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Vol.064 2019.09.27

小説家
伊与原新さん

<前編>

自分の手をたくさん動かし続けて
小さな成功体験を積み重ねれば
見える世界は広がっていく

小説家

伊与原 新 (いよはら しん)

1972年大阪府生まれ。神戸大学理学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科で地球惑星科学を専攻し、博士課程修了。2010年、『お台場アイランドベイビー』(角川書店)で第30回横溝正史ミステリ大賞を受賞。2019年には『月まで三キロ』(新潮社)で第38回新田次郎文学賞を受賞。その他の著書に、『プチ・プロフェスール』(角川書店)、『ルカの方舟』(講談社)、『博物館のファントム』(集英社)『ブルーネス』(文藝春秋)『コンタミ 科学汚染』(講談社)などがある。

大学院で地球惑星科学を専攻し、研究者の道を歩んでいた伊与原新さん。研究中に思いついたトリックを元に書いた小説が編集者の目にとまり、執筆を続け、『お台場アイランドベイビー』で小説家デビューを果たします。地球惑星科学の視点が散りばめられたエンターテインメント小説『月まで三キロ』では、悩みや孤独を抱える普通の人々が、偶然、科学の世界に触れたことで、心持ちが変わっていく様子を描き、第38回新田次郎文学賞を受賞。研究者時代は、公文式で身につけた「小さな成功体験の積み重ね」が役に立ったという伊与原さん。なぜ研究者を目指し、どのような思いで小説家へ転身されたのでしょうか。小説家の日常や、創作活動で大切にしていることなどについてもうかがいました。

目次

小学生の頃は漫画家になりたくて、ずっと絵を描いていた

伊与原新さん

今はちょうど、原稿をひとつ書き終えたところです。内容を少し紹介すると、宮沢賢治が教師をしていた花巻農学校の後身の農業高校に地学部を作るというお話です。文学や童話ではなくて、地学研究者としての宮沢賢治に光を当てた青春小説です。

私はずっと科学を題材に執筆していますが、高校生が主人公の小説は初めてです。物語のモデルにした花巻農業高校に実際に取材を申し込んで、高校生たちにも話を聞きました。その意味ではこの執筆は私にとっては新鮮でした。

今のところ2年にだいたい3作品くらい書いていますが、半年で書けるものもあれば、1年以上書き続けているものもあります。構想に1年、編集者と打ち合わせながら、書き始めてからも1年、計2年くらいかかる場合もあります。着想のヒントは、科学雑誌を読んだり、SNSで科学関連の投稿をフォローして、おもしろい着眼点を参考にしたりすることもあります。

私は若い頃、特に研究者時代は夜型でしたが、小説家に転身してから最近は完全に朝方になりました。午前中の方が集中できるのですが、締め切りが迫っていたら徹夜することもあります。ふだんは午前中執筆して、昼からは本を読んだり資料を探して街をさまよったり。パソコンに向かっていて、煮詰まってきたらカフェに行って書くこともあります。

でも、小さい頃から小説家に憧れていたわけではありません。子どもの頃は、藤子不二雄が大好きで、漫画家になりたいと思っていました。宇宙や惑星にも興味があって、藤子不二雄のマンガの中でもSFっぽいものがすごく好きで、真似してずっと絵を描いていたほどです。

宇宙や惑星に関心をもつようになったのは、父の影響もあるかもしれません。工学部出身でメーカーのエンジニアをしていた父は、科学が好きで、家には『ニュートン』などの科学雑誌や科学系の書籍がたくさんありました。私は小学生くらいから、それらの雑誌に触れていました。

地球惑星物理学を学び「地磁気」の研究者へ

高校時代から「大学は理学部に進み、地球のことを勉強しよう」と決めていた

伊与原新さん1997年 南アフリカ(大学院生時代) 約35億年前の岩石を採取しているところ(ご本人提供)

母は文学少女だったみたいです。今も短歌を教室で教えています。自宅には科学関係以外にもたくさんの本がありましたが、「本を読みなさい」と言われたことはありません。ただ、母は子どもの頃から移動文庫や図書館によく連れていってくれました。「これを借りなさい」ではなく、「何か借りたら?」と言うのです。そういう場に行けば、何かしら「これ面白そう」という本が子どもでも見つけられるものです。

