「この人たちと一緒に仕事をしたい」
アジアに恋した大学時代
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もう一つ、自分にとって大きな出来事は、大学2年次のときに「東南アジア青年の船」に乗ったこと。この船旅は、東南アジア6ヵ国の人たち約300人が一つの船に乗り、各国に寄港して現地でボランティアやホームステイをしながら約2ヵ月間過ごすというものです。
船上で私と同室になったのは、アキノ革命のために戦ったフィリピンの政治活動家と、シンガポールのリー・クワン・ユー首相(当時)の秘書、という2人でした。2人とも若いのに、すでに社会のあり方にビジョンをもち、「自分たちが社会を変える」と信じていました。彼らに大きな影響を受け、「この人たちのために」ではなく、「この人たちと一緒に」仕事がしたいと強く思うようになりました。そしてアジアが大好きになり、その後何度も足を運ぶことになりました。
大学3年次以降も、“活動”が生活の中心でした。たとえば、国連大学が主催するグローバル・セミナーへの参加。これは学生や若手社会人が対象の1週間の合宿で、地球規模の問題について、専門家の講演を聞いたりグループ討議をしたりするもの。その後、セミナー参加者で学生協会をつくることになり、勉強会の企画運営もしました。
この頃一緒に活動していた人たちとは、いまでも一緒に仕事をしています。じつに30年近くに渡って付き合いが続いているわけで、この頃に自分の人生を支える基盤ができたと確信しています。
志や夢を持ち続け
たくさんのチャレンジをしよう

学部生時代は、「大学院でこそ、教育学を学ぼう」と考えていましたが、大学院受験に失敗し、大学卒業後は当時の外国為替専門銀行だった東京銀行に就職しました。「アジアの開発金融に関われるかも……」と期待しながら就職しましたが、やはり心は「教育」にあり、銀行員をしながら教育関係の論文を書いていたほどです。
そんなあるとき、ひょんなことからアジア経済研究所に開発専門家の育成コースが新設されることを知りました。出願したいという友人に頼まれて、入試要項を取りに行った際、「教育開発」という分野が学べるとわかり、驚きました。それまで「経済(開発)」と「教育」は、私のなかでは常に平行線で交わらないものでしたが、このとき初めてつながったんです。何とか試験にも合格し、2年半勤めた銀行を辞して、アジア経済研究所開発スクールに入学しました。
このコースでは、開発学を1年間勉強した後、欧米の大学院に留学することができました。開発スクールからは、教育専攻で留学してもよいと言われていましたが、多くのODA関係者から「教育開発をやっても日本では働く場はない」と、経済専攻で留学することを勧められました。
しかし、さすがに「今度こそ教育を学ぼう」という意志は固く、1年後に教育開発のプログラムがある米国スタンフォード大学に留学しました。ここで初めて教育開発を勉強したのですが、あまりにもおもしろく、もっと勉強したいと思い、さらにコーネル大学の博士課程に進みました。経済面では、奨学金やアシスタントシップでギリギリの生活でしたが、何より新しい世界を見られることがうれしくて、自分の幸運に感謝しましたね。
じつは、アメリカで学ぶための自分の英語力は十分とは言えませんでした。当時スタンフォード大学に入るために必要なTOEFLの点数は625点。しかし自分の点数は、“本当の最低ライン”である585点にも届かない583点でした。それでも、電話やFAXで学びたい気持ちを伝え続け、何とか入学にこぎつけたという経緯があります。
悩みながらも希望していた研究ができているのは、人のつながりと支えによるところが大きいと思います。あとは夢を持ち続けていたことでしょうか。夢は“持つ”ことはできても、“持ち続ける”ことは難しい。人はどうしても現実的に考えてしまいます。私も実際、現実を考えて一旦は銀行に就職しています。また、夢に向かって進む途中にうまくいかないこともあります。
私もたくさんの挫折を経験しています。履歴書だけ見れば多少きれいに見えるかもしれません。しかし、落ちた大学や大学院、応募して得られなかった仕事や奨学金の数はその何倍もあります。やりたいことがあれば、可能性のある道にたくさんチャレンジすればいいのだと思います。ひとつ通れば、次の道が開けていきます。こうした私自身の経験を踏まえ、学生には「チャレンジしたいことがあればたくさん挑戦してみよう」と伝えています。
多様性のある環境にこそ新しいものが見えてくる
それが「真の豊かさ」の獲得につながる

国際社会の掲げる教育の目標には人権、開発、平和の3つの見方があります。すべての人が学ぶ権利を保障されなければなりませんし、社会経済開発の有効なツールとしての教育という側面もあります。また、教育は他者や異文化を理解し平和を築く礎となります。
ただ、私は、教育はまず個人にとっての喜びにつながるものだと考えています。教育は人に希望や知的充足をもたらし、人は学びを通じて自分の人生をコントロールできるようになります。教育によって、人が社会に貢献できるようになることは、大きな喜びではないでしょうか。その喜びのために教育をどのように届けられるか?そのための施策を考えるのはおもしろいし、ワクワクします。
私の専門の観点から、今後の教育で重要だと思うのは、「グローバルなガバナンスの構築」です。これは、全世界で同じように教育していくという意味ではなく、多様性がともに輝くようなモザイク型をイメージしています。これまで教育は国ごとに行われてきましたが、それぞれ異なる教育の中に、どこか共通する接合点を見つけていくことが必要なのではないかと考えています。実際に、PISAの学力論や21世紀型スキルなど、学力のあり方についての国際的な議論も活発になっています。共通項はもちながら、それぞれのよさが生かされる教育のあり方が今後求められていくと思います。
国籍や文化が違うというだけでなく、心身に障害のある人や状況の違う人たちが一緒に生活して、仕事をして、一つの社会をつくり上げていく。多様性がひとつの社会を作っていくことは、グローバル化した現代のもつポテンシャルだと思っています。イノベーションというのは、そうした多様性のなかからこそ生まれるからです。
一般に、インクルーシブ教育というと「平等の実現のため」と考えられがちですが、実際には多様性に処する力を身につける「教育の質の向上のため」のというのが本来の考え方です。ある研究では、障害のある子がいるクラスで学ぶと、障害のある子だけでなく、障害のない子の学力も高くなるという結果が出ています。その結果から、多様性があるなかでは、読み・書きだけでなく、コミュニケーション能力や問題解決能力なども育つのではないかと考えています。そのための実証的な研究を進め、だれもが希望を持てる教育環境をつくっていきたいと思っています。
大学の国際化も同じで、大学の中に多様性を実現することが、研究の革新につながり、大学の質を上げていくと確信しています。海外留学、あるいは日本国内でも留学生が身近にいたりすると、新しいことが見えてくるものです。
私はグローバル人材というのは、国際社会に貢献する「志」を持った人だと考えていますが、同時に、多様性に対する忍耐力を持ち、その環境を楽しめる人だと思います。留学生交流の仕組みづくりなどを通じて、学生たちが「真に豊かな経験と勉学」ができるよう、「こうあるべき」という押しつけではない大学の国際化に取り組んでいきたいと思っています。
![]() | 前編のインタビューから -黒田先生のご専門である「教育開発」とは? |