*公文式算数・数学、英語の修了とは高校卒業レベル、フランス語の修了とは仏検2級に挑戦できるレベルを指します。
FIRST Robotics Competitionとは
電動二輪車セグウェイを発明したディーン・ケーメン氏が設立したNPOが開催するロボットコンテスト。高校生が対象で、2016年のシーズンは24の国と地域から75,000人、約3,100チームが参加した。出場には、コンテスト参加にかかる費用はスポンサーからの資金でまかなう、などといったいくつかの条件をクリアしなければならない。本部から送られてくる基本の部品を使い、提示される課題を速く正確にこなすことができるように、各チームが工夫を凝らして6週間でロボットを完成させる。コンテストでは、他チームと協力して試合に臨み、総合得点を競う。単にロボットを作るだけでなく、企業との交渉や他チームとのコミュニケーションなど、起業にも通じる力が求められる。世界各地で予選会が開かれ、上位のチームが本選に進むことができる。
岩﨑さんのあゆみ
岩﨑さんが参加したFRC (高校生対象の国際ロボットコンテスト) ハワイ大会の参加認定証 |
小1 | 公文に入会する |
小6 | お父さまの仕事の都合でカナダに引っ越す |
中2 | カナダのあるチームの一員として最年少でFIRST Robotics Competition(以下、FRC)に参加 公文の英語教材を修了する |
中3夏 | 帰国 |
高1 | 公文のフランス語教材を修了 |
高2 | 日本初のFRC参加を目指してチームを立ち上げ、予選会にあたる「FRCハワイ大会」に出場 公文の算数・数学教材を修了 |
高3 | 2回目のFRC参加 |
今夏 | マサチューセッツ工科大学に進学予定 |
Q. 小さい頃はどのようなお子さんでしたか?
A. 小さい頃からモノを作るのが好きでした。小学生の頃、クラスで牛乳パックをたくさん使っていかだを作ったり、巨大な凧を作ったりしたことを覚えています。また、近所にあった科学館に毎週末のように足を運んでワークショップに参加するなどもしていました。小学生時代は、絵画、ピアノ、水泳に公文と習い事で忙しくしていました。
Q. 公文を始めたきっかけは?また、どのように学んでいましたか?
A. 3つ下の妹が先に公文に通っていて、自分もやりたいと言って通い始めました。小6の夏にカナダへ引っ越してからも、通っていた教室の先生のご厚意で通信で学習を続けました。公文の教材はよくできていて、1日分の5枚のプリントが導入、練習、発展、応用、まとめという構成になっています。そのことに気づいてからは、そういったプリントの作りも意識しながら教材を解いていました。先生は、教材を私の実際の学年より先に進めてくれたので、高校に入ってからも数学では困りませんでしたね。ロボコンに打ち込めたのも、学校の勉強の方は余裕があったおかげです。英語はカナダにいた中2の時に、フランス語は高1、算数・数学は、高2の時に修了しました。
「自分で学ぶ」という姿勢は、公文を通じて身についたと思っています。今は、大学の図書館に通って興味のある専門書を手当たりしだい読んでいます。一つわからないことが出てきたらそれを調べるために別の本を開き、またわからないことがあったらまた別の本にあたる…というように、自分は何がわからないのか、そのためにどのようなことを学べばいいのかを探りながら、知識を深めていく。それはまったく苦ではありません。今は、量子力学や理論化学の分野が好きで自分で学んでいます。この分野のさまざまな理論を打ち立てた偉人の方々の思考の流れを追っていくと、当時の時代に自分が生きていたらおもしろかっただろうな、と思います。
Q. 岩﨑さんとロボコンとの出会いを教えてください。
A. カナダに引っ越してから最初の1年は、英語で自分の言いたいことが言えず苦労しました。それでもカナダ生活2年目になる中2の頃から、やっと英語で自分の考えを相手に伝えられるようになり、楽しくなってきました。そんな矢先、学校の先生に声をかけられて、カナダのロボットチームに当時の最年少メンバーとして参加することになったのです。活動場所は、自分が通っていた学校から電車やバスに乗って数十分かかるところでしたが、このロボットチームが自分の“居場所”のように感じ、喜々として通っていました。というのも、私が参加したチームでは、最年少の私にもちゃんと役割を与えてくれて、そのことにやりがいと責任感を感じていたからです。本番直前には、自分が担当したパーツが思うように動かなくてパニックになりながらも、皆で協力して乗り切りました。とても貴重な経験でした。カナダから日本に帰国する際、この時のロボットの先生とは「日本でFRCに参加するチームを作る」ことを約束しました。
