外国語の学び方や教え方を研究
私の専門分野は、外国語教育学、第二言語習得論です。もう少し具体的にいうと、その中でも、「学習方略(ストラテジー)論」と呼ばれる分野、つまり、学習者がどのように学習すれば、外国語が効果的に学べるのかを研究しています。外国語学習に成功した人の研究を行う一方で、やる気をなくした学習者にモチベーションをどのように持ってもらえるのか、という「動機づけ」の研究も行っています。また、先生たちが学校で生徒にどう英語を教えるとよいのか、これは「教授法」といいますが、この分野の研究にも取り組んでいます。つまり、学ぶ側と教える側の両方の研究をして、その接点を探っていこうとしているわけです。
これまでの研究結果からわかってきたことを、いくつかお伝えしましょう。ひとつは、外国語学習というのは、音読や繰り返しといった練習も大切ですが、学習の目標や計画を立てて、その計画をどう実行するのか ――これは「メタ認知」とよばれていますが、この能力が長けている人は成功する傾向があるということです。一つひとつの勉強の仕方はとても良くても、計画性がなかったり持続性がなかったりすると、結果的にはうまくいきません。これは英語の学習だけでなく、ほかの教科の学習にもいえることです。
動機づけについては、自分がおもしろいと思っていることを対象として、計画を立てながら、「このあたりでよいかな」、「もう少しやれるかな」と、自分で決めていける度合いが高いほど、学習意欲が高まることがわかっています。しかし人間は弱いもので、一人ではなかなか動機を維持できません。そこで、他者と一緒に行う協働学習も大切になってきます。
ただ、「この勉強法をしたら外国語が必ずうまくなる」という決定的な方法はないことも分かっています。個人の目的と環境にあった計画をたて、それをスモールステップの目標に落とし込んで実行し、必要に応じて修正する。こういうことを地道に続けていき、その過程で他者をうまく巻き込んでいく。これが効果的な学びのサイクルなのです。
会話をすることだけが「英語を使う」ことではない
日本の英語教育に対しては、「中学・高校の6年間、小学校を入れるともっと、習ってきたのに使えない」とよくいわれます。これは、いつかは「使える」と思って、ひらすら知識として勉強だけして、実際に「使わない」から、使えないのです。ここでいう、「使う」というのは、なにも日常会話をすることだけではありません。目的を定め、その実現のために英語を用いる工夫をすれば、「使う」ことになります。例えば、日本文化を外国の人に説明する文章を英語で書く、社会科で学んだ世界の貧困について英語の文献を読む。教育の問題について英語で発表して海外の人と意見を交わす。これらもすべて、立派な「使う」ことになるのです。
英語を知識としてため込むだけで終わっていては、あまりにももったいない。スポーツのクラブがあるように、英語を使ったプロジェクト活動が放課後に行われるなどすると、英語学習もうまく行くようになるかもしれませんね。そうして使っていく中で、「文法事項、たとえば関係代名詞は、こんな時に使うのだ」、「このように音が変化するので聞きづらいのだな」などと、気づいていけば良いのです。
文法知識が身についていれば、論文も書けますし、文章も読めるようになります。そのため、私は文法を学ぶことを否定するつもりはありません。ただ、何のために文法を学ぶのかは、よくよく考えて欲しい。ある目標を達成するために必要があるから、そのために手段として文法を学ぶのだ、という考え方は忘れないで欲しいですね。
コミュニケーションについては、できれば英語ネイティブ話者だけでなく、例えばアジアの人たちなどと交流する手段として英語を使うようにすると良いですね。これを通して、「お互いの言語や文化を学び合おう」となればもっと望ましい。英語だけ学んでいたらそれで良いという考え方を持つと、視野が狭まくなるうえに、考え方の柔軟性までも失ってしまいます。2020年度から小学校5、6年生で英語が正式な教科になりますが、このような意味で、「英語だけ」でよいのかは少し疑問です。ほんの入門でも構わないので、様々な言葉に触れるチャンスを与えてあげたいと思います。
大学入試では、民間のテストなどを利用して、4技能(読む・聞く・話す・書く)を測定する方向となっています。これをきっかけに、技能間のバランスのとれた英語学習や、「聞いて話す」「読んで書く」のように、複数の技能が統合された英語学習が進むのなら、これは良いことだと思います。単に会話ができればそれで良い、というのは健全な考え方とはいえません。それぞれの大学や学部が、自分たちの教育目標にどの技能が、あるいは技能の組み合わせがもっとも必要かを考えて、その教育目標にあった試験を選択して利用していけば、おもしろい展開が期待できるのではないかと考えています。
ネイティブをモデルにしない
「学ぶ意欲さえ高ければ、99%の学習者は、外国語をうまく活用できるレベルまで到達できる。」外国語学習における動機づけ研究の大家ゾルタン・ドルニエ先生(英国ノッティンガム大学)はこう言い切ります。そして、到達すべきレベルは「ネイティブ話者のように」ではなく、「仕事(あるいは自分の定めた目標の達成)が差し障りなく出来る程度」というわけです。これを受けて、これからの英語教育では「目標が達成できればそれで良い」と学習者側が思うような環境を教員が作って、そこで言語活動をさせることが大切となります。「正確に言いたい」と必要性を感じるようになれば、放っておいても、正確さに向けて学習者は自ら学ぶようになるでしょう。
以前、中学の授業で生徒たちに「なぜ英語を勉強するの」と聞いたところ、「受験のため」、「なんとなく」といった回答がほとんどで、英語の使用目的や学習目標がはっきりしていませんでした。何のために使いたいのかによって、学び方も比重の置き方も違ってきます。例えば外交官になりたいのなら、英語の新聞や論文・報告書を高度に読みこなすことが必要ですし、発話もかなりの正確さが求められます。でも、海外旅行で困らない程度に、と思ったら、こんな高い水準は不要ですよね。
つまり、必要な「英語力」とは、それぞれの学習者の目的によって違い、自分の目的にあった英語力を身に付けることが大切だ、ということになります。ただ、現時点での必要性は「海外旅行で困らない程度」であっても、将来的に旅行以外で英語が必要となるかもしれません。可能性はいくらでもあるので、「自分はこれで十分」と思わずに、これからの学びの基礎になる部分は、しっかりマスターしておいた方が良いと思います。TOEFL Junior(R)やTOEFL Primary(R)などのテストは、スコアを競うのではなく、自分の基礎の弱い部分を客観的に振り返る材料に使うといいでしょう。テストは強制されて受けてもあまり意味はありません。何のために受験するのか、その目的をしっかりと考えて、結果を学習に利用する気持ちで受験してほしいですね。
学校での学びは、他者と足並み揃えることが求められるので、自分が先に進みたくても、スピードを落とさないといけない場合があります。あるいは、逆に進度が速すぎてついていけない場合もあります。でも本来、「知りたい」「進みたい」、「わかった」「腑に落ちた」と思った時の学びが一番身につくものです。そこで、小さなステップで目標を意識しながら一つずつ進んでいく公文式は、個々人の進度に合わせて学べる良い方法だと考えています。難しい内容でも、自分がおもしろいと思えば、あるいは自分に大きな目的があれば、それに向けてどんどん進んでいけます。腑に落ちるまでは進めないということであれば、じっくり学べばよいわけです。あとは、学んだことを知識レベルだけに終わらせないように、積極的に「使う」機会へと結びつけられると、さらに良いと考えています。
後編のインタビューから -5段階評価で「2」だった英語が急におもしろくなったわけ |