京都の老舗に気付かされた対人サービスの重要性
公文教育研究会 池上(以下、池上):本日はよろしくお願いいたします。原先生はどのような経緯で現在のご専門を選ばれたのですか?
原 良憲教授(以下、原):元々専攻は電子工学で、京都大学に着任する前はITメーカーでソフトウェア研究開発に携わり、新しい研究所を作るため米国シリコンバレーに赴任しました。10年ほど駐在している中で、GAFAの登場やアメリカ同時多発テロなど、いろいろな変化や事件がありました。研究開発から新しい会社を作るなど、新事業開発を行った経緯から、2006年に新設された京都大学経営管理大学院において、イノベーション・マネジメントやサービス・イノベーションに関する教育研究に従事しています。
シリコンバレーにいた当時は、ITのコモディティ化、たとえば、液晶テレビが発売当初は高価でも技術革新や市場拡大とともに価値が下がってしまう現象に、もどかしさも感じていました。しかし、京都に戻ってくると創業何百年という老舗、伝統芸能や、寺社仏閣などの価値が長続きしていることに目を奪われました。そこで対人サービスに関心を持ち、おもてなしやホスピタリティ(相手への気づき・理解)の教育研究を行っております。そのような中、サービス産業の次世代経営・創造人材育成プログラムを産官学で共同開発し、2015年度から京大で社会人向けコースとして開講いたしました。その時にご一緒させていただいたのが、KUMONでした。
池上:工学系の研究者として学ばれてからサービスや経営へ、というのは大きな転身ですね。テクノロジーも大事だけど、おもてなしやホスピタリティに関心が移られたと。
原:デジタルトランスフォーメーションの時代において、ロボットやAIを導入することで人間の仕事がなくなるということではなく、どう役割分担すると人の能力が発揮されるか、といった視点が重要ですね。
私たちの分野ではサービス・ケイパビリティ(※)と言っていますが、これから人材不足が深刻になっていくであろうサービス産業の中で、人とテクノロジーをどういう塩梅で組み合わせていけば良いサービスを生み出せるのかということは、重要なテーマであります。
※利害関係者や人的資源などの制約を考慮し、収益性・事業持続性・顧客関係性などの指標に対して、サービスにまつわる価値を活用する能力。
池上:様々なサービス産業においてテクノロジーによる生産性の向上は必要ですが、そこを担う優秀な人材をいかに見つけていくか、早く育てていくかは企業としてのケイパビリティですね。社員や指導者がお客様(生徒・保護者)に良いサービスを提供できるようにしていくことはこれまでと変わらないですが、それに加えてテクノロジーをどのように活用してそれを実現していくかは、KUMONにとって大切なテーマのひとつでもあります。
教育サービスにおけるホスピタリティ
原:KUMONは、体系的な教材はもちろんですが、それを使って、先生たちが褒めて生徒の自己肯定感を高め、自学自習に導いていく学習法ですよね。実は、京都大学の基本理念のひとつに「対話を根幹とした自学自習」が掲げられています。創立時の初代の総長が述べられた中に、「自重自敬」という言葉があります。これは、自分とは何かを知り、高い倫理性に支えられた自由の学風の中で、創造的な学問を切り開いていく重要性を伝えられたものと思います。このような勉学を行う手段として、教師から言われて学習したり、あるいは、勝手に自学自習したりすることではなく、学生が他者との対話を根幹とした中で自学自習することが大切だということですね。これはKUMONと非常に近い考え方ではないかと思います。KUMONの場合は、先生たちが褒めて自学自習を支援するということを大事にされていて、そういうところが特に興味深いと思っています。
池上:自学自習というのは、教材に生徒自身が向き合い、教材と「対話」しながらどんどん先まで進んでいくのが本質です。指導者は、生徒が自ら持っている可能性に気づけるように一人ひとりを観察し、生徒が自分の力で伸びていけるように対話を行っていきます。生徒との対話とは、今日の学習課題の見通しを示したり、行き詰っているときにヒントを与えたり、できたときに褒めたりといったことですが、こうした指導者の指導がなければ、生徒の内発的な変化や成長は起こりにくいだろうと思っています。こうした自習方式で生徒の可能性を引き出す学習は一斉型の授業では難しく、公文式は必然的に個人別の学習をベースにしています。生徒の自学自習に指導者が関わることによって、能力開発につながっていくということが大事な点だと思っています。
