Unlocking the potential within you ―― 学び続ける人のそばに

記事検索
Vol.120 2026.04.17

株式会社yutori代表取締役社長 片石貴展さん

<前編>

自主自律」と「自己決定」で
冷笑に負けず
好きなこと」ができる場所を探そう

株式会社yutori代表取締役社長

片石 貴展 (かたいし たかのり)

1993年神奈川県出身。公文国際学園中等部・高等部を卒業後、明治大学商学部に特待生として入学。卒業後はモバイルゲーム事業などを手がけるIT企業、株式会社アカツキに入社。会社員として勤務しながら、個人活動として2017年12月にインスタグラムアカウント「古着女子」を立ち上げ、5か月で10万のフォロワー数を獲得。 2018年、株式会社yutoriを創業し、「9090」など複数のファッションブランドを展開。2020年7月にはファッション通販サイト「ZOZOTOWN」を運営するZOZOグループの傘下に。同年、「Forbes 30 UNDER 30 JAPAN」受賞者に選出される。2023年、東証グロース市場に上場。 2025年11月には『若者帝国 好きな人たちと、好きなことに熱狂して働く』(KADOKAWA)を上梓。「ゆとりくん」名義で、音楽プロジェクト「69(ロック)」のラップ・ボーカル(Rap Vo)としても活動中。

24歳でアパレル会社yutoriを創業し、30歳で業界最年少かつ最速で上場を成し遂げた経営者、片石貴展さん。「ハグレモノをツワモノに」という企業理念を大切にして活動されている片石さんは、自分の好きなものや好きな人を軸に意思決定してきたことが現在につながっていると話します。「自主自律」がモットーの公文国際学園中等部・高等部で過ごした日々をふり返り、自分の「好きなこと」に躊躇している人たちに、「世間体や冷笑に負けるな」とエールを送ってくれました。

目次

    お金・人脈・スキルなし
    資本金10万円で起業

    代表を務めるアパレル会社yutoriは、僕の「好き」から生まれた会社です。僕は中高生の頃から古着や若者のストリートカルチャーが好きで、大学卒業後は会社員をしながら、「古着女子」というインスタメディアを立ち上げました。

    起業初期 仲間と
    起業初期 仲間と

    この「古着女子」は、SNSに投稿されている画像について許諾を取った上でリポスト(転載)させてもらい、そのコーディネートを紹介するコミュニティメディアです。それが人気になり、大学時代の友人2人とyutoriを起業したのは社会人2年目、24歳の時でした。資本金は10万円、お金も人脈もスキルもない。でもやってみたらうまく行った、という感じです。

    当初は、SNS上で顧客と直接つながり、オンラインで服を販売する、「D2C(Direct to Consumer)」という新たなビジネスモデルで事業を行っていました。今は実店舗があり、東京、名古屋、大阪、北海道、福岡、そして台湾と、国内外に60店舗を展開しています。アパレルのブランド数はコスメ含め34、最近はキャラクター事業も始めました。本社と店舗を合わせて500名弱が働いています(2026年3月時点)。

    yutoriの服はブランドごとにそれぞれの特徴があります。各ブランドに専任のクリエイティブディレクターがいて、デザイナーと契約してつくってもらっています。

    起業時
    起業時

    創業1年目に約1億円の資金を調達し、古着を中心とした事業から新品ブランドへと徐々に切り替えていた最中にコロナ禍となりました。その頃、事業拡大に向けた追加資金調達に強力なバックアップパートナーが必要だったため、ご縁のあったZOZOと提携しました。

    実店舗運営を始めたのは、2022年に買収した会社が店舗をもっていたことがきっかけです。その後出店を加速させ、2023年12月に株式市場に上場。30歳で上場するという目標を達成することができました。

    社長としての自分の仕事は、新しい領域を広げていくこと。今はコスメとキャラクターのふたつが新規事業として走っています。コスメでいえば、2024年に「minum(ミニュム)」というブランドをリリース。アイライナーは1分に1本ぐらい売れるヒット商品となりました。キャラクターの方は、2025年から性格タイプ診断をテーマにした16のキャラクターのキーホルダーなどを発売中で、さらに事業構想中です。

    そんなyutoriの企業理念は「ハグレモノをツワモノに」。実は僕自身もハグレモノでした。

    自分の意思決定で進められる
    KUMONは性格に合っていた

    片石貴展さん

    僕は幼少期からかなり活発で、小6のときは運動会の応援団長をしたり、学校行事の実行委員長をしたりと、とにかく目立ちたがり屋でした。習い事も、剣道、テニス、サッカー、水泳とたくさんやっていて毎日忙しい。どれも自分でやりたくて親に頼んで始めたもので、一切否定せずにやらせてくれた両親には感謝しています。

