少し引いて全体を眺め
必要とされる「空白地帯」を埋めていく
研修医などで現場に入るようになると、「認知症専門の外来」にニーズがあることに気づきました。もちろん、大きな病院では認知症の方を診てはいましたが、前編でお伝えしたような認知症の「春」から「冬」まで連続して診るような体制は整っていませんでした。大学病院で認知症を専門に研究されている医師は、何かを極めていくことは得意なのかもしれませんが、実際に患者さんを診るという臨床経験が乏しく、全体がどうなっているのかがなかなか見えにくいのかもしれません。
病院や研究のトップを目指すなら、そうして突き詰めるのもいいかもしれません。しかし、私はそういうタイプではないので、少し引いて全体を俯瞰して見るようになりました。すると、そこに「空白地帯」があることに気づいたのです。その空白地帯こそ患者さんには必要な部分、たとえば「冬」の部分です。私はそこを目指すことにしました。それで、「脳のリハビリ」や「体のリハビリ」を含め、現在のような体制を整えました。
クリニック内に歯科スペースを設けているのも、そのひとつです。歯周病は認知症の原因になる可能性があるので、歯周病の予防は認知症の予防にもつながります。つまり口腔ケアをしっかりできるようになることが大切ですが、そこまで一貫して診るところはあまりありません。私のクリニックではそこを埋めているということです。このように「包括的に全体を見る」ということは大事な視点だと思います。
そのほか私が意識してきたのは、「土俵を変える」「組み合わせる」ということです。自分の得意分野の土俵で勝負すれば勝てるかもしれませんが、上には上がいます。なので、得意を持ちつつ、別の土俵に乗ってみて組み合わせる。今の時代、「医師をしていれば大丈夫」「これだけやっていれば生き残れる」という分野はありません。
私は認知症専門医ですが、前編でお伝えしたようにファイナンシャルプランナーの資格を取得しています。医師とファイナンシャルプランナーを組み合わせることで、そこに価値が生まれます。
実際、保険会社の営業担当者向けに、万が一の時どの保険であれば不幸を最小限にできるかなどの講師もしています。余談ですが、その際、私は保険会社の人たちにこう言います。
「あなたたちの営業成績が向上するだけでなく、優れた保険を販売するということは社会正義につながります。だから自信をもって売ってください」と。すると、営業担当者たちのモチベーションはものすごく上がります。やはり誰かの役に立つというのはやりがいにつながるのですね。
自分を正しく認識することが大事
40歳を過ぎて「好き」に気づくことも
長年診療を続けてきた私ですが、実はあるフラストレーションを抱えていました。「こうしてくださいね」と伝えても、一向に実行されない患者さんがいることです。振り返れば昔から「がんばろうね」と言いながら、努力しない、動かない人に対して、やりきれなさを感じていました。
一方で、やる気や向上心があり、自分自身で「なんとかしたい」と痛切に思っていて、実際に努力している患者さんもいます。私はそういう人に寄り添うことが好きなのだと、ここ10年ぐらいで気づきました。以降、人生が変わるくらいラクになりました。
気づくきっかけを与えてくれたのは、ある書籍です。世の中には「ある人」と、「ない人」に分けられるという内容でした。何があるか、ないかというと、自分の能力や周囲からの愛情などさまざまで、「ある人」は、自分のあるものをできるだけ分け与えたいと思い、そういうことに喜びをもつ。「ない人」は、ないからこそ、それを得ようと努力し、そうすることに喜びを見いだす。
それを読んで、自分は「ない人」だと気づきました。だから努力するし、同じように努力している人の助けになりたい。そう考えて外来も徹底しています。
自分が「ある人」なのか「ない人」なのかは、あくまで本人が決めることですが、ここを間違えてはいけません。自分はどちらの人間なのか、自分を認識して自分の基準を見つけることがとても大事だと思います。それには、自分は何が得意なのかを自分で見つけること。また周囲が見つけてあげることも必要だと思います。
中学時代こんなことがありました。技術の時間にある設計図を描かなくてはならず、私は苦心していましたが、ふと隣を見るとものすごく緻密できれいな設計図を描いている子がいたんです。しかし、学校ではテストの点で評価されるため、その子の評価はあまりいいものではなかった。もしその能力に気づいた大人が周囲にいたら、その生徒はその道で大成していたかもしれません。
でもそういうことは、いくらでもあるのではないでしょうか。「人の話を聞ける」「優しい心を持っている」など、その子独自の「いいもの」がたくさんあるはずなのに、学校の成績でしか評価されないと、その「いいもの」が見逃される可能性があります。
成績が芳しくなければ「こんな資格もあるよ」「こんな仕事もあるよ」と大人が示してあげることが必要です。そうしたことなしに「好きなことを探しなさい」とは言わないでほしいですね。親自身が子どもにあった資格や仕事を示せないので「好きなこと」という言い方になってしまうのかもしれませんが…。そもそも私だって長年自分の好きなことがよくわからなかったのに、子どものときに「好きなこと」なんてわかるのだろうか、とも思います。
親は子どもの邪魔をしないで
親自身がもっと学ぼう
いざ、ご家族が認知症になったとき、本気を出せばいくらでも情報を得ることができる時代です。しかし診療をしていると「自分で考える以前に誰かに頼る」人が多すぎると感じます。子どものときから「誰かがなんとかしてくれるだろう」という考えになってしまっているようです。
「学校の成績が悪いから塾へ行く」というのも発想は同じです。頼る前に、まず自分の頭で考えないと、「いざ」となったとき、「どうしよう」と戸惑うばかりで、決断も行動もできなくなります。施設への入所もそうです。そうなったときにようやく、「これではまずかった」と気づくのですが、それさえ気づかない人もいます。気づかないで済めばむしろ幸せとも言えますが、そうならないための教育を、子ども時代にしっかりやる必要があると思います。
親が子の邪魔をしないようにすることも大事です。子どもの可能性をつぶさないでほしいですし、子どもに「こうしなさい」という前に、自分の人生をしっかり生きてほしい。子どもに勉強しなさいというなら、まず自分が勉強をしましょうということです。お子さんへは、日本ほど恵まれた国はなく、「いい未来が待っているよ」と伝えたいですね。
仕事というのは、一生続けられるものもありますが、少しずつ形態を変えていくのもいいと思います。私の周囲にもそういう人は少なからずいます。人生二毛作三毛作もアリです。ただ、そうしたことは50歳前に考えておけるといいですね。
私自身は、脳神経内科というマイナーな分野で、さらにその中の認知症を専門にし、比較的“誰もが持っている知識ではないもの”を、私なりの努力で洗練させてきました。それによって患者さんたちがよろこんでくれることが、やはりうれしいですし、やりがいになっています。何より、お金をいただいた上に「ありがとう」と言われる仕事です。ふつうは逆で、お金をいただく側が「ありがとう」と言いますからね。
私は患者さんを診療するのが好きなので、ずっと働いていたいと思います。ハッピーリタイアはありえません。年齢とともに、今のようなペースで診療することは難しくなるかもしれませんし、車いすになっているかもしれませんが、診療を続けながら患者さんと笑っていたいですね。もちろん、情報発信も続けます。今まで対面でしかできなかったことが、YouTubeやブログなどでも発信できるようになり、この先もきっと、新しい何かが登場するでしょう。最先端は若い人にお任せして、ちょっと遅れたコンテンツで、とくにシニア世代に向けて、現場発の必要な情報をお届けしたいと思います。
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