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Vol.025 2015.10.09

サイエンスコミュニケーター
内田麻理香さん

<前編>

「科学」は人間の好奇心の結晶
科学の視点を知ることで
日常はもっと楽しくなる

サイエンスコミュニケーター

内田 麻理香 (うちだ まりか)

千葉県生まれ。渋谷教育学園幕張高校から東京大学工学部応用化学科へ。2009年に東京大学大学院工学系研究科広報室の特任研究員に。 現在は執筆業及びサイエンスコミュニケーターとして活動するかたわら、 東京大学大学院学際情報学府博士課程(専門:サイエンスコミュニケーション)に在籍。 主な著作に『カソウケンへようこそ』(講談社)、最新刊は『もっと!おうちの科学』(丸善出版)。

一般の人々と科学の専門知識の橋渡しをする「サイエンスコミュニケーター」。東日本大震災以降とくにその役割が注目されるこの仕事で、執筆や講演を通じて科学のおもしろさを伝える活動を続ける内田麻理香さん。小さい頃から実験好きだったという内田さんの学びの原点、そして「科学」に寄せる思いについてうかがいました。

目次

主婦として家の中で再会した「科学」

サイエンスコミュニケーター 内田麻理香さん 私の仕事は、多くの人に科学というものを知っていただくことです。科学に関する執筆のほかに、子ども向けの実験教室や、大人向けの講演会も開催しています。さらにもうひとつ現在力を入れているのは、理系に進む女子の支援です。女子高生が進路に迷ったときにだいたいの子が文系を選んでしまう。しかもその原因が親や先生の勧めだったりする研究結果もあります。理系に進むことを躊躇している女子に、研究者・技術者以外にも面白い職業があるということを伝えたい。私のようなサイエンスコミュニケーターもいますし、科学の知識を活かしてイラストレーターや編集者をしている方もいます。

 とはいうものの、かつての私は自分の理系の才能に限界を感じていました。だからといって文系で何かできるわけでもない。それでちょうど中間にある弁理士の仕事をやりたいと思っていたんです。ただ家庭の事情もあって資格の取得を断念。それで専業主婦になったわけですが、なにせ勉強しかしてこなかったので、何より家事が苦手で……(苦笑)。自分でもあきれるんですけど、たとえばあんかけを作れば、片栗粉と小麦粉を間違える。お菓子づくりではいくら卵白を泡立ててもメレンゲにならない。それで卵を1パック使い切ってしまったことすらあります。

ではなぜ、卵白が泡立たなかったのか? それは、容器に油がついていたからなんです。空気に触れると卵白のタンパク質に変性が起きて骨格を作り、その中に空気を含んでカサが増えるのでフワフワになるのです。だけど油はその構造を壊してしまう。卵白を泡立てるとき、「きれいなボウルを使いましょう」とたいていのレシピに書かれているのはそういうことです。 

そして、片栗粉と小麦粉で固まり方が違うのにも理由があります。でんぷんは水と熱を加えると“糊化”を起こしますが、その糊化するときの温度と粘度が小麦粉と片栗粉では異なります。片栗粉は小麦粉より低い温度で糊化するのです。

こうした事柄を私は「見えない科学」と呼んでいます。学校で教わる科学は「見える科学」で、いかにも科学という顔で存在しています。ただ家の中にも、このような「普段着の科学」が存在するんです。私は専業主婦になって科学から離れていたと思っていましたが、家の中でまた科学と出会うことができました。科学との再会を果たした気分でうれしくなったのがきっかけで、家庭科学総合研究所=「カソウケン」という、家庭の日常を科学するサイトを立ち上げました。

