「利用者様とともに、その方がもつ強みを活かせる職種や職場を探すことを目ざしています」
愛知県刈谷市。愛知県のほぼ中央に位置し、トヨタグループの会社や工場が数多く集まる日本有数の自動車系工業地域です。今回ご紹介する就労移行支援事業所S&Jパンドラ(認定NPO法人パンドラの会が運営母体、以下パンドラ)は、名鉄一ツ木駅から徒歩10分ほどの幹線道路沿いにあります。毎日15人ほどの利用者さんたちが集い、元気なあいさつからスタート、午前は公文式学習(数学と国語)、午後はさまざまな支援プログラムに取り組んでいます。
パンドラが公文式を導入したのは2013年12月から。その理由は、「利用者様一人ひとりに合った内容を学ぶことで、集中力や持続力、そして確かな学力と学び続ける力をつけること」。さらに、「“できた!”という体験をたくさんすることで、がんばれる自分に出会い、自己肯定感を育ててほしい」という想いからだったといいます。なお、パンドラを利用される方たちの半数以上は発達障害で、精神障害や知的障害の方たちもいます。
パンドラの所長、坂口さんに、利用者のみなさんが就職するだけでなく、長く働き続けるために大切にしていることをうかがってみました。
![]() 坂口所長 |
「この仕事をはじめてしばらくの間、ぼくには何となく違和感があったんです。利用者様の就職先や仕事の内容までも、就労移行支援事業に携わっているわれわれが決めてしまうことに…、です。この事業所でさまざまなプログラムに取り組むなかから、ご自身の強みを知り、それに合った職業や会社を探すほうがいいと思ったのです。人間は、一人ひとりみんな違うし、強みもいいところも違いますから。それに、企業のニーズも一社一社違います。
ある会社が“こんな人材がほしい”と考えていたら、それに合った人をわれわれがご紹介する。それができれば、企業活動の支援になり、なによりそこで働く利用者様も幸せだろうし、長く働くことができます。そうはいっても、それを恒常的に実現していくのはたいへんです。なんとか頑張っていきたいですね」。
坂口所長は控えめにこう話されますが、パンドラを巣立って就職された方々の定着率は現状100%です。
障害のある人を、自信と誇りに満ちた働き手にプロデュースする
「われわれは“障害のある人を自信と誇りに満ちた働き手にプロデュースする”というミッションを掲げています。単に働いているというのではなく、良い意味でプライドをもって、やりがいもあるという状態で働いてほしいと思っています。そのためには、まず自信をもってほしいですし、コミュニケーション力も必要ですね。就職というのは、別の見方をすると、一気に人とのかかわりが増えることでもありますから。また、過去に就労の経験があり、ちょっとしたことで職場に不適応を起こし、“自分はできない”“ダメだ”と思っている方には自己肯定感を取りもどし、元気になっていただくことが、ここでのスタートになるのだろうと考えています」
そんな坂口さんにとって、パンドラを巣立ってデータ管理系の会社で働いているKさんは印象深い方だといいます。Kさんは発達障害があり、「がんばっても就職なんて無理」「どうせ自分はダメな落ちこぼれ」といった発言が目立ち、暴言も多かったといいます。
「いまKさんは、勤めている会社にとって欠かせない人材になりつつあります。データ入力や確認作業など、仕事の正確さや処理能力の高さが評価されているようです。けれど、現在のような状態になるまでに、Kさんは本当に努力してきました。公文の学習に集中して取り組んでいる様子にわれわれが注目し、ほめる。時間はかかりましたが、その積み重ねで、Kさんは大きく変わりました。メンタル的にも落ち着きましたし、自己肯定感を取りもどし、暴言もなくなりました。そして、トライアル雇用から、正式採用へとなりました。さらにKさんとは、就職してからもメールで定期的に連絡をとりあい、ときどきは直接会って様子を聴き、アドバイスすることも続けています。会社で何か問題が起きても、小さなうちに相談や解決ができれば、仕事は続けていけると思いますから」
なるほど、パンドラでは就労支援だけでなく、定着支援、キャリア支援というところまでこだわって活動していることがわかりました。「定着率100%」もうなずけます。
自律した学習、そして「自分も役立っている」という自信
さて、利用者さんたちの公文式学習への取り組み、実際の学習や指導の様子などをパンドラのスタッフのみなさんにうかがってみましょう。まず、公文主担当の中島さんです。
![]() 中島さん |