私は3人兄弟の真ん中ですが、そんな両親の特徴を特に受け継いだのかもしれません。よく読んでいたのは、ジュール・ベルヌのSFです。子どもには分厚かったのですが、分厚いのを読むのがかっこいいなと思っていました。シャーロックホームズやルパンシリーズなどもよく読みました。
中学生のときに受験して、国立の中高一貫校に進学しました。小学6年生のとき、母の知り合いのお子さんがそこの学校に行っていると聞いてきたのがきっかけです。それまでそんな中学があるなんて知らなかったので、特別な中学に行くということが「かっこいいな」と感じて受験することに決めました。

高校に入った頃には、「大学は理学部に進んで地球のことを勉強しよう」と決めていました。小さいころから地球や宇宙への興味を持ち続けていたことと、野外に出て調査するというフィールドワークへの憧れがあったからです。天文学や宇宙物理学は数学だけの世界であるのに対し、地球惑星物理学は物を対象にする学問で、数学だけでなく興味のあるフィールドワークも行います。結局、地球惑星物理を学べる地球科学科に進みました。夢は研究者だったので、当時から大学院まで行こうと考えていました。希望どおり東京大学の大学院に進み、博士号を取得してからは富山大学の教員として就職。順調な研究者生活をスタートしました。

私の専門は「地磁気」です。方位磁石が必ず北を向くことからわかるように、地球は磁場を発生しています。この磁場を「地磁気」といいます。地磁気は、地球の内部にあるドロドロに溶けた鉄の「外核」が、自転の方向に動いているため生じるもので、地磁気を測ると、地球内部の活動の様子や、地球がどのように進化してきたがわかるのです。

地磁気は変化を繰り返していて、その様子は岩石や地層となって記録されています。例えば10億年前にできた岩石を取ってきて、それがどんな磁石になっているかを調べると、10億年前の地磁気の方向や強さがわかります。

たとえば、最近話題となった「チバニアン」も、77万年前の地磁気の方向を崖の地層が記録していることからわかったものです。この地層には、地球の磁場が最後に逆転した形跡があり、地球の歴史を表す地質年代の区切りの目印とされています。地層がどんな磁石になっているかを細かく調べると、地磁気がひっくり返った形跡がわかるのです。
私はそういう研究をずっとしていました。オーストラリアや南アフリカなど海外にもよく行き、約35億年前の岩石を採取したりして、地球内部の進化の様子を調べていました。

公文式の「たくさん手を動かし積み上げていく」やり方

公文式で「つまずいてもちょっと頑張ればできる」という感覚を身につけた

伊与原新さん新田次郎文学賞 受賞式(撮影 新潮社)

公文式教室に通い出したのは、中学2年か3年のときで、高校卒業するまで数学をやっていました。数学は最後のほうまでいくと、大学生で習うくらいの力学や電磁気学など、物理的な内容も含むようになるのです。私は、教科書がなくてもプリントを段階を追ってやっていけばわかるようにできている公文式学習が好きで、その教室には大学生になっても、採点のスタッフとして通っていました。

そもそも公文式教室に通うようになったのは、母が教室の先生と知り合いだったことがきっかけでした。その先生はすごく立派で、成績不良や素行不良の中学生を、何とかして高校に入れてあげたいという思いを持たれていました。学力的には高校合格が厳しい中学生も多く通っていて、そのような生徒も小学校の算数からやり直して、ちゃんと高校に合格する姿をたくさん見てきました。これはすごく勉強になりました。

算数や数学が不得意な子というのは、直感的に数学がわからないからつまずいてしまうんだと思います。でも公文式だと少しずつ積み上げていく。「こうだな」「こうだな」という論理のステップが細かく刻んであるので、できるようになっていくのです。そして、たくさん同じことを繰り返し、たくさん手を動かして書きます。その繰り返しがきついという子もいると思いますが、特に算数・数学が苦手な子にこそ、ふさわしいやり方だと思います。

私自身、数学が得意ではなかったので、コツコツ積み上げていくやり方は自分に合っていました。「つまずいても、ちょっと頑張ればできる」という感覚を知ることができたのは、研究者をめざす上でもとてもよかったと思います。

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伊与原新さん  

後編のインタビューから

-今につながる編集者の一言
-「面白くてためになる」小説を意識
-「やればできる」という成功体験がすべて

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