Q. 中3で帰国し、日本の高校に進学されました。どのような高校生活を送られたのですか?.
A. 高校ではハンドボール部に所属し、楽しく高校生活を送っていました。ただ、心のどこかにロボットのことがひっかかっていて。高2の時「ここで私がやらなかったら、これから先10年くらい日本からFRCに参加する高校生は出てこないだろう」と考え、自分でチームを立ち上げることにしました。
Q. FIRST Robotics Competition (FRC)は、技術力のみならず、交渉力やコミュニケーション力など起業にも通じる力が求められるとのこと。コンテスト出場までの道のりについて聞かせてください。
岩﨑さんが立ち上げたチーム「インディゴ ニンジャズ」と 制作したロボット(前列右が岩﨑さん) |
A. まずはメンバー募集です。自分のまわりにはロボコンに参加しようという人はなかなかいなくて、学校代表で参加したアジアサイエンスキャンプで知り合った他校の仲間に声をかけたり、インターネットで呼びかけたりしてメンバーを集めました。
その後はスポンサー探し。FRCには、渡航費や参加費などの費用はスポンサーからの支援でまかなわなければならないというルールがあります。ですから、企業にメールを送って支援を依頼したり、クラウドファンディングを使ってインターネットで支援を呼びかけるなどして資金を集めました。
無事に申し込みが受理されたら、ロボットの部品が送られてきます。コンテスト本番の試合内容がアナウンスされてから6週間で、その試合で取り組むべき課題を効率よくこなすことができるロボットを作っていきます。メンバーは皆高校生ですから、集まるのはたいてい週末。スポンサー企業の一室を借りて、朝から晩までロボット製作に没頭しました。
Q. ロボットの製作やプログラミングはどのように学ばれたのですか?
A. 私が初めて本格的なロボットの製作に関わったのはカナダにいたときです。その時には、インターネット上にある情報や本を読み、ロボット製作についての技術的なことやプログラミングを自分で学びましたね。もちろん英語です。あと、FRCの場合、ボランティアのメンターの方からアドバイスをもらうことができますので、専門知識のあるメンターの方にも多大なる協力をいただいて、ロボットを作っていきました。
Q. ロボコンの参加を通じて学んだのはどのようなことですか?
A. 「かしこまらずに自分のやりたいことを伝えれば、共感してくれる人は必ずいる」ということに確信を持てるようになりました。特にスポンサー探しは大変でした。50社以上の企業にメールを送って面会を申し込みましたが、「高校生の支援はできない」とまったく取り合ってくれない会社もありました。それでも面会してくれた会社の方には、私たちの想いを直接伝え、少しずつ支援をしてくださる会社が増えていったのです。最終的には19社から支援を受けることができました。こういった経験を通して、「想いは伝わる」ということを感じることができました。
Q. マサチューセッツ工科大学(MIT)を受験したのはなぜですか?
A. カナダでお世話になったロボットの先生に「君ならMITに行けるよ」と言われていて、それが何となく心に残っていました。高1の冬に、進路について考えいろいろと調べていて、MITは日米の大学を併願受験できることを知りました。それでチャレンジしようと。親には反対されましたが、自分にはMITの受験にチャレンジするだけの力があることを示さなければ話が進まないと思い、TOEFLやSAT(アメリカの大学進学適性試験)で条件となる点数をクリアしていることを見せていきました。そして、エッセーや面接など、一つひとつに精一杯取り組みました。私が受験した国際生の枠は、倍率が40倍という狭き門だったのですが、合格することができました。
Q. MITではどのようなことを学び、将来はどんな道に進みたいと考えていらっしゃいますか?
A. MITでは、理論化学を学びたいと考えていて、すでにいくつか所属したい研究室があります。アメリカの大学は、日本と違って1年次から研究室に所属することができるんです。少しでも早く研究の世界に入りたい私にとっては、理想的な環境です。また、研究の世界もそうだと思いますが、世界で活躍するためには人脈が大事だと感じています。実際、高校の時に学校代表で参加したAsia Pacific Youth Leaders Summitでは、アジアの学生たちの意識の高さに刺激を受けました。こういった集まりに参加するのは、何かの知識を得ることよりも、さまざまな人と出会うことに意味があると感じました。ですから、自分から積極的に動いてさまざまな人に出会っていくことは、これからも意識していきたいと思っています。私はとにかく学ぶことが大好きなので、卒業後はアメリカの大学院に進み、将来は研究者になりたいと思っています。