雑誌編集者時代に感じたジレンマ
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雑誌の編集者は雑誌がどうすれば長期的に売れるかを第一に考えます。僕は講談社の『モーニング』という漫画雑誌の編集部にいたので、35歳くらいの男性にウケるマンガをひたすら考えていました。世の中にたくさんいる作家の中から、35歳の男性にウケそうなマンガを描ける人を探して描いてもらうのが仕事です。
もしすごく好きな作家がいたとしても、その人が10代向けだったり女性向けだったりしたら声をかけることはないですし、一緒に仕事をしている作家でも、だんだんその人のやりたい方向性が雑誌の対象と違ってきたら、残念ながらさようならをするしかありません。
僕はずっと本が好きで、作品を生み出す作家と仕事がしたいから出版社に入ったんです。ただ、作家の年齢が上がっていったときに、その人の描きたい興味が変わる可能性は十分にある。しかしそれをサポートする仕組みは日本にはなかったんですね。作家が雑誌に自分の趣味嗜好を合わせていかないといけないんです。
ただ昔は発表媒体の数が少なかったので、それが生き残る手段でしたが、今は違う。作家自体にファンがついているのなら、その作家が最も満足いく形で作りこんだものこそ、世の中にも受け入れられるのではないかと。作家側の視点に立ち、その作家が5年後も10年後も20年後も、活躍するためにはどうすればいいか、究極的にはその作家が死んだ後でも世界中の人が作品を楽しむためには、どういう仕組みの上でどのように発表すればいいか、さらにどういうレベルの作品であればそれが可能になるのか?
――そこを考えた人がいなかったんですね。視点を変えることによって、新しいビジネスが生まれるだろうな、ということはつねに考えていたことです。
『ドラゴン桜』で感じたあの風が、吹いてこなかった
とはいえ、僕にはとくに起業に対する憧れも意欲もそのときはありませんでした。それでもなぜ、3年前に安定した仕事を辞めて、自分で会社を設立するに至ったのか。それは当時強烈に感じた、「時代が変わり出していて、面白いことが外にありそうだ」という思いです。会社員でなくなる不安だとか、もったいないんじゃないか、という気持ちよりもその好奇心のほうが断然強かったのです。
『ドラゴン桜』を映像化したときに、ウワーっと風が吹いてくるのを感じていました。世間が『ドラゴン桜』を受け入れている、という風です。あの頃失墜しかけていた東大に対する世間の評価も、『ドラゴン桜』の影響で上がっているのがわかりました。というのもその後、「東大生のノート」シリーズのほか“東大本”と言われる関連本が次々に出版されましたから。
そして僕は、『ドラゴン桜』で得た経験をさらにブラッシュアップして、『宇宙兄弟』の映像化に取り組みました。ところが、『ドラゴン桜』で感じたあの風は吹いてこなかった。僕の知見は高まっていたはずなのに。きっとこれは時代が変わっているんだな……と。出版社の中にいて面白い作品を作るだけでは、この時代の変化に気づくことはできないのかもしれない。そういう欲求が僕を突き動かしたんだと思います。『ドラゴン桜』から『宇宙兄弟』まではわずか4年ほど。でも今の状況に置き換えてみたら……たとえば4年前に「LINE」を誰が知っていましたか?それくらい時代の変化のスピードは早いんです。
おそらく今の子どもたちが成人する頃には、もっと色々なことが変化して、既存の職業が役目を終えたり、新しい仕事が誕生したりしていることと思います。今、将来に漠然とした不安を抱えている子もいることでしょう。でも、それは想像できないことを想像しようとして不安になっているだけ。だって、馬車の時代の人に、「馬車はなくなるけどその代わりに自動車というものができるよ」なんて誰も説明できないでしょう?そのときが来れば、きっと想像できます。だからこそ、本質的なことだけ押さえればいいんです。
本質にあるのは「自分にとって何が楽しい」のか
その本質とは何か?すべての職業は、それを楽しいと思っている人がやっています。人を喜ばせることに対して、人は必ず感謝で返してくれる。だから、自分にとって何が楽しいのかを知り、どのようにすれば人が喜ぶのかを知っていれば、どんな時代でも絶対に食べていけます。
でも、自分が何で楽しむのかを知っている人は意外と少ない。これは賢い人が陥りがちな病気ですが、進学や就職など人生の岐路に立ったとき、自分にとってではなく、「世間」にとっていいものを選んでしまうんです。でも世の中はスピーディーに変化していて、世間のカタチもどんどん変わっています。
世間に照準を合わせると、その変化にただかき回されるだけ。逆に視野が狭くても自分視点で考えて行動している人のほうが、時間とともに知識や経験の樹形図は広がります。20代ではできなかったことも、追求し続ければ40代で答えを出せたりするものです。世間に惑わされるとフラフラしてしまって一向に樹形図は広がらない。
僕の夢はいつか世界中の誰もが知っているコンテンツを作ることです。アフリカでもアメリカでもヨーロッパでも日本でも、全員が同時に待っていて、僕らが作家のアカウントで「更新したよ!」とつぶやいた瞬間にみんながバーって見に来て、その感想を言い合うような。
インターネットによって、メディアはテレビや新聞や雑誌の独占産業ではなくなりました。そして無限に増えたチャネルの運用方法を、それぞれのクリエイターごとに合わせてアレンジする。「クリエイターが主体」を手に入れた今、次はそういう才能が求められています。それが僕らエージェントの役割です。
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