大学時代の恩師に「稚拙でも自分の言葉で話しなさい」と諭される
私は東京生まれで、高度経済成長期に子ども時代を過ごしました。権威あるものが強かった時代で、こんなに時代が変わるとは想像していませんでした。小、中、高校は地元の公立校で学び、成績はよくありませんでした。できたのは水泳くらいだったかな。
父は教員でした。読書家で、尊敬していましたが、自分も教員になりたいとは思っていませんでした。父から「なれ」と言われたこともありません。昭和8年生まれの母は青森のりんご農家の娘。4人きょうだいの長女ですが、東京の大学で学んでいたという、ちょっとユニークな面があります。私はそんな母のDNAを受け継いでいる気がします。学生時代、ショパンコンクールの審査員を務めた中村紘子さんのインタビューを聞いていた時に、その選考基準が話題になりました。10人の審査員が皆、上手いといえば、それは確かに上手い。でも困る人物がいる。5人が評価して5人が評価しない人物だ、と。それを聞いた時、体(頭?)が「そんな生き方、素敵だな」と勝手に反応したのを今でも覚えています。
両親は私の成績が振るわなくてもとくに何も言わず、私も将来のことは何も考えていませんでした。成績はよくないのに、時間が自由になるという理由で、大学には行きたいと思っていました。北海道に憧れていたので北大を目指しましたが、入学したのは東京学芸大学の初等教育課程。「父も教員だし、まあ、いいか」という感じで、この場に及んでもキャリアについてまったく考えていませんでしたね。
ただ、大学に進んでつくづくよかったと思うのは、恩師の次山信男先生と出会えたことです。すごく厳しい方で、表面的にきれいなことを言っても相手にされず、「稚拙でも自分の言葉で話しなさい」と徹底的に叩き込まれました。
次山先生と出会ったとき、群馬県の小学校長であった、斎藤喜博氏が記した教育界の古典『島小物語』を紹介していただきました。大学を卒業する頃に、その斎藤喜博氏の教材解釈を宇佐美寛氏が批判したことに端を発した「出口論争」が起きました。これは教育界ではよく知られている論争なのですが、そこで宇佐美寛氏に興味が湧き、著書をむさぼり読むようになりました。次山先生に出会い、斎藤喜博氏を知り、宇佐美寛氏には指導主事時代に直接お会いして、何度かお話することもできました。
要所要所で素晴らしい方々との巡り合わせがあり、その過程で、自分の頭で考え、自分で判断することの大切さ、そして世の中は変わっていくのだということを実感するようになりました。そこから自分の主体が確立でき、「責任をもつ」という意識が芽生え、本気で教師という仕事を意識するようになっていったのだと思います。
教育とは子どもが「自分自身を好きになる営み」を応援すること
長年教育に携わってきた私にとって、教育とは「子どもが自分自身を好きになる営みを応援すること」だと思います。アメリカの心理学者アブラハム・マズローは、人間の欲求を、「生理的欲求」「安全の欲求」「所属と愛の欲求」「承認の欲求」「自己実現の欲求」と5段階で理論化しましたが、私はこの5つは「段階」ではなく、「様相」だと思っています。区切りが鮮明にあるわけではなく、一人ひとりの中に5つが混ざり合っている。それを、「これは生理的欲求だな」「これは承認の欲求だ」などと、その時々で、今、自分がどんな状態かを理解して、その今の自分の状態を好きになることが大切ではないでしょうか。
そういう営みを応援することが教育であり、「外にある体系」を教えるものではないと思います。これまでは大人が「必要だと思うこと」を切り出して体系化したことを覚えていました。かつてはそれが必要でしたが、それは「これを学んだほうが自己実現できるから」と、学ぶ目的が自分の「外」にある状態です。
しかし、変化が常態化する時代には、「体系化された知識」を覚えても仕方ありません。自分のしたいことや疑問から、つまり自分の「内」から発した学びが大事なのです。自分が「おもしろい」「どうしてだろう」と考える中で、「グリット力(やり抜く力)」、そのために何が必要か「学習を自己調整する力」を育てる必要があると思います。
教師の役割は、雑木林の成長を見守る「里山の住人」といえるでしょう。1学級には30人から40人の子どもたちがいますが、一律に目標を揃えるのではなく、いわば、きれいに揃った美林を作るのではなく、高木もあれば低木もある雑木林を見守ることが教師の役割だと思うのです。
雑木林というのは、荒れた林ではありません。下草を刈るなどして、陽が当たるように手入れしなくてはなりません。一つひとつの木の状態を見て、ていねいに手入れするように、一人ひとりの個性を伸ばしていくわけです。一方で個性というのは、自分以外の他者とぶつかることで磨かれ輝きを増します。その意味では集団教育が必要なのですが、それは現在の30人、40人規模の学級という場ではないのかもしれません。
自分の頭で考えて主体的に生きていこう
じつは、そうした学校ではない「学びの場」を作りたいというのが、今後、私が挑戦してみたいことのひとつです。今の学校は、「安全の確保」「人権の尊重」「学力の向上」という極めて高度化した課題を背負い過ぎています。これからはオルタナティブ(既存のものに取ってかわる新しいもの)な学びの場がもっともっと開かれるべきだと思うのです。
私が考えているのは、プログラミングを自学できる場です。プログラミングそのものを教えるのではなく、プログラミングが表現やコミュニケーションのツールだということを理解する場となり、子どもたちが「サイバー空間とフィジカル空間を生きているんだ」と自覚しながら自己実現していき、自分を好きになる。そんな学びを保証する場が拓けたらと思っています。
ICTの活用やプログラミング教育の普及にあたっては、保護者の意識改革が欠かせません。しかし、パソコンやタブレットなどの情報機器を、授業で日常的に使用することに抵抗感を覚える保護者も少なくないと思います。よく心配されるのは、視力の低下、首や肩の痛みやしびれが起るストレートネックなどですが、この2つは姿勢の問題であり、情報機器そのものは関係ありません。情報機器にはゲームの要素もあるので、依存の問題も気になると思います。これについてはきちんとルールを作ることが大切です。
絶対に気をつけなくてはならないのは、ホルモンバランスの調節に影響するとされるブルーライトです。物理的に遮断できるメガネを使用するなど、適切な対策をとってほしいですね。就寝前にブルーライトを浴びるのは絶対に避けてください。
サイバー空間には、攻撃性、匿名性などのリスクもあります。保護者の方には、こうしたリスクを正しく理解し、その上で、子どもたちがどうICT機器の利活用に関わっていけばよいか、一緒に考えていただきたいと思います。社会に出ると必ず直面する問題なので、子どもの時にしっかり学ぶことが大事です。
子どもたちには、自分の頭で考えることを大切にして、主体的に生きていってほしいですね。自分を好きになるために、いろいろなことにどんどんチャレンジしてください。その過程では、悩んだり困ったりすることも出てくるでしょう。そんな困難が、人を成長させますし、必ずや困難への対応方法を見いだすことができると、私は信じています。そんな時に思い出してほしい詩があります。上越教育大学大学院時代に知った詩で、地元出身の児童文学作家、小川未明の歌碑に刻まれたものです。
雲の如く
雲の如く高く
雲の如く輝き
雲の如く、とらわれず
私自身、悩んだら空を見上げ、その悩みや困難の原因である既存の考え方に「とらわれない」よう自分を叱咤してきました。困難にぶつかったとき、そして自分自身をさらに好きになるために、ぜひ、思い出し「雲の如く、とらわらず」と唱えてみてください。
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