歩きながら読むほど本好きだった少年時代
小さい頃の僕はとにかく本ばかり読んでいました。スポーツもよくやっていましたけど、やっぱり本ですね。バス通学の小学校に通っていたんですけど、僕はそれを徒歩通学にして、定期代をお小遣いにするよう親に交渉していたんですよ(笑)。それで毎日学校への道を歩きながら本を読んでいたほどです。
低学年から中学年の頃は「ズッコケ三人組」シリーズとか山中恒の作品とか、児童文学にハマって、小6くらいになると遠藤周作の『沈黙』を読んでいました。遠藤周作は「狐狸庵先生」シリーズから入り、そこで“第三の新人”、阿川弘之や曽野綾子、吉行淳之介、北杜夫など、新しい作家を知ることもできました。遠藤周作から日本文学への興味が広がって、中学に入学してから読み始めた村上春樹から柴田元幸に行き、アメリカ現代文学へ。本が本を呼ぶような感覚が当時はありました。
勉強は……そうですね、“やらされて”いたと思います。僕の強みは「学習欲」だと自負していますから、基本的に学ぶことは嫌いではなかった。ただ受験勉強的な勉強を楽しいと思ったことはなかったかなぁ。知識というものは樹形図的に広がっていくのが自然だと思うんです。あるものに興味を持ったら、それに関連した別のものに興味を持ち……と。そういう広がりでつながる学びこそ面白いですから。
基礎学力の大切さを教えてくれた公文式
じつは学校教科書の学びって、そうした樹形図的な並びではないんですね。指導要領の順番に構成されていて、学びに連続性がないんです。ただ今後はITを活用した、連続性のある教材も出てくるでしょうから、学びの本来の面白さを世の中全体で感じる人が増えるんじゃないかな、と僕は思っていますけどね。
算数にも国語にも理科にも社会にも、それぞれの分野に専門家の人はいるわけですが、ただその専門家の人たちは決して食うためにその研究をしているんじゃないと思うんですよ。面白いから突き詰めて、専門家になって、結果としてそれを職業にしている。これは世の中のすべての仕事に言えることではないでしょうか。それを面白い、嬉しいと思った人たちによって成り立っている。
公文は年少から中学生までやっていました。日本にいるときは国語と算数、南アフリカに行ってからはそれに英語も。僕が編集を担当した漫画『ドラゴン桜』では、基礎学力の大切さをひたすら説いています。計算やれ、漢字覚えろ、わからなくてもやれ……みたいな。英語だって文法を理解しながらやるよりも「This is a pen.」を10回書かされて、Thisの後ろにis以外がくると気持ち悪い!みたいな、そういう繰り返しのほうが重要なんです。使い方を感覚で身につける、というか。計算も筋トレのようにひたすら解いていく。すると方程式なんかは見た瞬間に仕組みがパッとわかるようになってくるんですよね。それは僕が公文で教わったことです。
「正しい教材を繰り返しやる」ことの大切さ
灘高に進学したのは決して目指していたわけではなくて、当時の僕は遠藤周作や村上春樹が好きだったから、むしろ彼らの出身である早慶を狙っていたんです。でも通っていた進学塾に勧められて、南アフリカ帰りの友だちと二人で「記念受験してみるか」と。そうしたら二人とも受かってしまった。
灘高の授業って、進学校だからさぞかししっかりしてるんだろうなと思うかもしれません。ところが灘高は教材をあまり使わないんです。数学も2年間で一冊の問題集を繰り返しやる。英語もそうです。灘の先生がこれだけでいいって言ってるんだったら、これだけでいいんだろうと。「正しい教材を繰り返しやる」ということが一番大切なんですね。とにかく基礎を押さえる、これがすべてですよね。
東大に進学して、英文科教授(当時)のジョージ・ヒューズという先生に出会ったときに、「あぁ僕はこの人みたいに人生を過ごしたいな」と思いました。すごくバランスのいい人で、たとえばアイルランドの詩人の詩の美しさを語ったと思ったら、娘の夫のことをずっと僕らに愚痴ったり(笑)。フラットで気取ったところがなくて、学生に対しても「人間」として接してくれる。それは人生で初めての感覚でした。人としての在り方が素敵で、そのとき「こういう大学教授になりたいな」と。実際には大学院には進まず出版社に就職することになるんですけど。
僕自身、学生時代は職業に対するイメージが何ひとつ湧いていなかった。まったく仕事に興味を持てなくて、職業研究もしていませんでした。憧れの人がジョージ・ヒューズだったから、大学院に進んで研究者を目指すか、あとは作家が好きだから出版社か……という程度の選択肢でした。
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