先生との“往復書簡”のおかげで続けられた
私は早起きなので、毎朝6時から1時間を"くもんタイム"と決めてその時間内にやるようにしました。初めのころは簡単だったので1回で10枚終えることができていました。ところがだんだんと難しくなり、先生に伝えて5枚にしてもらったこともあります。そんな感じでやっていたら、1年足らずで最終教材まで進み、念願だった2級にも合格。ここまで続いたことに我ながら驚きでした。続かないと思っていた自分が続いたのは、何より先生とのやりとりがとても楽しかったからです。
公文式フランス語通信学習では、教材とともに往復する「連絡簿」というのがあります。疑問点や感想など自由に書ける先生との往復書簡ですが、そこでの先生のメッセージがとても温かくて、大きな励みになったのです。私も2級の一次試験合格の報告にはお花の絵を描いたりと、イラスト入りで返信したりしてすごく楽しかったですね。デジタルが主流の時代に手書きでのやりとりだったことも、今思えば新鮮でした。
こうして公文式をやりきって2級にも合格したことで、ようやく「毎日コツコツ勉強することが大事なんだ」と気づきました。仏語検定に6回落ちたのも、コツコツではなく、直前にしかやらなかったから。それではダメだということはわかってはいたのですが、「仕事があるから」「忙しいから」と自分に言い訳していたんですよね。
時間がなくても、やる気があれば時間を捻出することができます。そのやる気を引き出してくれたのが、先生との毎月2回の往復書簡でした。郵便受けにレターパックが届いているか、気になって気になって仕方ありませんでしたね。
お子さんを含め、今公文式のプリントをやっている方々には、「時間は自分でつくるもの」であり、その中で2枚とか「少しでいいから毎日続けることが大切」だとお伝えしたいですね。10枚とかたくさんやろうとするから「ムリ」となってしまうのだと思います。「毎日少しずつコツコツ」が実を結ぶということは、私の今の仕事でも実感しているところです。
実はラオスで暮らした子ども時代にも日本語の通信教育を受けていたのですが、サボってばかりでした。当時、公文の先生のような温かいメッセージで励ましてくださる先生がいたら、私の学ぶ姿勢も違っていたかもしれません。
つらくても心を強く持とう
私が本格的に漫画を描き始めたのは、大学で漫画研究会に入ってからのことでした。そして大学2年のときにデビューすることができました。アルバイト先の店長さんが漫画原作者さんを紹介してくれたのがきっかけです。でもその後うまく続かず、別の編集部に持ち込んだりもしていましたが、なかなか採用されなくて、卒業後は一旦、就職することにしました。ただ当時、「絶対漫画家になろう!」という気持ちでいたかどうかというと微妙です。
そんな状態で働き始めたところ、就職して3日目に大学の後輩から「西山さんに会いたいという出版社の人がいる」と電話があったんです。そこで翌日にその出版社に行ったところ、話が弾み、漫画を描かせてもらえるようになりました。
同年の9月に新人賞を受賞したので、「会社を辞めたい」と上司に伝えたら「1年は続けてほしい」と引き留められました。プロジェクトの通訳などを担当していたため、簡単には辞められなかったんです。それでも翌年3月には退職し、イラスト描きのアルバイトや前の会社でもアルバイトをしながら漫画を描くことを生活の中心に据えました。母は「漫画では食べていけないのでは…」と心配していましたが、父は誰かから、漫画家はヒットしたら儲かると吹聴されたのか、「がんばれ」と応援してくれました(笑)。
挫折しかけたことは何度もあります。一番つらいのは連載の打ち切りです。あるときは、担当編集者から打ち切りを伝えられて、その場で「ちょっと席外していいですか」と席を立ち、庭のひまわりの前で泣いたこともありました。
そういうときは本当につらいのですが、いい加減な終わり方にしたくありませんから、最後までしっかり描き切ります。また、それでも私のマンガが「好き」と言ってくれる人がいるのだからと、気持ちを前向きにしています。
私は学生にもよくこう言います。「つらいことがあるのは当たり前。心を強く持てるように」と。それでも描きたいのか自分に問うて、そのための努力を忘れずにすることです。それが私自身、心が折れずに続けてこられた理由だからです。
学ぶことも大事です。とくに子どもたちには、何かをしっかり調べるような努力を続けてほしいですね。ちゃんと理解するのは義務のように感じるかもしれませんが、理解できたり新しいことを知ったりするのは楽しいことです。そして、その先にしか夢はありません。大人の方には、「今からコツコツ覚えるのは楽しいですよ」と伝えたいですね。これは本当に私が実感していることです。
目指すはフランスでの出版!
現在、仏語検定1級を目指して勉強を続けています。フランス語をレベルアップさせて、やりたいことはいろいろあります。
東京マラソン他スポーツボランティアをやったり、観光ガイドも目指しているので、英語だけではなくフランス語圏から来る方にもしっかり案内できるようになりたいですし、これまで以上に会話もスムー ズにできると思うと楽しみです。
より大きな夢は、フランスの出版社でフランス語の漫画を出すことです。私の漫画は、米国やアジア圏の国には翻訳され出版されていましたが、フランス語版はまだないんです。翻訳書ではなく、フランス語でオリジナルの作品を紹介できたらと思っています。
そして、現在も歴史を題材にした漫画を連載していますが、この歴史漫画という分野はこれからも続けていきたいと思っています。講談社から発行されている「日本の歴史」という歴史漫画では、私は大正時代と現代を担当しました。「わかりやすい」「マンガとして面白い」など言っていただくと、つくづく「描いていてよかった」と思いますね。漫画を通して歴史を身近に感じてもらえると、お役に立っているかなとうれしく思います。これからも、漫画の力で誰かのため、社会のために貢献することができれば、これほどうれしいことはありません。
歴史が大好きだった父の夢は、原作を父が書いて、それを私が漫画にする、というものでした。残念ながらそれは夢のままで終わってしまいましたが、今、私が歴史漫画を手がけているのは、亡き父の導きかもしれません。きっと、父も喜んでいると思います。
前編のインタビューから -漫画家というお仕事について |