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Vol.027 2015.12.04

株式会社コルク 代表取締役社長
佐渡島庸平さん

<前編>

時代の変化のスピードは早い
自分にとって何が楽しいかを知り、
追求すれば未来は広がる

株式会社コルク 代表取締役社長

佐渡島 庸平 (さどしま ようへい)

1979年生まれ。中学時代を父親の転勤のため南アフリカ共和国で過ごし、灘高から東京大学文学部へ進学。2002年に講談社に入社後は、週刊モーニング編集部に所属。『ドラゴン桜』(著・三田紀房)、『宇宙兄弟』(著・小山宙哉)など、テレビドラマ化、アニメ化、映画化など、漫画の枠を超えた数々のヒット作を担当する。2012年に講談社を退社し、作家のエージェント会社である株式会社コルクを設立した。初の著書となる『ぼくらの仮説が世界をつくる』(ダイヤモンド社)が近日刊行。

『ドラゴン桜』『宇宙兄弟』をはじめ、数々の人気作品を世に送り出した名物編集者、佐渡島庸平さん。大手出版社勤務という安定した地位を捨て、2012年に作家エージェント会社・株式会社コルクを自ら設立しました。佐渡島さんを突き動かす情熱の源、それは幼い頃から何よりも好きだったという「本」から始まったようです。時代の変化がスピーディーな中、新しい仕事を創るために必要な本質についてうかがいました。

目次

    歩きながら読むほど本好きだった少年時代

    株式会社コルク 代表取締役社長 佐渡島庸平さん

    小さい頃の僕はとにかく本ばかり読んでいました。スポーツもよくやっていましたけど、やっぱり本ですね。バス通学の小学校に通っていたんですけど、僕はそれを徒歩通学にして、定期代をお小遣いにするよう親に交渉していたんですよ(笑)。それで毎日学校への道を歩きながら本を読んでいたほどです。

    低学年から中学年の頃は「ズッコケ三人組」シリーズとか山中恒の作品とか、児童文学にハマって、小6くらいになると遠藤周作の『沈黙』を読んでいました。遠藤周作は「狐狸庵先生」シリーズから入り、そこで“第三の新人”、阿川弘之や曽野綾子、吉行淳之介、北杜夫など、新しい作家を知ることもできました。遠藤周作から日本文学への興味が広がって、中学に入学してから読み始めた村上春樹から柴田元幸に行き、アメリカ現代文学へ。本が本を呼ぶような感覚が当時はありました。

    勉強は……そうですね、“やらされて”いたと思います。僕の強みは「学習欲」だと自負していますから、基本的に学ぶことは嫌いではなかった。ただ受験勉強的な勉強を楽しいと思ったことはなかったかなぁ。知識というものは樹形図的に広がっていくのが自然だと思うんです。あるものに興味を持ったら、それに関連した別のものに興味を持ち……と。そういう広がりでつながる学びこそ面白いですから。

    公文式が教えてくれたこととは?

    基礎学力の大切さを教えてくれた公文式

    株式会社コルク 代表取締役社長 佐渡島庸平さん

    じつは学校教科書の学びって、そうした樹形図的な並びではないんですね。指導要領の順番に構成されていて、学びに連続性がないんです。ただ今後はITを活用した、連続性のある教材も出てくるでしょうから、学びの本来の面白さを世の中全体で感じる人が増えるんじゃないかな、と僕は思っていますけどね。

    算数にも国語にも理科にも社会にも、それぞれの分野に専門家の人はいるわけですが、ただその専門家の人たちは決して食うためにその研究をしているんじゃないと思うんですよ。面白いから突き詰めて、専門家になって、結果としてそれを職業にしている。これは世の中のすべての仕事に言えることではないでしょうか。それを面白い、嬉しいと思った人たちによって成り立っている。

    公文は年少から中学生までやっていました。日本にいるときは国語と算数、南アフリカに行ってからはそれに英語も。僕が編集を担当した漫画『ドラゴン桜』では、基礎学力の大切さをひたすら説いています。計算やれ、漢字覚えろ、わからなくてもやれ……みたいな。英語だって文法を理解しながらやるよりも「This is a pen.」を10回書かされて、Thisの後ろにis以外がくると気持ち悪い!みたいな、そういう繰り返しのほうが重要なんです。使い方を感覚で身につける、というか。計算も筋トレのようにひたすら解いていく。すると方程式なんかは見た瞬間に仕組みがパッとわかるようになってくるんですよね。それは僕が公文で教わったことです。

    灘高の授業で学んだ「これだけでいい」学習法とは?

    「正しい教材を繰り返しやる」ことの大切さ

    株式会社コルク 代表取締役社長 佐渡島庸平さん

    灘高に進学したのは決して目指していたわけではなくて、当時の僕は遠藤周作や村上春樹が好きだったから、むしろ彼らの出身である早慶を狙っていたんです。でも通っていた進学塾に勧められて、南アフリカ帰りの友だちと二人で「記念受験してみるか」と。そうしたら二人とも受かってしまった。

    灘高の授業って、進学校だからさぞかししっかりしてるんだろうなと思うかもしれません。ところが灘高は教材をあまり使わないんです。数学も2年間で一冊の問題集を繰り返しやる。英語もそうです。灘の先生がこれだけでいいって言ってるんだったら、これだけでいいんだろうと。「正しい教材を繰り返しやる」ということが一番大切なんですね。とにかく基礎を押さえる、これがすべてですよね。

    東大に進学して、英文科教授(当時)のジョージ・ヒューズという先生に出会ったときに、「あぁ僕はこの人みたいに人生を過ごしたいな」と思いました。すごくバランスのいい人で、たとえばアイルランドの詩人の詩の美しさを語ったと思ったら、娘の夫のことをずっと僕らに愚痴ったり(笑)。フラットで気取ったところがなくて、学生に対しても「人間」として接してくれる。それは人生で初めての感覚でした。人としての在り方が素敵で、そのとき「こういう大学教授になりたいな」と。実際には大学院には進まず出版社に就職することになるんですけど。

    僕自身、学生時代は職業に対するイメージが何ひとつ湧いていなかった。まったく仕事に興味を持てなくて、職業研究もしていませんでした。憧れの人がジョージ・ヒューズだったから、大学院に進んで研究者を目指すか、あとは作家が好きだから出版社か……という程度の選択肢でした。

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    株式会社コルク


    株式会社コルク 代表取締役社長 佐渡島庸平さん 

    後編のインタビューから

    -雑誌編集者時代に感じたジレンマ
    -安定した仕事を辞めて起業しようと思ったきっかけとは?
    -本質にあるのは「自分にとって何が楽しい」のか

    後編を読む

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