練習を積み重ねれば試合で結果を残せる喜びを味わった中高の陸上部
公文を始めたのは小学2年生のときでした。母親に連れられて体験学習に行ったのがきっかけで、教室が楽しかったこともあり、それからしばらく続けましたね。とくに公文式学習で計算を解くのは、自分が成長していくことが手に取るように分かりますし、身体を鍛えるトレーニングに近いものがあったと思います。実際に学校のテストでほかの友だちよりも早く解けている自分がいたりすると、なおさら楽しくなってもっともっと勉強したいと思いました。
小学4年生のときに学校でクラブ活動が始まって、そこで陸上クラブに入ったことが僕の陸上人生のスタートでした。それからは中学、高校も陸上部。練習は正直キツかったです。でも練習をがんばれば、試合で結果を残せることが分かったので、投げ出すことはなかったですね。僕は香川県出身なんですけど、努力の成果として香川県大会から四国大会に出場できたり、表彰台に上がれたり。ステータスを感じられることが嬉しくてやりがいがありました。
ずっと陸上を続けていたのは、もちろん好きだということもありますが、中学時代の陸上の先生の影響が大きかったと思います。人生の厳しさや忍耐力、先生から色々なことを教わりました。その先生はおそらく当時20代前半くらいだったと思うのですが、先生というより「憧れのお兄ちゃん」みたいな感じでした。日曜日は一緒に遊びに連れて行ってくれたりもして、大学の面白さを教えてくれたり、自分にとって近い将来のビジョンを先生が示してくれていたので、あぁこういう人になりたいな、という憧れがありました。そのころは寝る時間以外はずっと陸上のことを考えていたくらいで、人生を振り返ってもあそこまで何かひとつのことに没頭した時間はなかったかもしれません。
たったひとつの試合で味わった大きな挫折は神様が与えてくれた試練だったのかも
勉強やスポーツで大切なのは、そこで成功と挫折を味わうことだと思うんです。勝っていくことだけでなく、負けることも必要、そのどちらも経験することが重要だと思います。そして今、俳優としてお芝居をする上でも、「ここまで努力しないとこれ以上の結果は出ない」という感覚が身に染みています。
僕がやってきた陸上競技の場合は記録が明確に出ます。もし記録を0.1秒縮めたければどれくらいの練習をする必要があるのか、さらに1秒縮めたかったら……という感じで。ぐんぐん伸びている選手を見ると分かるんですよ。もし自分が400mを1日10本しか走らなくて、相手は15本走っていたら、その努力は如実に結果に表れる。そういうことを知っただけでも、陸上を続けてきて良かったなと思います。何しろ陸上にまぐれはありませんから。
大人になると、壁にぶち当たったりとか、絶対に無理だろうなということが自分の意識とは関係なくふりかかってくるものです。そういうときに必ず思い出すことがあります。僕にとって最初にして最大の挫折。それは高校3年生のときの400mハードル競技で失格になったことです。――全国大会に向けて将来がかかる重要な試合でした。
はっきりいって、そのときは人生が終わったと思いましたよ。陸上選手として大学に推薦で進学して、そこから何かしら将来が広がっていくんだろうなと思い描いていた自分の道が、すべて断たれてしまったんですから。9年間がむしゃらにやってきた陸上を捨てて、また一から何かやらなきゃいけないのか……。そのときは自分の中で落ちようがないところまで落ちました。でもそうなると、あとは上を見上げるしかなかったんですね。そこからゆっくりゆっくり立ち上がっていった感じです。
この挫折は、きっと神様が与えてくれた試練だったんだろうなと、今はそう思えます。そして陸上一色だった自分にとって、唯一陸上以外で興味があったのが「俳優」という仕事でした。俳優、というかテレビに出る仕事がしたいと思っていたんです。それまで陸上競技でフタをしてきたその思いに、今度は真正面から向き合おうと思い、上京を決めました。
仮面ライダーのオンエアを観た後、「俳優っていい仕事だな」と実感できるように
上京してオーディションを受けまくっていた時期は、ただやるしかないという感じでした。むしろ環境の変化が楽しかったですね。アルバイトもたくさんやりました。一番長く働いていたのがイタリアンレストラン。小さいお店だったので、キッチンもホールも一人で何役もこなして、お店の人たちとは家族のような関係でした。ちょうどそこで働いていたとき、仮面ライダーのオーディションを勝ち進んでいって、急にバイトを休まなければならなくなることがありました。当時は携帯電話を持っていなかったので、早朝に店に置き手紙をしていくことに。「すいません、急遽オーディションに行かなくてはならなくなりました」って。でもそのオーディション後に、お店の人たちが「いい結果になるといいね」って言って応援してくれたことはきっと一生忘れませんね。
そういう周囲の人の理解と優しさと幸運が重なって、俳優という職業に就くことができました。でも、じつはいまだに「この仕事で食べていける」という自信はないんです。「来年、仕事がないかもな……」って考えたりすることもありますし。だって人生って何が起こるか分からないですから。でも、それが楽しいんです。僕の性に合ってるんだと思います。今に全力投球する感じがね。
デビュー作になった『仮面ライダーアギト』のオンエアを観た後、俳優っていい仕事だなってことを初めて実感しました。たくさんファンレターをいただいたり、お子さんが憧れの目で見てくれたりして、この仕事のありがたさを感じたんです。その後いろいろな作品に出させてもらうようになりましたが、いつも考えていることは、「子どもたちが観て分からなかったら意味がない」ということです。子どもたちが僕の出演する作品を観て、「楽しかった」「勇気をもらえた」「感動した」とか、そういう風に感じてくれたら嬉しいです。子どもたちの心に何か少しでも残っていたら、僕の仕事も意味があるんじゃないかと思えるからです。
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