自分の伴奏でみんなが歌ってくれたうれしさ

幼児期にピアノをたしなんだことのある方は多くても、それを職業にしようと志す人は、それほど多くないかもしれません。私の場合、小学3年生ぐらいで「ピアニストになりたい」という夢を持ったのですが、それは「看護婦さんになりたい」「トラックの運転手になりたい」といった子どもが無邪気に抱くタイプの夢でした。
当時、私の通っていたデュッセルドルフの日本人学校で、歌の伴奏を頼まれたことがありましたが、そのとき、自分の伴奏でみんなが歌ってくれたことがうれしかったのを覚えています。伴奏といえば、NHKの『みんなのうた』のメロディーを聞いて、伴奏をつけて遊んだりもしていました。
ピアニストになる覚悟を試されたのは12歳、ポーランド人の先生に師事したときでした。初めてのレッスンのあと、「次のレッスンに来るまでに本気でピアニストになりたいかどうか、考えてきなさい」と言われ、ピアニストの生活は、自分との闘いの連続だと教えられました。それからは、以前より自分の音をよく聞いて確認しながら、練習を積み重ねていくようになりました。
その後、ピアノを演奏するということの難しさ――例えば、作曲家が40代で書いた作品を、技術的にだけではなく心情的にも、10代の自分が十分理解して演奏することの困難さ――を思い知り、ほかの道を考えたこともありました。しかし、父親が海外赴任を終えて日本に帰ることになったとき、母と二人でドイツに残る決心をしてピアノを学び続け、最終的にピアニストの道を進むことになりました。
こつこつと準備し、実績を積み重ねていく

Career(キャリア)は「道」を意味していますが、ピアニストになるためには、いくつもの道があります。音楽コンクールに入賞して世間に認められてデビューする人もいれば、コンクールを経なくても、自分をプロモートして知名度を上げていく人もいます。私の場合は、ひたすらコンクールに出場し、さまざまな公の場所に自分を出すことを心がけていました。
ひとくちにコンクールと言っても、段階があります。大きなコンクールへ準備するプログラムの長さは2~3時間という長丁場ですが、それに対応できるよう、まずはじめは小規模のコンクールに出場し、30分くらいの演奏に慣れる。そして次は中規模のコンクールで1時間のプログラムを準備し、レパートリーが増えてくると、ショパンコンクールとかチャイコフスキーコンクールといった、大きなコンクールに挑戦できるようになります。こつこつと準備し、実績を積み重ねていくことで、道が開けてくるのです。
ただ、綿密に計画して臨めばいいというわけでもありません。どんなに練習を積んで準備万全と思っていても、いざ当日、舞台に上がると、精神的なプレッシャーに負けたり、「ほかの出場者のほうが上手」と思えてしまうこともあります。プレッシャーも乗り越えられる精神的な強さ、それを鍛えることができるかというのも、コンクールでは非常に重要なポイントになってくると思います。
コンサート会場に足を運んでほしい
![]() |
よみうり大手町ホール開館記念読響スペシャルコンサート 2014年3月28日 ©読売新聞 |
クラシック音楽の多くの曲は100年、200年前に書かれたもので、なかには当時の歴史的、政治的背景があってこそ生まれてきた曲もあります。現代人の私たちがそれを想像し、理解するのは大変かもしれませんが、「現代ならではの解釈の仕方」というものもあるのでは、と思います。私が演奏することで、その瞬間、瞬間に音から生まれるものを楽しんでもらう。そこで何かを感じとってもらうということが、一番大事なんじゃないかなと思います。
今の仕事の最大の喜びは、大好きなことを職業としてやっていられるという事実。好きな音楽や好きな作品を弾いて、自分自身も満足が得られる、その上にお客さんにも喜んでいただける。それによって生活できる。それは何にも代えがたい喜びです。
私は5歳からずっとドイツで過ごしていますが、クラシック音楽ゆかりの地のドイツでも、昔は一家に一台あると言われていたピアノが最近では無くなってきたり、コンサート会場に足を運ぶのが高齢層ばかりになってきたりと、残念な傾向が見受けられます。「音楽鑑賞はインターネット配信で十分」という方もいますが、演奏会は単に演奏を聴くだけのことでなく、公の場、ふれあいの場。休憩時間に友だちと意見を交わしたり、偶然隣り合わせた人と知り合っておしゃべりをしたりといった楽しみは、実際に会場に足を運んでこそです。
昨年、よみうり大手町ホールのピアノを選ぶという大役をいただきました。低音域から高音域まで音量が均一か、音の密度がどうか、ホールにお客様が入られたときのことを想像しながらのピアノ選び。同じピアノでも調律や演奏される曲目によって、音が変わってきます。コンサート会場に足を運び、育っていくグランドピアノの音を楽しんでいただけたらと願っています。
関連リンク
河村尚子オフィシャルサイト