのは小1から中3まで。親からは「中学になったら公文はやめてもいいんじゃないか?」と言われたのですが、「続けさせてほしい」とお願いしたくらい、大好きだったんですよ。

というのも、一人っ子の私にとって、いろいろな学年の子どもたちが一緒の空間で学んでいるというのはとても楽しかったのです。公文では、一人ひとり取り組む教材も進み方も違います。「みんな同じことをする」という「枠」みたいなものがないんですね。子ども時代から頑固で、人から何かを強制されるのがイヤだった私には、それがとても心地よくて、自分の居場所だと感じていました。

私の通っていた教室の先生は、生徒の思いや考えをとてもくんでくださる方でした。「もっと進みたい」とか、「もう一度戻ってやり直したい」といった私の気持ちを、否定することなく聞いてくださいました。この“信頼されている”という感覚は、自信にもつながったと思います。

とくに国語はとても好きで、小6で最終教材まで到達しました。当時から本を読むのは好きでしたが、公文の教材で出会った「はれときどきぶた」シリーズは大好きでした。あと、あまんきみこさんの『車のいろは空のいろ』も覚えています。どちらも公文の教材で知ったお話です。公文の学習は、全然「勉強」という感じがしませんでしたね。楽しくお話を読みながら、前に進んでいることがとにかく楽しかったです。

私は、小さい頃から絵を描くのが好きでした。自分が心に思い描いた世界を、紙の上で表現するのが楽しかった。最初はほんの落書きみたいなものでしたが。子どもの頃に漠然と思い描いていた将来は、「今ある職業から選ぶというより、自分で独自に新しいものを作っていきたいな」とぼんやりと思っていました。すでにある選択肢の中から選ぶというのが好きではなかったんですね。昔からジグソーパズルよりブロックが好きなタイプ。パズルはピースひとつでも間違ったらアウトですが、ブロックは自分の好きな形に組み立てられるじゃないですか。

高校3年でバセドウ病を発症した当時の様子とは?

高校3年生の大切な時期にバセドウ病を発症

岡森陽子さん

バセドウ病にかかったのは、高校3年生のとき。本当にそれは突然やってきました。進級して間もない5月。いつも学校から家まで15分かけて自転車通学していたのですが、ある日その15分がとてもキツくて、学校にたどり着くことができなかったんです。最初は「パンクかな?」と思って自転車屋さんに行ったんですけど、自転車にはどこも異常がなくて……自転車屋のおじさんに、「もしかしたら体の調子が悪いんとちゃうか?」と言われたんです。

当時はもちろん「バセドウ病」も「甲状腺」という言葉も知りません。ただ病院に行っても「風邪だ」「思春期だからそんなこともある」と言われるだけでした。バセドウ病の特徴として、だるさ、息切れ、暑いなどがありますが、これは代謝がよくなりすぎておきるもの。傍目には元気に見えてしまう。食べてばっかりいるのに、代謝がよくなりすぎて、どんどん痩せていく。うちの両親もずっと精神的なものだと思っていたようです。

とうとうその年の12月「これだけしんどいのに病気じゃないのはおかしい」と思い立ち、「検査してください」とみずから病院にお願いしました。そこで初めて「バセドウ病」という、自分の本当の病気を知ったんです。病名が分かったときは、正直ホッとしました。ホッとしたというのは、自分のだるさが怠け心からきているものじゃない、風邪でも精神的なものでもないと、はっきり分かったから。ただ体力はみるみる落ち、テストも受けられない状態でした。

高校3年生なのに、大学受験もあるのに、それどころではなく卒業すらあやしくなっていました。レポートを書いて何とか高校を卒業しましたが、それからは肩書きのない生活。通院しながら毎日をぼんやり過ごしていました。学生でも浪人生でも、ましてや社会人でもない、ただ病気と付き合わなければいけない日々……。その状況を受け入れるには、18歳の私はまだ若すぎました。

関連リンク岡森陽子 公式サイト「紙技(かみわざ)」岡森陽子 ユニット「Valentine eve」サイト

岡森陽子さん 

後編のインタビューから

-甲状腺疾患の専門医・栗原英夫先生との出会い
-岡森さんが子どもたちに伝えたいこととは?
-岡森さんが思い描くこれからの夢とは? 

後編を読む

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