「公文式を導入した当初(2013年12月)は、利用者様には“ミスするのがいやだから、簡単なところをやって全部100点をとりたい”という傾向があったと思います。先の教材へ進める力があるのにためらってしまう…、ということでしょうか。けれど、がんばればがんばった分だけ先へ進める、先に進むことで“自分もできるんだ”という自覚や自信が出てくると、学習中の表情や雰囲気も変わってくるのです。“どんどん先へ進みたい”という方も増えました」
こう話す中島さんは、利用者さんたちのそういう変化にいつも驚かされるといいます。また、嬉しそうにこんなことも話してくださいました。
「でも、なにより良い変化だと思うのは、“ここの理解がちょっと不安なのでもう1回学習して、そのあとは2回ずつくらいの回数で学習していきたいです”と、利用者様ご自身が計画を立てて、きちんと申し出てくるようになったことですね。これまで、“ただわからないではなく、ここまでは理解できますが、ここからがわかりません”というように質問してくださいね、とアドバイスし、自分で考え、決めることを大切にしてきたのですが、それが身につき、自然にできるようになってきていると感じています」
この“自分で考え”“自分で決める”が学習の様子にも表れているようで、公文の時間は教材に鉛筆が走る音だけが聞こえるという、良い意味での緊張感が漂う空間になっています。まさに、みなさん“自律した学習”を実践されています。
「パンドラは仕事に就くための練習の場。自分がどこまでできるかのチャレンジをたくさんしてほしい」
つぎは、瀧川さんにうかがってみました。瀧川さんはパンドラのスタッフであり、公文担当でもあるのですが、同時に愛知県の福祉系大学の大学院生(博士課程)でもあります。日々のパンドラでの取り組みをご自身の研究にも生かされています。
![]() 瀧川さん |
「どんな人も必ず社会のなかでするべきことがある。わたしは常々そう考えていて、それを見つけるために、とくにコミュニケーションの指導に気を配っています。例えば、教材が先に進んで、ご本人が“できたぞ!”という表情のときには、“がんばりましたね”“以前よりずいぶんよくなってきましたね”と声をかけます。そのときの利用者様の嬉しそうで、自信にあふれた表情に、こちらが元気をもらいますね。
また、パンドラを疑似的なオフィスと考えていますので、公文の教材を提出する、受け取る、こちらの指導のアドバイスを聴く。いろんな場面で利用者様の態度や表情をよく見るように心がけています。どういう場面でも“素直さ”が大切だと考えていますので、そういう面に重きをおいてアドバイスしています」
パンドラでは公文をはじめ、就労支援のためのさまざまなプログラムのほかに、作ったり働いたりという実習もあります。そのひとつが石鹸づくり。この石鹸づくりは瀧川さんがメイン担当です。
「原料そのものから石鹸という製品をつくるので、会社や工場に就職したときを想定して、利用者様にいろいろな役割を割り振ります。場合によっては、ある工程の仕事をそっくり任せることもあります。そして、任された仕事を期待通りにできると、みなさん“自分は役立っている”“自分もできるんだ”という自信や自己肯定感をもてるようになります。これが就職するとき、仕事を長く続けるためにも、とても役立つと思います。
また、チャレンジする心も大切だと考えているので、いくつかの工程を束ねるリーダー的な役割をお願いすることもあります。それは、任せるよりもレベルが高い、期待を込めるという意味です。期待されることで、“よし、がんばってみよう”というチャレンジの気持ちが出てくるのだと思います。パンドラは仕事に就くための練習の場でもあるので、自分がどこまでできるかのチャレンジもたくさんしてほしいですね」
「就労移行支援事業所」とは
就労移行支援事業所は、障害のある方の就職をサポートする通所型の福祉サービス。身体、知的、精神、発達などの障害や難病の方も対象です。提供するサービス内容(支援プログラムなど)は事業所によって異なりますが、仕事に関する知識やスキルアップと就職活動のサポート、就職後も長く働き続けられるよう職場への定着支援も行っています。
*詳しくは、記事末尾の関連リンク『障害者の就労支援について』をご参照ください。
関連リンク 就労移行支援事業所 S&Jパンドラ(Facebook) 『障害者の就労支援について』(平成27年7月、厚生労働省)
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