公文式教育の特長は、指導者が子どもの学習に献身的に関わることによって自学自習する力をどんどん伸ばしていく。つまり、自学自習にサービスという考え方を入れたということなんですね。もちろん創始者が公文式学習を始めた60年以上前は、サービスという言葉が今ほど使われていたわけではないですし、教育サービスという言葉もありませんでした。明治以来、教育というのは人が人に教えるもの、薫陶するものだという考えが根強くあって、伝統的な教育のあり方は子どもたちが道場で師からいろんな教えを受けるものだったと思うんです。
いい悪いではなく教育をとりまく風潮とはそういうものだったと思います。そういう中で、創始者は異質な考えをとったと言えます。
原:サービスというのは、ある程度標準的なレベルの価値の提供を目指すのに対し、ホスピタリティはそこを超えた価値を提供することと思います。KUMONの指導者は、明示的に教えるのではなく、生徒が自分で気づくように「見立て」たり、あるいは、生徒の無意識のふるまいや様子から気づいて「慮る」ことをされていて、ホスピタリティの要素を含んでいると言えます。そこはかとなく、さりげなく伝えるといった暗黙的なコミュニケーションですが、それは、生徒だけでなく、うまく教えられたときの先生自身の自己効力感の向上にも繋がると思います。
池上:ご専門の先生から「ホスピタリティ」という言葉で公文式学習の価値を言っていただけるのは嬉しいです。おっしゃる通り、学習者の気づきを大事にする、その蓄積により、自己肯定感を育んでいく。そのことがKUMONの価値であり、KUMONの指導者の価値でもあります。
創始者の公文公は「学習」という言葉を大切にしていました。「学習」は学んで習う、つまり学習者の立場です。創始者は、先生も子どもの目線に立ち、子どものことを学ぶ学習者になってほしかったのだと思います。子どもから学ぶというスタンスは、創業からずっとこだわってきていることです。指導者が「自分の公文式教室は子どもたちに作ってもらった」と言っていることを聞くことがあります。要は生徒が教室のレベルを上げてくれたということですが、顧客によってサービスの質を高めていくということが重要だと思うんです。
生徒と先生が共に創る学習プロセス
原:サービス業でよく言われる「お客様は神様です」という言葉がありますね。お客様の言うことを何でも認めてソリューション(問題解決)を提供する考え方は、瞬間的な価値はありますが、長続きしないのではないかというのが持論です。京都の興味深い商慣習に「客を鍛える」という言い方があります。一見(いちげん)さんお断りというと、ネガティブにも捉えられます。しかし、本質は「いいものはいい」と、お客様に本物であるものを正しく認識していただくこと、また、このような商慣習の過程で対等な関係を築くことです。お客様のリテラシーを高めることで信頼関係を長続きさせられる。どちらがサービス提供者、受益者ということではなく、切磋琢磨して、長く続く信頼関係作りを目指しているのですよね。
池上:確かに、「一見」というのはイベントですよね。イベントは一回ですが、公文式学習は一回の授業で完結する形ではなく、毎回の学習を重ねて進んでいくプロセスになっています。プロセスの中で学習者が伸びていき、指導者もともに学び成長していきます。
原:華道の世界の話になりますが、池坊専好次期家元と、日本の美意識やレジリエンス(持続する復元力)などについて、一緒に教育研究させていただいています。生け花の世界では、右長左短、時間の間といった非対称性や曖昧さがあって、そういう中で不完全なものから、完全な状態を目指す過程を一緒に楽しむというのが日本の美意識ではないかと。できあがったものを楽しむというより、一緒に創る過程を楽しむという発想で。たとえばハリウッドやK-POPのような完成度の高いエンタテインメントに重きをおくこととは、注目する視点が異なりますよね。まさにプロセスをより大事にしているということだと思います。
池上:学校は基本的に1年ごとに担任が変わりますが、KUMONは先生が生徒を学年で区切るのではなくある期間に渡って長く受け持つので、その間のプロセスがずっと共有されていくわけです。あの時はこうだったねと共通の体験を語れるようになるんですよね。中には、学習者だった親御さんのお子さんが同じ先生の教室に通うということもあり、世代をまたがってプロセスを共有し続けるなんてこともあるわけです。プロセスという共有体験と指導者のホスピタリティが重なることで生まれるものが、KUMONのサービスの強みであり、本質だと思います。
関連リンク 京都大学経営管理大学院
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