    起業していた父からは、「セコいことはするな」「弱いものは守れ」とよく言われていて、ヒーローみたいに育てられました。父の会社を手伝っていた母は、完璧主義で母性にあふれた人。僕には弟と妹もいますが、母は子どもたちを加点主義で見ていて、まるで僕たちのファンのように、何をするにもすごく応援してくれました。もちろん服が脱ぎっぱなしだとか、だらしなさの指摘や人間的な教育は日々されましたが、「勉強しなさい」ということは、父からも母からも言われたことはありません。よくも悪くも本人任せでした。僕のことを「自分で意思決定する人間」と思ってくれていたようです。素晴らしい家庭に生まれたと思っています。

    KUMONに通い出したのも、友だちが通っていたから入りたいと思ったのだと思います。小1くらいから小6まで通っていました。最初は国語と算数、途中から英語も始めました。

    通っていた教室では竹内先生にものすごくお世話になりました。僕は相当やんちゃな小学生だったので、とても大変だったと思いますが、先生は僕の才能のようなものを好意的に評価してくれました。学校の先生にはほめられることがあまりなかったので、そういう意味でも竹内先生のことはすごく印象に残っています。暗算が飛び抜けて速かったのも、KUMONに通っていた影響でしょう。

    やんちゃな僕が通い続けられたのは、自分の意思決定で進められる学習法が自分に合っていたから。自分のペースでできるのがとてもよかったです。その後進学した公文国際学園の教育目標のひとつは「自主自律」でしたが、幼い頃からKUMONに通うことで、それを入学前から感覚的に身につけることができていました。

    公文国際学園で体得した
    起業の原理原則

    KUMONに通っていたので、公文国際学園のことは知っていましたが、「この学校に行きたい!」と強く思ったのは、学校見学の時。私服だし、校則もなくて、すごく先進的でおしゃれに見えたんです。当時、公文式学習の中学課程を1教科でも終わっていると推薦入試を受けられたのですが、僕は中学課程を3教科終わらせて、英検3級も取得。竹内先生から推薦をもらって小論文と面接を経て合格しました。

    入学してみると、同学年の160人が、中高一貫なので6年間ずっと同じメンバーのまま、山の上にある学校で過ごすわけです。純粋培養というか、ちょっと独特な校風でしたね。でも、とくに「自ら学び、考え、判断し、行動する」という学園の教育方針は、性に合っていました。自分で決めて、自分でその責任を引き受けるというのは、企業経営の原理原則です。そうした経営の初歩的なことを公文国際学園で学べたのは本当によかったです。

    片石貴展さん

    学園生活では、文化祭に相当する「表現祭」が印象に残っています。中2の時、僕のクラスが中高全6学年の中で1位を取ったんです。「世にも異様な物語」という、異世界転生で主人公が成長していく演劇をしたのですが、僕はクラスの実行委員長としてクラスを主導する立場でした。

    最初は発起人として、周りを巻き込みながら動くことが多かったのですが、各担当者に任せた後は、各自が主体的に動いていくので、当日が近づくにつれ、僕は全体を見るだけで、やることが少なくなっていったんです。

    この時の自分のリーダーシップは、今の自分の経営スタイルにすごく近いと感じます。自分が動かなくても、包括的に全体を捉えてそれぞれの担当者がエンパワーメントされていれば、自分一人でやるよりはるかにいいものがつくれる。そんな経験をしました。

    ほかにも高2の修学旅行の行先を海外ではなく、あえて京都にしたり(注:公文国際学園では、修学旅行の行先や内容を生徒が企画する「世界文化体験」を実施していた)、自転車部をつくろうとしたり、様々な場面でリーダーシップを発揮していましたね。

    一方で勉強はまったくしていなくて、高1まではずっとビリから10位くらいでした。進学できるかできないかの瀬戸際だったので、高2からはそれまで続けていたバスケ部をやめて勉強することにしました。

    元々服が好きで、高校時代は部活よりも友人と原宿に行って、ファッション雑誌にストリートスナップされたりするのがすごく楽しかったんです。なので、部活をやめてからは、勉強とファッションに時間を費やしました。

    学園では服装は自由でしたが、自分の好きな古着を着て登校すると、揶揄されたり、白い目で見られたりすることもありました。ただ、一緒に原宿に行く服好きな友だちもいましたし、自分の「好き」を貫きました。一緒に行動していた友だち2人もビリ10位組だったので、「この日は図書館で勉強しよう」と勉強も組み込みながら、勉強と遊びをうまいことバランスを取っていました。最終的には皆巻き返していい大学に行ったので、よかったと思います。

     


     

     

    後編のインタビューから

    -「勉強の仕方」を先生に相談 特待生として明治大学へ
    -「自分の心地よさ」が 自分を高みに導いてくれた
    -あるがまま うまく波に乗り続けていきたい

    後編へ続く(近日公開)

     

      この記事を知人に薦める可能性は、
      どれくらいありますか?

      12345678910

      点数

      【任意】

      その点数の理由を教えていただけませんか?



      このアンケートは匿名で行われます。このアンケートにより個人情報を取得することはありません。

      関連記事

      バックナンバー

      © 2001 Kumon Institute of Education Co., Ltd. All Rights Reserved.