400年以上の歴史を持つ“手妻”の伝承者として

「手妻」と聞いて、すぐにピンと来る方は少ないかもしれませんが、私は「手妻師」、専業の古典奇術師です。なぜ「手妻」と言うかについては諸説ありますが、もともと、「手の速さ、稲妻のごとし」というところが由来ではないか、という説があり、私ども藤山一門は好んで使っています。
日本における“奇術”の歴史は、大陸から入ってきた奈良時代まで遡ると言われています。古くは例えば、平安時代後期(諸説有り)の説話集『今昔物語集』のなかに、奇術的なものが見受けられます。ただ当時は、雑多な芸の中のひとつで、修験道の刀の刃渡りであったり、ジャグリングのようなものだったりと、奇術だけを指す言葉がありませんでした。
奇術が芸能として独立したのは、1600年代ごろ。さらに時代が下って明治時代ごろになると、西洋から「洋妻」、つまり西洋の奇術が入ってきたことで、手妻は「和妻」と呼ばれるようになっていきます。なお、無形文化財として登録されているのも「和妻」という言葉です。
ところが「和妻」化によって、その定義はあいまいになってしまいました。例えば西洋のサーベルに千代紙を貼って刀に見せて奇術を行っても、それが「和妻」としてまかり通るような現状があります。とはいえ、例えば「よさこい」は伝統芸能ではないにしても、伝統芸能への“入口”としては意義深いのと同じように、「和妻」というものも入口としてあっていいと思うのです。
ただ、自分は“古い型を大事にして、それを専業としてやっています”というところで、「手妻師」という肩書でやっています。専業で手妻をやっているのは、全国的に見ても、私と師匠の藤山新太郎のみだと思います。