※「カソウケン」のサイトは、記事末尾の関連リンクをご参照ください。

「確認したがり」でいろいろな実験をした幼少期

「確認したがり」でいろいろな実験をした幼少期

サイエンスコミュニケーター 内田麻理香さん 小さい頃は、科学教材や子ども向けの百科事典を見ながら自分で実験していました。書いてある通りの結果が出ることにひたすら感動していた思い出があります。確認したがりだったんですね。しかしここでも失敗だらけで、乾電池を直流につないで豆電球をつける実験をしていたとき、交流の場合を調べたくて導線をコンセントに突っ込んで……、見事に感電しました。小学校2~3年のときだったと思います、初めての感電。

 もっと小さいときのこと、公民館のイベントで「あぶりだし」の実験をしたんですね。紙に柑橘類の汁で模様を描いて、電熱器であぶると模様が出てくるというやつです。それを家で、親がいないときに自分ひとりでやっていて、電熱器が家になかったのでガスコンロの火を使ってしまったんですよ。もちろん紙は火を上げて燃えてしまい、慌ててシンクに投げ込みました!さすがに怒られるだろうなとシュンとしていると、帰宅してその一部始終を知ったうちの親はこう言いました。「ちゃんとシンクに投げてえらかったね」。

 もしそこで頭ごなしに怒られていたら、その後二度と実験をすることはなかったかもしれません。また、両親に「勉強しなさい」と言われたことはほとんどありませんでした。私はあまのじゃくな性格でしたので、うるさく言われていたら逆に勉強しなかったと思うんですよ。勉強しなさいとは言われなかったけど、実験や好奇心の芽は摘まないでくれたことはありがたかったですね。

東大に進学するきっかけになったガンダムの影響とは?

 

ガンダムに影響を受けて東大へ

サイエンスコミュニケーター 内田麻理香さん公文に行き始めたのは、家族で行った旅行がきっかけ。海外からのお客さんと父親が英語で話しているのがかっこよく見えたんです。英語がしゃべれるようになりたいと私も思い、公文の英語を学ぼうと。でも小1だった私は、その当時はまだ英語を学習するには早いと思われたようで、教室の先生に「もう少し大きくなったら来てください」と言われました。でもそこで母親が「この子は大丈夫です」と何の根拠もなく言い切ってくれて通うことになり、結果としてそれから小6くらいまで通っていました。先生もとてもいい方で、ティーセットで私たち姉妹をもてなしてくれるなど、子どもだった私をレディ扱いしてくれたことが誇らしかったのを覚えています。

公文式英語で学んだことは今にも生きていると思います。英語の長文読解は、日本語と英語の対訳学習なので、英文だけでなく、日本語の読解の訓練にもなりましたし、毎日のくり返し学習で机に向かう習慣もできました。私は公文のほかにも、バレエやピアノ、バイオリンなど色々な習いごとをさせてもらいました。

私は中学受験をしたのですが、私がお願いしてバイオリンを習い始めたため、塾には行かず、父親に勉強を教えてもらっていました。父からは中学入学以降も勉強を教えてもらっていましたが、中学2~3年くらいになったときに、「もうお父さんは教えられない。自分で勉強して」と言われました。お父さんからの卒業です。お父さんでもわからないことがあるんだ……とちょっとショックもありましたが、その後はもう自分で勉強するしかない、という自立につながりました。

父親が歴史小説好きだったこともあって、小学生のときは歴史学者に憧れていました。でも中学に入ってからは、当時観た『ガンダム』の映画に大きな影響を受けました。私の場合は、映画に出てきた宇宙空間で人が住める場所“スペースコロニー”にとくに感動して、「スペースコロニーを作りたい!」という夢をもちました。でも、「こんなに大規模なものを宇宙に作るんだったらそういう国家機関に入らないとダメかな、そうしたらやっぱり東大かな?」と……そんなアバウトな経緯で私は自分の進路を思い描いたのです。

関連リンク内田麻理香:カソウケン(家庭科学総合研究所)


サイエンスコミュニケーター 内田麻理香さん  

後編のインタビューから

-子どもを科学好きにするには?
-東日本大震災で知った自分の無力さ
-内田さんの夢

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